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  SS集




注意:シリーズ全体が今まで以上にダークです、苦手な方はお戻りください!
(0話に自傷行為的描写有り)



in the fatal thought / 0.


『一度血の味を知った刀は、二度とその快感を忘れない
それは、人を斬る為に作られた物全てに当てはまる、宿命とも云えるのだろう』

ここ最近、眠る前に少しづつ読み進めていた小説に そんな一文を見つけたエミリオが
「シャル、お前も今まで斬った物を全て覚えてるのか?」
小さく首を傾げながら 自身の愛剣に問う
『ああ、さっき読んだ本に書いてあったんですか?』
無言で頷くと、彼は好奇心に満ちた瞳で 僕をじっと見つめる

『でも、それって所謂、妖刀ってやつですよね。
僕みたいなソーディアンならともかく、普通の剣には、人格が無いですからね。
単なる迷信の類ですよ。』

年齢の割に 重く暗い小説ばかりを本棚から選ぶこの少年の事が 些か心配になり
シャルティエが至ってまともな返答を返すと
行儀良くベットに入った彼は 少し不貞腐れた様に口を尖らせる

「ふん、つまらないな。
何時もの様に、もっと面白い答えを期待していたのに。」

『・・・人を傷付ける事しか出来ない、剣の身の僕に、面白い答えなんか期待しないでくださいよ・・・』

「何だ、今になって自分の生き方を後悔するつもりか?」
『いえ、そんなつもりじゃ!』

「だったら堂々と語れば良い。
人を傷付けたから何だと云うんだ?
戦うのが、お前の役目だろう?」

この少年は自分にいつも 生きる理由を与えてくれる 自分を認めてくれる

シャルティエにとっては そんな持ち主に出会えた事は誇りでもあり
同時に彼の 年齢の割に随分大人びた、悪く言えば擦れた言動には いつもはらはらさせられていた

(まだ、十を数えたばかりだと云うのに)

僅か10歳の少年の口から、"剣としての自分の役割"を 改めて認識させられるなんて
(末恐ろしいな、全く・・・)
彼の父親であるヒューゴが 一人息子に並々ならぬ英才教育を施しているのは シャルティエも良く知った事だった
子供らしく外を駆け回る暇も無い程 勉学と剣術の稽古に追われる日々

普通の子供なら 直ぐに根を上げてしまうだろう
だが目の前の少年は 彼が持つ天賦の才と血の滲む様な努力で その期待に何とか応え続けている
その中できっと 彼自身もまた自分の役割を強く認識して居るのだろう

(あの父親は、僕達に一体、何をさせたいのだろう?)

エミリオが、父親の真意の計れぬ 暗く濁った瞳で射抜かれて
凍り付く様を見た時などは特に、その疑問が思考にこびり付いて離れないのだ
唯一自分に分かるのは、あの父親がまともでは無い、という事だけ

『さ、坊ちゃん、明日も早いんですから、もう寝ましょう?』

でないと、マリアンに寝起きのみっともない姿を見られちゃいますよ?と軽く脅してみると

「・・・お休み、シャル。」

仕方ない、と言いたげにそう呟くと
少年はそっと瞳を閉じた



翌日、昼食後から家庭教師に剣術の稽古を付けられていた彼が
シャルティエと共に部屋に帰って来たのは 午後六時を回った頃だった

『坊ちゃん、今日は随分頑張りましたね!
先生も、坊ちゃんの上達振りに舌を巻いていた様ですよ?』
「ああ・・・そうだな、」

達成感からか、心持ち誇らしげな彼の姿を見て
自分の事の様に 喜びを噛み締めていると


廊下から響いて来る 硬い質感の足音
ノックと共に開かれた扉の向こうを見て 彼が背中を固くするのが見て取れた

「エミリオ、それを置いて、此方へ来なさい。」

一瞬にして 部屋の雰囲気を凍り付かせた
彼の父親の 絶対服従しか許さぬその物言いに シャルティエは内心酷く腹を立てていた
だが、それを言ったところでこの幼い彼を困らせるだけだ、そう分かっているシャルティエは 何時もただ呼び掛ける事しか出来ない
『坊ちゃん・・・』

「はい・・・」

さっきまで、年相応に達成感に弾んでいた彼の声が
あっさりと冷たく、無機質な声に変わったのを聞いて 既に自分の方が泣きたい気分だった

彼が操り人形の様に 意志の無い瞳で父の背中に付いて 部屋を出るのを横目に
ベットに投げやりに置かれ
灯りの消えた部屋に取り残されると

(また、これだ・・・)
自分を置いて何処かへ行かれてしまっては
あの父親に何をされるか分かったものではない
そう危惧して、いつも彼が一人で出て行った時には 神経を研ぎ澄ませて待っているのが常だった

(坊ちゃん・・・何かあったら、僕の名前を呼んでください、)

助けに行ける訳でもない、彼を身を呈して守る事も出来ない この剣の身である事が酷くもどかしい
だが、強い意志を持って呼ばれたなら、或いは彼が危険に晒されている事に気付いてやれるかもしれない


そんな風に 月が高く登るまで
ただひたすら 神経を研ぎ澄ませて待っていると


いつの間に
音も無く、静かに開いた扉の向こうに
俯いたまま 部屋に入ろうとしない少年


『・・・坊ちゃん・・・?』

沈黙に耐えられず、彼に呼び掛ける
けれど、彼は部屋に足を踏み入れようとしない
それどころか、深く俯いている所為で表情すら読み取れない

『坊ちゃん、一体、何があったんです?
僕には、何でも教えてくれるって、約束でしたよね?』


そう問いかけてみると 彼はやっと顔を上げた
その瞳は焦点が合わず 何処か遠い所を眺めている様で 少し充血している
意を決した様に 部屋に足を踏み入れると
彼は真っ直ぐに 自身の愛剣の元へと歩み寄る

「・・・」
『坊ちゃん・・・大丈夫、ですか?』

余りの人の変わり様に 無事である筈が無い、と一目見た時から気付いてはいたが
何も言おうとしない彼に掛ける言葉が 他に見つからない


「・・・お前も、僕の事など、すぐに忘れてしまうのだろう・・・?」
『・・・っ!?
またそんな事を・・・父上に、何か言われたのですか?』

しっかりしてください、と強い口調で呼び掛けるが
今の彼にはそんな言葉など 届いていない様で


「シャル、お前には、記憶がある・・・人格がある、それなら・・・」


先程と変わらぬ 冷たい、無機質な声
その様に 言葉には表せぬ恐怖を感じたシャルティエが 叫びにも似た声を上げ続ける
細い指が遠慮無く掴んだのは その剣の柄
そっと剣を抜き放つと 何かに取り憑かれた様に刃を見つめている

『・・・坊ちゃん?ねえ、坊ちゃん・・・

・・・っ!!』


一瞬 時が止まった

刃がその 華奢な腕に
さく、と喰い込んでいく音


「これで、絶対に忘れられなく、してやる・・・」


刃が皮膚を離れると 瞬く間に溢れ出す鮮血が 嫌でも目に付いた
板張りの床に滴る血液は 今夜はもう枯れてしまった 彼の涙の代わりなのだろうか

『坊ちゃん、あれは迷信ですって、言ったじゃないですか!!
ねえ、坊ちゃんっ・・・!?』

正気を取り戻してくれ、と切望しながら叫ぶ剣の声と 鮮やかに脳に伝わる痛みに
ようやくその主人が反応して まともな意識が戻った様で


「・・・僕は、一体、何を・・・」

自身の腕から滴る血を 呆然と眺めながら
全く覚えていない、と云う風に呟く彼

(あの男、一体何をしてくれたんだ!?)
内心彼の父親に憤慨しながらも
シャルティエはエミリオに 優しく言葉を掛けた

『坊ちゃん・・・とにかく、手当しましょ?
僕が、ちゃんと教えますから・・・』

「ああ・・・」
まだ呆然としている彼に シャルティエは丁寧に、彼が自分で出来る手当の仕方を教えてやる
疲れているのか、緩慢な手付きでだが
それでも教えられた通りに 傷口を消毒し 包帯を巻く彼の姿を見ながら


(ほら、やっぱり)

僕は、貴方を傷付ける事しか出来ない
そんな当たり前の事実が 胸に突き刺さる

(そんな事、しなくたって・・・僕のマスターは、坊ちゃんだけです、)

疲弊し切った主人を見て
今言っても余計に混乱するだけだ、と思い 声に出さずそっと自身の核に誓うと

『さ、坊ちゃん、まずは少し休みましょう。明日、何でも話してくださいね。
子守唄代りに、何か歌いますから。』

優しく言い聞かせながら 

心の中で
剣としてしか彼の側に居られない 自分の運命を 唯々呪うしかないのだった





in the fatal thought / 0. end.



in the fatal thought / 1.



闇の中で ひたすら何かを切り払う
まだ背も小さな 少年の後ろ姿

(誰・・・、)

あれ、これはもしかして
自分の良く知っている後ろ姿?

「リオン、」
名前を呼んでも 彼はそれに気付かない
「リオン?
・・・あれ、リオン、だよな?」

何度呼び掛けても 彼が此方を振り向こうとはしない
その小さな身体の何処にそんなエネルギーがあるのか、と 不思議に思う程
ただ闇雲に 身の丈程もある剣を振り回している後姿
歩み寄ろうと足を動かすが 何故か一向に近付けない

(どうして・・・?)



「リ、オ・・・ン・・・」

既にベットに大の字になって眠ってしまっている 金髪の青年の寝言を聞きながら
「シャル、少し付き合え。」
そう言いながら 食事の前に壁に掛けたマントを再び纏う 黒髪の少年

『坊ちゃん、また、ですか?
もう少し、眠る時間取らないと・・・』

心配そうな愛剣の声を聞くと 苛立ちを隠す事なく、彼は眉間に皺を寄せた
「こいつの様に、ころっと眠れてしまえるなら、僕だってそうする。」

それだけ言うと 有無を言わさず
彼はその剣を腰に下げ 宿を後にする
『・・・お付き合いします。』
根負けした愛剣の声を聞きながら 彼は無言で歩みを進めるのだった


「・・・はっ!」

街外れの雑木林に入るなり 気合を入れる様に声を発しながら
リオンはシャルティエを手に、ひたすら宙を切った
そうしている間だけは、心に渦巻く底知れぬ闇が 少しだけ晴れる様な気がする

暫く身体を動かして 基本の型を一通りさらっていくと
ここ何日か 心に黒い影を落としていた ある出来事に思い当たる

(ただ、幸せそうに親子が歩いていただけ、それだけだ・・・)

日常の光景、些細な幸せに 何故こんなに苛立ちを覚えるのだろう
そして そんな自分自身の心の狭さにも苛立ちを募らせながら リオンは更に剣を振り続ける

(あんなに甘やかされて、とあの時は思った)

親の後ろを歩き 敬語を使うのが当たり前の環境で育てられた自分にとっては
想像も付かない フランクで親しげな関係

それを見た時に感じたのは 怒りや憎しみ

(そうだ、僕はあの父親が憎い)

お前は単なる駒に過ぎない、と常日頃から父にそう言われて育ってきた
父に褒められた覚えなど 生まれてこの方一つも無い
どれほど努力を重ねても 歯を喰いしばって痛みに耐えようとも
父から出て来る言葉は 自分を叱責する物ばかり

幼い内は きっと自分が悪いのだ、とその度に自分を責めた
父の前で泣こうものなら もっと叱られる
だから、どうしても涙が止まらない夜は
誰にも見つからない様な場所を探し 一人で泣いていたのを覚えている

そんな風に自分を否定しつづけながら 年を重ねていく内に
自分を取り巻く世界が 自分を傷付ける物で溢れ返っている事に気付いた

これ以上、傷付きたくないから 独りになりたがる
けれど、愛してほしいから 誰かと繋がっていたい

矛盾した思いを抱え続けた心は 今や年齢に不相応な程、擦れて歪んでしまった
それでもいつかは 人並みの幸せを掴みたい、自分に自信が持てる様になりたい、と願い
ひたすらに剣を振るい、勉学に勤しんできた


(もう、分かり切っているんだ)
父を憎いと思うのも 周りにいる、愛に恵まれた子供達を疎ましく思うのも
全ては 自分を愛してほしいから


父を 超える?

あんな人でなしを超える必要など 何処にも無い、と理性では分かっていても
無意識に 父と同じ様に冷酷な迄の合理主義を徹底するのは 僕が彼に育てられたから


マリアンに もっと近付きたい?

そんな事、もう望まないし 思いたく無い
もしそんな馬鹿げた事をまた願ったら、それに気付かれてしまったら?
既に彼女は人質に取られているのに、これ以上彼女を危険に晒したいなどとは思わない

だから僕はもう 何も望まない
君の人生を これ以上壊したくないから


僕が唯一心を分かてるのは この一振りの愛剣だけ それで十分だ
それ以上望んだ所で 自分には本当の愛など分からないのだから 意味が無い

そう自分に言い聞かせながら 形の掴めない苛立ちが消えてなくなるまで 彼はひたすらに剣を振るう



「リオン、おーい・・・
こんだけ稽古して、良く飽きないなー・・・」

ここはきっと夢の中なんだろう、と薄っすら思いながら
スタンは飽きもせず剣を振り回す少年を その場に腰掛けてずっと眺めている
時々見える横顔が 苦痛に歪んでいるのに気付いてからは
夢だと分かっていても その横顔から目を離せなくなっていた

(リオン・・・何か、思い詰めてる?)

はっきりとは分からない けれど
その表情には 余裕が全く感じられないのだ
(ああ・・・起きたら、聞かなきゃな)

浅く覚醒していた意識が また深い眠りに戻るのを感じながら スタンはそう独りごちた




「・・・あれ?」

窓から入る日差しが眩しい
珍しくすんなりと目が覚めたスタンは 隣のベットに人が横たわった形跡が無いのを 不思議に思った

「リオン、まさか寝てないのか?」
そんな訳無いよな、と独り言を呟きながら
彼を探しに行こうと 扉へ向かうと

「・・・何だ。もう起きていたのか。」

何食わぬ顔をして 正に今探しに行こうとしていた彼が部屋に入ってくる
その姿が 夢に見た少年と重なって見えたスタンは 若干混乱しながら声を掛けた

「リオン、お帰り・・・
随分熱心に、稽古してたよなあ・・・」

「・・・何の事だ。寝ぼけているのか?」

「あ、違う、それは夢だ。
えっと、あれ、じゃあリオン、今帰って来たのか?」

その言葉に一瞬 ぎくりとさせられたリオンは
彼を黙らせたい一心で辛辣な言葉を吐いた

「・・・お前、余り寝ぼけている様なら、そのまま永遠に眠ってくれても構わんぞ。」

「う、それは勘弁・・・!!
いや、変な夢見ちゃってさ。リオンが出て来たんだ、何か思い詰めてるみたいだったから、もしかしてって・・・」

「・・・もしかして、何だ?」

そう改めて聞かれると スタンには上手く説明する言葉が思い付かないようで
「何て言うか、うーん・・・」

核心を突く様な言葉が 彼の口から出て来ないのを見て リオンは内心溜息を吐いた


(こんな奴に、気付かれてたまるか)


眠れなくて一晩中 剣を振るっていた等と正直に打ち明けてしまったら
このお人好しの事だ、要らぬお節介を焼いてくるのは目に見えている

それに、自分の心が どうしようも無い程病んでしまっている事は 自分自身が一番良く分かっている



(お前の様な奴など、僕の中へは決して、立ち入らせない)


覚悟を決める様に 今一度自身に誓うと

彼は 唯々無言を貫く 自身の腰の剣にそっと手を掛けた




in the fatal thought /1.end





「・・・ねずみが紛れ込んだ様だ。
リオン、分かっているな。」

「・・・仰せのままに。」

暗い洞窟に響く声は 言わば死刑宣告
その声に
何故か心の底から安堵している自分が居た

(やっと、終わりだ)

思いながら 冷たい岩場にそっと腰掛けて
静かに待つのは 金髪が眩しいかつての仲間




in the fatal thought / 2.


「リオン・・・嘘だろ?」

そう問い掛けられて 至極冷静に言葉を返す

「嘘?
そうだな、お前達とくだらん馴れ合いをしていた日々は、全て嘘だった・・・
そういう事だ。これで、満足か?」

腰を上げ 彼等の行く道に立ちはだかる
言いながら剣を抜くと 皆一様に険しい表情に変わった

「躊躇なく剣を抜いたわね・・・!
あんた、自分のやってる事の意味、わかってんの?!」
「分かってるさ。
お前達より、余程、な。」
隙を見て素早く振りかぶるが スタンには剣を抜くつもりが無いのか 鞘で太刀筋を受け止める


「リオン、どうしてっ・・・!!」


何とか攻撃を交わしながらも 不安気に揺れる彼の瞳
まだ迷いの残るその言葉を聞いて 強い怒りに支配され 一瞬我を失った

「黙れ!!」
鞘に当たった剣が 辺りに金属音を響かせる
"貴様に何が分かる"
"そんな覚悟で勝てるとでも思ったのか"
怒りに任せ、渾身の力を込めて 鞘ごと押し返すと 
その勢いで スタンが体勢を崩した
怒りに覚醒した神経がどんどん研ぎ澄まされていくのが 手に取るように分かる

『スタン、我を抜け!
相手はソーディアンマスターだ、本気で向かわなければ勝ち目はない!』
「だ、だけど・・・っ!!」

やはり 奴はまだ迷いが抜けきれていない
(こいつに本気で勝とうと思うなら、今しかない)
そもそも、多勢に無勢の戦いなのだ
先手、先手を打たなければあっと言う間に追い詰められる
それなら、剣を抜く前に・・・!
「ストーンウォール!!」

「うわっ、ルーティ、危ない!」

「人の心配などしている場合か?」
死角になる岩の隙間から技を繰り出すと
追い込まれたスタンが ようやっと剣を抜いた

自分は死に場所を探して ここまで来てしまったのだ
もう後には引けない、元よりそのつもりも無い
(これ以上 人の駒になって操られるのはごめんだ)
スタンが剣を抜くと、それを待ち侘びていたかのように リオンは容赦無く切りかかっていく



スタン、お前はまだ気付いていない
僕とお前では そもそも生まれた意味が違う事に

お前は 世界を救う為
僕は 世界を破滅に至らせる為
生まれた時から 僕の運命は定められていた
単なる駒でしかない僕に 一体何が変えられると云うのか
これ程までに 自分の生きる意味を見出せないのなら、まだ自分で選べる内に
せめて自分の最期位は 自分の望み通りにしたい


「ルーティ・・・お前の知りたがっていた事を教えてやろう。
僕の失われたもう一つの名は、エミリオ・カトレット・・・
正真正銘、お前と血の繋がった弟だ。」


一体何度、この日を夢見た事だろう
死を目前にしても 心を支配するのは恐怖ではなく 恍惚感


「さて、優しいお姉さん・・・それでも、僕を殺せるかい?」
「やめろ、リオン!
それ以上・・・それ以上、何も言うな!」
「ナイト気取りか、格好良いね。」
茶化す様に言ってやると スタンの顔が更に険しくなった

「僕は殺せる。
大切なものを守るためならば、
例え親でも兄弟でも、だ!」

身体は とうに限界を超えていた
それでも、こいつらにそれを気付かせてはいけない 同情されるなど以ての外だ
剣を握る手を胸に当て 向かってくる彼等を迎え撃つ

スタン、僕はどうせ死ぬなら お前に殺されたかった

お前の光でも 僕の闇など到底照らせはしないだろう
それでも 同じ闇に喰い殺されるよりは せめて最期に光が見たい
だから もっと怒れ、スタン
僕はお前が密かに好意を寄せる 自分の実の姉まで手に掛けようとしている 極悪非道の罪人だ
もっと憤慨しろ、そしてその怒りのまま、僕に剣を向けてくれ・・・!!


「魔人闇!」
「皇王天翔翼!」


二人の繰り出した技がせめぎ合い やがて辺りが炎に包まれ 闇が照らされていく
剣が自分の身体を貫く感触は
痛いというより 内側から炎で焼かれている様な 熱さに似ていた


(ああ・・・ぼくは、負けた、のか)


貫かれた腹部から 脈打つ度にどくどくと 血が溢れていく感覚
身体中を走り回る痛みに 意識が朦朧とさせられる 
最早立っている事もままならず とうとう膝を付いてしまった



「リオン・・・一緒に、帰ろう。」

掛けられた声の方を見ると
今にも泣き出しそうな顔で かつての"仲間"が 歩み寄りながら右手を伸ばした

何故、裏切り者の僕に 手を差し伸べる
そう思いながらも
彼の碧い瞳は まだ希望を捨ててはいないと言いたげに 熱く燃え、輝いていて
真っ直ぐな瞳に見つめられて 思わずその手を伸ばしかけた自分に気付く
もう少しで触れてしまう、という所で
とうとう地響きと共に 轟音が鳴り響いた

「な、なんだこの揺れは!?」

地割れが起き 音を立てて崩れ落ちる 僕の最期の場所

そうだ、これが正しく 僕の罪

「くっくっく、始まったな。
僕の、勝ちだ・・・」
「な、何だって・・・!?」

 ー正しい選択を した?ー
いや、そんな訳がない
僕には 誰かに打ち明ける度胸も 真っ向から立ち向かっていく勇気も無かった
ただ 運命に流されて、翻弄されて 投げやりになっただけ

「終末の時計は動き出した!
もう、誰にも、止められない・・・
はは、はははは・・・っ、」
「くそっ、何だよそれ・・・っ!
リオン、お前、いつまで見栄を張ってるつもりだ!早くこっちに!!」

地割れで出来た 身の丈程もある段差から
未だ奴は手を差し伸べようとする

「愚か者、それは、僕の台詞、だ・・・
ここはじきに崩れる、このままでは、
お前達も、巻き添えになる・・・!」

痛みを堪えて 無理やり皮肉な笑顔を作り
手で追い払う様な仕草をすると

「そんな事、言ってる場合か!
リオン、早く手を伸ばせ、今ならまだ間に合う!!」
「スタンさん、水が!」
「先程の地響きで、洞窟が崩落したのかもしれない、このままでは海に沈んでしまう・・・!」

「そ、そんな・・・っ!リオンを置き去りにはできません!!」
「スタン!あいつはこんな所でくたばっちまうような馬鹿じゃない。
俺達まで死んだら元も子もないだろ、一旦出口を探すぞ!」
「きゃっ・・・水がすぐそこまで!!」

「く、くそっ・・・!
リオン、ここでちょっと待ってろ!」
苦い顔をしながらも この状況を打破する方法は無いかと思案するスタンがそう言って こちらに背を向ける

この後ろ姿を見るのも、きっとこれが最後

「スタン・・・」
「何だ、どうした!?」


「後は・・・後は、任せた。」


「っ・・・、ふざけるな!!
リオン、必ず連れて帰ってやるからな、お前を置き去りにしてたまるか!絶対ここで待ってろよ!!」



その言葉を、その背中を
この光景を そっと胸に刻む

(僕の様な裏切り者には、身に余る言葉だ)

自分に伸ばされた手
やはりあれには 決して触れてはいけなかったのだ
触れればきっと 彼に言いくるめられて
自分の犯した罪の重さを忘れていただろう

だけど今まで自分は どうやって生きてきた?
一角の人間になりたい、マリアンと対等になりたい、と願い
父への憎しみだけを糧に
どれ程辛い訓練も、苦しい任務も 死に物狂いで乗り越えてきたのだ
それが 今の僕を形作る要素の全て

それを否定されたら、僕の人生全てを 丸ごと否定されるも同然だ

世界より ただ一人、愛する人を守る方を選んだ事
これは 決して許されてはいけない罪
犯した罪を忘れたら 許されてしまったら
僕が僕で無くなってしまう

僕にとってあいつの手は
触れたい、けど、決して触れてはいけないパンドラの箱


だから これで良かったんだ

スタン、僕を憎め 憎み続けてくれ
その憎しみを糧に お前はきっと、強く生きてゆける
本当の愛を知らない僕が、憎しみしか知らぬ僕が お前にしてやれる事なんて
それ位しかない


マリアン、僕を忘れないでいて
同情でも何でも構わない 君だけは
自分の為に命を捨てた少年、と 僕をいつまでも哀れんで欲しい
そうすれば僕は 君の記憶の中にだけ いつまでも生き続ける


それがきっと 僕の生まれた意味




「はっ・・・馬鹿、馬鹿しい・・・」
『坊ちゃん、もう喋っちゃ駄目ですっ・・・傷口が、血が・・・!』

「シャル・・・おまえは、ぼく、を、わす、れるか・・・?」

『忘れる訳、無いじゃないですかっ!
僕のマスターは、坊ちゃんだけです・・・っ、
だから、だから・・・!!』

「はは・・・よか、った・・・」

痛みの感覚が急に遠のき、視界が段々と暗くなっていく
視界に入った 力の入らない右腕は どす黒く汚れていた



これは、ぼくの血?

それとも・・・あいつの?


「ふふ・・・さよ、なら、マリアン、」


最期の 声は

轟音に呑まれて、よく 聞こえなかった



in the fatal thought / end.





眠り姫は、いつ目覚める


※シリアス。嘔吐、大量服薬描写などを含みます、ご注意ください。





 ―また、か―



皆が寝静まった後の静寂に、一人目を覚ます。

以前はこれ程頻度は高くなかった。ここ最近 ーこの旅を始めてからだろうー 目が覚めてしまう夜が増えていた。

そっと布団から抜け出す。
……最も、隣でいびきをかいて眠る男がそれに気付いて起き出す様な事は、万に一つも無いのだけれど。気付かれたくない相手、というのは、そいつの使う剣の方なのだ。

何時も持ち歩く自身の道具入れから、錠剤の入ったビンを取り出す。


"hypnotic"

スタンには一生縁の無い単語だろうなと、改めてラベルを見つめた。茶色の遮光ビンに閉じ込められた白い錠剤を、手の平に転がす。
一、二……三錠。思い出した様に時計を見る。零時三十分。まだ夜は長い。寝過ごす心配はない、少しほっとした。

こんな物を使う様になったのはいつからだっただろう。客員剣士に正式に任命されて、近衛兵隊実質上の隊長を任される様になって……責務が重くなる度、錠剤の数が増えていった。

初めて服用した夜の事を、まだ覚えている。錠剤を半分に割って、それでも朝に随分眠気が残った。翌日が非番の夜位しか使えない、そういう物なんだと思っていたのに。慣れとは恐ろしい物で、今じゃ一度に3錠、途中にどうせ目が覚めるからもう1錠飲む羽目になる。

依存しているのかもしれない。これがないと不安なのだ。
但し、野宿の日には決して使わなかった。薬で朦朧としている時に魔物に襲われたら一溜まりもない、そういう夜は自ら火の番を買って出た。
その場を上手くごまかせればそれで良い、と思っていた。それがまさか、回り回ってこんなに長く旅をするとは想像も付かなかった。寝ずの番をせざるを得ない日が続いた所為で、確実に体力、気力ともに削がれていく。まともな思考が出来ているか怪しい、と自分で思う。

けれど、今更立ち止まる訳にもいかない。グレバムがヒューゴの狙いを知っているとは思えないが、少なくとも神の眼は取り戻さなくては話にならない。
あれに、僕は人質を取られているのだ。
だから、戦って戦って、ひたすら敵を切り伏せる事にだけ神経を集中させていればいい。しんどい、休みたい。そう思う以上に、何も考えたくない。敵に反応して勝手に身体が動いている間だけは、頭を空っぽにしていられる。

休んだら、立ち止まったら、あっという間に悪夢に囚われてしまう。動いている方が、余計な事を考える暇が無くてずっと楽だった。

心が、感情が麻痺していく。人間らしさの欠片も見つからない自分の内面を、人としてどうなんだと思う自虐心と、こうする他ないという諦めにも似た気持ち。
何も、考えたくない。せめて、眠る時位は穏やかで居させてほしい。
そうやって時々、発作的に錠剤を口にする様になって、自分でも制御が効かなくなっていた。分かっているのに、止められない。

3錠を何の躊躇いも無く飲み干すと、枕元のサイドテーブルの下段にもう1錠、人の目に触れない様に置いておく。コップ一杯の水と一緒に。例え悪夢にうなされても、すぐにまた眠れる様に。


『坊ちゃん……それ、効きますか?』

ディムロスに気付かれぬ様に、呟くように尋ねるシャルティエの声。どこか諦めとか、達観を含んだ様な声に聞こえた。

―呆れられても仕方ない、か―
自嘲する様に笑うリオンの横で、コアクリスタルが微かに点滅を繰り返す。

『……ゆっくり、休めると良いですね。ここの所、ずっと野宿が続いてましたもんね……』

違う、これは心から人を労わる声だ。そう気付いて、また嗤ってしまった。
一瞬でも、呆れられているだなんて思ってしまった自分に、嫌気が差す。相方のささやかな思いやりに気付きもせず、勝手に誤解して、自分を卑下して。

(僕は、こんなに醜い人間だったのか)
自分で自分が嫌になる。もう、何とでもなれ。布団を頭から被って、カーテンの隙間から入る僅かな月明かりを遮った。
シャルがいつ愛想を尽かしてもおかしくない、醜い自分。


……せめて眠る時ぐらいは、何も考えずに……


そのまま温かさに身を委ねたリオンは、糸が切れたようにぱたりと眠りに就いた。







少しの息苦しさと、突き上げるような胃の痛みで目が覚めた。まだ室内は、闇に包まれたままだ。

「……っ、」
薬が残っているせいで、意識がおぼろげで上手く起き上がれない。横になったまま身を捩る。自然と瞼が落ちてくる、そのまま眠ってしまえればいいのだが、かといって痛みが引きそうな気配はない。まどろみながら暫く耐えていると、痛みが少しずつ不快感へと変わっていく。

そこで、急に意識が覚醒した。胃が内容物を押し出し、食道、喉の辺りまで一気に上がってくる。咄嗟に口元を手で押さえた。霧がかった頭の中に浮かんできたのは。

(手洗い場は……)
この民宿のような簡易宿泊施設には、共同の大浴場と手洗い場しかなかった、はず。
込み上げてくる生唾を押さえながら、サイドテーブルに置いたグラスとタオルを引っ掴んで部屋を出た。

廊下の空気は、部屋よりもずっと冷たくて湿っていた。薬が抜けないまま無理に動いた所為で、血圧が上がりきっていないのか、目眩がする。
……早く辿り着かないと動けなくなる、と何となく悟った。あいつらにみっともない姿を晒すのだけはごめんだ。洗面台を通り過ぎた奥、窓際の個室に入り錠を下ろした途端、気が抜けて床に座り込んでしまった。
冷たい床の感触に、ぞくりと寒気がして……気付いた時には、せり上がってくる内容物をただただ吐き出していた。

「……ん……、っ、うっ……、んっ……、ぁ、」

呼吸をするのも忘れて、不快感を吐き出しつづけた所為で、一段落付いた頃には手足が軽く痺れていた。

グラスの水で口を濯いで、水を流して。ようやく深く呼吸が出来る。暫く貪る様な呼吸を繰り返して、息を整えてから、換気をしたくて外に繋がる窓を開けた。

さっきとは打って変わって、意識が鮮明になった。月明かりが妙に眩しくて、ちかちかする。酸素不足か貧血、とも思ったけれど少し違う。何だか不安で気分が落ち着かない。心臓が脈打つ音が、妙に頭に響く。窓から入る風が異様に冷たく感じられて、悪寒が止まらない。

……薬まで、吐いてしまったんだろうか。その所為で、こんな風に?
旅先ではあまり手に入らない薬なのに、どうして吐いてしまったんだろう。だけど、今はそれよりも。


あと少しだけ、眠っていたい。


両手で自分を抱えるようにして寒さをやり過ごしながら部屋に帰ると、心配した声色のシャルティエが、何かありましたか?と控えめに聞いてきた。その言葉に返事が出来る程の余裕も、もう残っていない。

もう一度、茶色のビンを取り出す。1、2、3……4錠。眠りたい。この不安感から一刻も早く開放されたい。
これで足りなかったら、どうしよう。確実に、眠っていたい。

4錠を水で胃に流し込んで、さらにビンを傾ける。
手の平から零れた錠剤が、床に転がる。おかしな震えが止まらない。先程とは比べ物にならないほどの寒気、悪寒。首を絞められているんじゃないかと思うほど、呼吸がし辛い。心拍数が上がっていく、嫌だ、こんな状態で眠れる訳がない。
手の平に載った錠剤を、無心で仰ぐ。もう、数なんて一々覚えていない。とにかく何も考えずに眠りたい。グラスの水を一気に呷った。沢山の固形物……錠剤が、喉を滑り落ちていく感触に、ようやく少し安堵した。

そのまま、気が抜けたようにベットに倒れ込む。
神経が、持たない。布団を頭から被って、耳を塞いで丸まった。

今は、誰の声も聞きたくない。同室のスタンもディムロスも……シャルティエでさえも。
少しずつ、体温が戻ってきた。震えが収まってきて、一気に眠気が襲う。いつのまにか、涙が溢れていた。
止まらない、涙。
別に無理に止めなくても、良い。誰も見ていないのだから、眠ってしまえば、それで良い。



やっと、眠れる。

薄れる意識で思ったのはそんな事だった。


リオンは、そのまま逆らうことなく意識を手放した。




― 眠り姫は、いつ目覚めるの? ―

― いつまでも、眠り続けるよ ―


― それはね、―

― 彼が、永久の眠りを欲しているから―





              end.



Heel
テイルズ版真夜中の60分一本勝負(小説版)
お題:敵役





それは、まるで自分が自分でなくなる様な感覚だった。震えの止まらない手で愛剣を握り締め、歯を食いしばる。
僕は、今まさに奴らの敵となる。その行為がどれだけ奴らの心をかき乱し苦しめるか分かっているのに、それでも……
「さて、優しいお姉さん……それでも僕を殺せるかい?」
「もうやめろ!これ以上……これ以上何も言うな……」
スタンが、これ以上ルーティを傷つけるなと云わんばかりの視線を寄越す。じり、と両者共に間合いを詰めてにじり寄る、その時だった。
「……ちょっと待って、」
ふら、とルーティがこちらへ歩み寄ってくる。
「ルーティ、ここは俺が戦う!だから……」
「違うわ」
「え……?」
「こいつ、リオンじゃないわ……」
熱に浮かされた子供のように呟くルーティの瞳は、それでも確固たる自信に満ち溢れていた。じっとリオンを見つめ、今度は洞窟に響き渡る声ではっきりと言い放つ。
「リオンの瞳は透き通るような紫色だったわ、でも今のあんたの瞳は青いじゃない!あんた一体、誰なのよ」
(僕が、僕じゃない……?)
「そんな……ルーティ、あれはどう見てもリオンだろ」
「違う、あたしと姉弟だっていうなら瞳の色も同じ筈よ。答えて!あんたは何者なの?」
(前にも、こんな事があったような……)
到底理解しきれない彼女の問い、なのに既視感に視界が眩む。この光景、何所かで見た事がある……
「僕は、僕、は……」
僕は一体、何者だ?何故ここに居る……理由は単純だ、僕は奴らを裏切り、手に掛け、始末する。こんなに手が震えたりする筈無い、僕はマリアンを守る為に世界を売り渡す覚悟をとうに決めている、それなのにどうしてこんなに迷っている……?
「リオン、もう止めましょう」
「何、を……!」
「苦しむあんたをもう見たくないの……その身体だって、転生を繰り返してとっくにぼろぼろの筈よ」
「転生……?」
「何度でも同じ道を選ぶ……それがどれほど辛い事か、あんたはもう十分に分かってる筈よ」
四方から差し伸べられる手。その一つ一つが内側から灯火のように光り輝いている。そう、この手を取りさえすれば、僕はきっと……そう思った時だった。
差し伸べられる手の向こうにいた筈の面子が、次々と黒い影になって消えてゆく。周りの景色がどんどん遠ざかってゆき、最後は一人真っ暗闇に取り残された。


「リオン・マグナス……あなたはまだ、裏切り者という不名誉に甘んじるつもりなのですか?」
暗闇に響く女の声は、まるで自分がこの世の支配者だといわんばかりの圧倒的な物言いだ。
「私があなたを蘇生すれば、最早あなたの事を仇とみなす者はいなくなるのですよ」
その瞬間全てを思い出した。自分の犯した罪、そしてこの女が僕をずっと試し続けていることも。
「ああ……そうだろうな」
「分かっていて何故そんな愚かな真似を……このまま転生を繰り返せば、あなたの魂は最早あなた自身でなくなる……瞳の色が変わりつつあるのがその証拠」
憐れむような目で捨て台詞を吐かれても、もう手が震えるようなことは無かった。覚悟を決めたんだ。この罪を背負い、輪廻の渦に巻き込まれても一人耐えてみせる、と。
「構わん」
「折角幻の中で姉に扮して語りかけてやったというのに……」
次第に身体の輪郭が闇に溶けていく。きっとまた僕は記憶の海を彷徨う日々に戻るのだろう。それでも。
「言ったはずだ。僕は何度でも同じ道を選び続ける……それが例え、仇役であろうとも」
「良いでしょう……次に会う時に、同じ台詞が聞けるとは思いませんが」
「ふ、そうなったら僕に見切りを付けて消滅させるんだな」


決してこの覚悟を失いたくない、だって僕はこの世界の中において正しく敵役なのだから……


―Heel― End.




葬送

正規ED後、かつタイトル通りシリアスです。ご注意ください。







窓の向こうは、雲の隙間から青空がちらちらと覗く、穏やかな午後の曇り空。
殺風景な部屋に微かに響く、木々のざわめき。ダリルシェイドの安宿の一室に一人佇むのは、長く伸ばした金髪が眩しい青年。

彼が姿見の前に立つ。濃いグレーのドレスシャツに袖を通し、ボタンを一つ一つ、ゆっくりとはめていく。
ハンガーに掛かったダブルのジャケットと揃いの黒い生地で仕立てた、細身のスラックス。飾り気の無い黒いベルトを腰に回し、サイドテーブルに置いてある黒蝶貝のカフスで袖口を止める。
そして、箱に収められている幅の太いリボンタイをうやうやしく手に取り、首に回し、丁寧に結んだ。

全部、リオンの髪の色と同じだ。
青年は冷静に、かつ無表情でふとそんな事を思う。


『気持ちに、けじめをつけようと思って』


青年の生まれ育った村では、公の場で正装する際にはリボンタイを用いるのが習慣となっている。別珍、いわゆるビロード生地に、村の女性達が金糸で細やかな刺繍を施したそれは、村の特産品である綿をふんだんに用いて作られる、特別な物。仮にダリルシェイドの様な都会に卸せばかなりの高額で取引されるのだろうが、村の者は、この一つ一つのタイに様々な思いが込められ、丹念に作られた事を知っている。故に、そんな事はしない。それほどこのリボンタイは、村の者にとって特別な物なのだ。
結婚式や祝いの席など、関わる人たちにとって重要な節目となる時には、特に。

青年にとってもそれは同じである。
その習慣に倣って、故郷にいる妹に『生地も刺繍糸も、全て黒で誂えてほしい』と頼んで送ってもらった。
鮮やかな金の長い髪を後頭部で纏め、タイと同じ生地で作られた細いリボンで結わえる。
一つ、深呼吸をしてからジャケットに手を掛けた。
胸元を飾っていた幾多の勲章は、―世界を救った英雄に贈られた物だ―今は全て外してある。代わりに胸元にあしらわれているのは、一輪の白いバラの花。今朝方摘んできたばかりですから新鮮で、とても綺麗ですよ、と宿の女将さんから聞いている。


見知らぬ人から示される小さな配慮が、純粋に嬉しかった。
自分がこの花を誰に手向けるつもりか、彼らは知らない。胸元に飾れる花が欲しい、その言葉だけで事情を察してくれた。だからそれ以外の事は何も口にしていない。
この時期は、自分と同じような客が沢山居るのだろう。無差別地殻破壊装置―ベルクラント―の最初の攻撃を受けたのがここ、ダリルシェイドだった。
何とか青空を取り戻す事は出来たけれど、それは数多の犠牲の上に成り立っている。
これは実際に戦いに身を投じたスタンが、一番良く分かっているつもりだった。
神の眼の前では自分達の力など遠く及ばない、と幾度と無く思い知らされた。その間にも地上に容赦なく襲い掛かる天上からの攻撃で、人々が命を失っている。
辛い、戦いだった。
守りたい物を、守りきれない。失う瞬間を目の当たりにしながら、無力感に苛まれながら、それでも戦い続けなければもっと多くの物を失ってしまう、そんな戦いだった。

そして、スタンにとっては「彼」もまた先の騒乱の犠牲者だ。
本当の彼の姿を知っているから、彼の苦しみを知ったからこそ、その死を悼む。
それは自然な気持ちで、誰しもが抱くであろう自然な感情だ。彼の事をとやかく言う人も多いけれど、自分の記憶の中の彼は何度考えてもやはり犠牲者であって、加害者ではなかった。
だから、その死を悼むことは間違っていないと思うし、その気持ちに素直に従う。

今までも、そしてこれからも自分はそうやって生きていく。自分の気持ちになるべく嘘を付かずに、真っ直ぐに。何も変わらないし、変える必要など無い。
唯一の後悔は、仲間を一人、守れなかった事。
それもまた、取り返しのつかない犠牲。

そう、分かっているのに、自分は「彼」の名を口にしないのだ。

これ以上、聞きたくなかった。思っていたより自分が脆い人間だと気付いたのは、何時だっただろう。
「彼」の事を悪く言う人間が居たら、何としても自分は彼の勇姿を、無念を語ってやらなきゃいけない。そう思って地上に降りたのに、彼について浴びせられる言葉は想像を遥かに超えたものだった。自分の浅はかさに気が付き、それから彼の犯した罪の重さを身を持って実感した。
自分が何を言おうと無意味なのだ、この思いは伝わらない、時が経つと共にそう悟った。そして、彼の名を口にするのを止めてしまった。


もう一度、深呼吸をする。姿見に目をやる。
記憶の中の「彼」が、いつも前髪だけを長く伸ばしていた事を思い出す。邪魔にならないのかと常々疑問に思っていたが、今なら彼の気持ちが自分にも分かる。
そこに、ひどく沈んだ自分の顔が映し出されていたからだ。
髪を、下ろしてしまいたかった。こんな顔を誰かに見せるなんてとても出来ない。だから彼も、髪を切らず自身の表情を悟られないようにしていたんだろう。それを思うと、やりきれない気持ちだった。
自分は歳を重ねていくのに、記憶の中の彼はずっと少年のままだ。

あの七将軍にも引けを取らぬ程の剣の腕前、頭脳明晰で、才能に恵まれて、誰もがその将来を渇望していた。勘が鋭くて、人の気持ちや考えに機敏で、努力家で、何より根は優しい奴だった。
自分には無いものを、全て持っていた。


どうして俺が生きていて、お前だけこの世に居ないのだろう。
リオンがここに居ないなんて、おかしい。どうかしてる。


年甲斐もなく大声を出して泣いてしまえたら、楽なのかもしれない。だけど、涙はもう枯れ果ててしまった。心にぽっかりと空いた穴を埋める物が何も無くて、喪失感だけが胸を突く。
浸っている暇など、無い。
玄関で、ルーティが、皆が待っている。
なのに、姿見の前で俯いたまま、一歩も動けない自分が居る。

彼の居ないこの世界に、早く、慣れなきゃいけない。
やるべき事は、沢山ある。街を復興させて、少しでも早く皆の笑顔を取り戻してやること。家族を、大切な物を失った人を慰めて、生きる気力を与えてやること。
立ち止まってはいられない。助けを求めている人が、沢山居る。そして手を貸してやれれば、手助けがあれば、彼らは必死にそれに応えようとしてくれる。だから、一刻も早く、少しでも多くの人に手を差し伸べてやりたい。

だけど、慣れてしまいたくない。
リオンの居ない世界を受け入れるのが、堪らなく怖い。
正しくその瞬間に、彼が本当に『死んで』しまう気がするから。


……自分は何を考えているんだろう。こんなの、支離滅裂だ。
生きている筈がない。リオンがもし生き延びてたら、空を失った世界を放っておく筈が無い。彼の事だから、必ず空を取り戻そうとする。だから必ずどこかで再会できる筈なんだ。
なのに、彼は最後まで姿を現さなかった。当然だ、彼は死んだ。もうこの世に居ない。二度と会う事は無い。


自分は、一体いつまでしがみついているのか。
いつまで、彼の記憶に取り憑かれたままでいるつもりなのか。




刹那、聞こえたのは部屋を吹き抜ける強い風の音。
ふと顔を上げると、窓辺に小鳥が群れを為して集まっているのが目に入る。

ああ、そうか。俺を、呼びに来てくれたのか。


旅の間、リオンが窓辺に目を遣る瞬間を何度も見た。彼はきっと自覚していなかっただろうけど、その横顔は、柄にも無く穏やかだった。集まってきた小鳥を愛しそうに見つめているのに、絶対に自分から近づこうとはしなかった。ただ黙って、目を細めて見つめているだけ。優しい表情をしているのに、その瞳はいつも寂しそうだった。

どうして、気付けなかったのだろう。今更後悔したって、何の意味も無いけれど。


もう、行かなきゃな。皆、待ってる。



青年は、白いバラの花束を抱えると、部屋を後にする。
長く垂らしたリボンタイが、蝶々のように柔らかく風に揺れた。

その横顔は少し寂しそうに、けれど優しい笑みを湛えていた。





     ―葬送―




ダーク?シリアス?こういうの、何て言うんでしょう。ある意味これも捏造かもしれませんが……
オリジナル、リメイクどちらもEDではすごくめでたい感じになってますが、あんな呑気に楽しく過ごせないだろうよ、だってリオン死んでるぜ、とか考えてしまう私は、やっぱり鬼畜なのでしょうか。
最近、暗い話ばかりUPしていますがこれは今から明るい話を書くからだと信じたい。大分ダークな部分は消化した……筈です、多分。笑
お読み頂きありがとうございます!






A rainy day




旅の途中、ふと正気を失くしたリオン。シリアス風味です。





「しっかし、よく降るよなぁー……」
最初に断っておくと、これは単なる独り言なので、返事は期待していない。
元より、彼は無駄口を好むタイプではないし、日によってはいくら話しかけても、一つも返事を寄越さない。最早それが二人の間での暗黙の了解となってしまっている。

「何かもう、横殴りの雨って感じだよな。というより、嵐、か」

朝方の一連のやり取りを思い返す。多少の雨なら出発するぞ、と意気込んでいた彼だったが、いざ宿屋から一歩外へ出てみれば、真横から叩きつけるような風雨。何時にも増して文句をたれるルーティに珍しく根負けし、また宿屋の主人にまで引きとめられた事もあり、今日はここで雨が止むまで待機となった。

折角の休息なのだからのんびりしていればいいものを、彼は共に部屋に戻ったかと思うと直ぐデスクに腰掛け、書類作成に取り掛かってしまう。その様子を見たスタンは此処ぞとばかりに思い切り二度寝を楽しんで、目が覚めてからはベットに腰掛け、ぽつりぽつりと独り言を呟きつつ窓の外と彼の背中を交互に眺めていた。

よく、持つな。

自分は彼と違って頭を使うのはあまり好きではないけれど、体力だけは人一倍自信があった。若者が減っていた故郷の村では慢性的に人手不足だった為、昼間は一日中畑を手伝って、暗くなってから剣の稽古に励んだものだった。時には一晩中、友人と剣の腕を競い合うこともあった。
けれど、それは所詮身の安全が保障された環境での話、だ。一歩村の外へ踏み出せば、所構わず凶暴化した魔物が襲って来る。下手をすれば何時死んでもおかしくない、つまり毎日朝から晩まで歩きっ放し、戦い詰めの日々。その異様な緊張感の中で過ごす一日は、時間が過ぎるのは早いけれど、溜まって行く疲労もまた尋常なものではない。

なのに、この少年は顔色一つ変えずデスクに向かい、真剣な顔付きで今も書類にせわしなく羽ペンを走らせている。

疲れないのだろうか?
いくらこうした事に慣れているだろうとは言え、彼の行動には余りに無駄がなさ過ぎる。
いつも理路整然としていて、一つ一つの所作に都会的な品があり、冷静で、少しの乱れも無い。
元々少し神経質なきらいもあるのだろう、けれどそういう次元の話ではない。
付け入る隙が、無さ過ぎる。
何時も全てを完全に、完璧に、まるで見えない誰かに常に監視されているかの様に。
彼自身がどう思っているかは分からないけれど、少なくともスタンの目にはそう映った。

不自然なのだ。
彼の、傍目から見れば幼さの残る顔立ちとその言動との間には余りにギャップがありすぎて、何だか見ているこちらの方が不安になる。訳を聴かれても上手い言葉が見つからないが、その立ち振る舞いはおよそ16歳のものとは思えない。

「不思議だよな……」
「何がだ」
思いがけず口から漏れ出ていた言葉に自分でも驚いた。そして何より、彼から返事が返ってきた事に。
「あれリオン、もう終わったのか?」
「……おい、何が不思議なんだと聞いている」
こちらが尋ねた事になど答えようともしない。彼は、自分が興味の無い事にはとことん反応を示さない。いつも通りの、彼。

「いや、リオンって本当に16歳なのかなって」
「……は?」
思い切り怪訝そうに眉をひそめる彼。こういう顔をする時は、大抵言葉を続けても無視される事を、スタンは良く知っていた。けれど彼は珍しく、此方に顔を向けたままだ。大変不快そうではあるけれど、何かが彼の興味を引いている、そんな気がした。
何だろう。もう少しだけ、付き合ってくれそうだ。

「リオン、大人っぽいからさ」
「……お前が子供っぽいだけだ」
「いやいや、16歳なんて一番遊びたい盛りだろ?」
「…そんな事は知らん…他の奴に聞いてくれ」
「まあ、ただ俺が遊びすぎだっただけかもしれないけど。でもさ、俺今19なんだ」
「調書にあったな。一々言わなくて良い」
「げっ、そんな事まで覚えてんのかよ…って何かさ、このやり取りが既にもう逆転してるんだよな」
「…逆転じゃない、当然、だ。上司としてお前達の目付役をしているのが僕だぞ」

何を言っているんだこいつは、と言わんばかりの彼の視線が突き刺さる。けれど、無視もせず言葉を返す訳だから、自分の何処が不思議と言われているのか、恐らくはまだ分かっていないのだろう。

「俺より三つも年下のお前の方が大人っぽいってさ、何か変じゃないか?」

暫しの沈黙。後、盛大な溜息。

「自覚があるなら、少しは自分で改善しろ」
最もな意見だ。だけど、話が噛み合わない。
「不自然なんだよ、リオン」
お前の方が、と続けたかったのをぐっと堪えた。彼は、自分と他人の違う部分を指摘されると一気に不機嫌になる。多分、比較されるのがとても嫌なのだ。
「だから、そう思うなら少しは努力を……」
「リオンって、機械みたいなんだ」
「……機械」
呆気に取られた様な彼の表情。
「いつも完璧でさ、感情に流されない…そう、リオンの言葉とか行動ってさ、何か全部計算済みって感じがする」
「そっくりそのまま返してやる。お前達は感情に流されすぎだ」
特にルーティのやつはな。
聞こえるか聞こえないかの声で、そう呟く。普通なら怒りとか侮蔑の感情が混ざりそうな台詞だが、彼の言葉には一切そういったものが感じられない。
強いて言うなら、興味がなさそうではある。
それか、呆れ返ってしまって何とも思わない、という感じか。

「…リオン、何か夢とかってないのか?」

唐突に湧き上がってきた疑問を、躊躇いなく口にする。今、言わないといけないような気がした、それだけの理由だった。
「…お前は、仕官がしたいと言っていたな」
「うん、そうそう…って、俺の事は今関係ないだろ、お前は?」


「そんなもの、必要無い。やるべき事は、いつも与えられている」


「……え?」

今、この少年は何と言っただろう?スタンは一瞬、自分の耳を疑った。

夢など、必要ない。これだ。
彼にずっと付きまとっていた違和感の正体が、ほんの少しだけ垣間見えた。
自分が、さした訳も無く兵士になりたいと夢見ていたのと同じように、人には皆それぞれ夢がある。ある人は高い理想を掲げ、ある分野において自身を高めたいと願うし、またある人たちは……自分の妹もそうだったように、平凡な家庭を築いて穏やかに暮らすことを願うのだろう。
そしてその夢こそが、人々に生きる理由や希望を与える。


なのに目の前のこの少年は今、そんなものは必要ないと言った。

「与えられた事を、正確に、確実にこなしていくまでだ」


普段は太陽の光を取り込み淡く輝くその紫の瞳が、今はまるでこの荒れた空模様を映すかの様に、輝きを失い、暗く沈んでいる。
稲妻が、光る。遅れて、ばりばりと鈍い雷鳴がとどろく。
窓の外に目をやる彼の横顔は酷く冷静で、無感情で、いつもと全く変わりが無かった。

そう、変わりが無いのだ。いつも、どんな時でも。


「……怖く、ないか」
「何が」
外を見つめたまま、彼のその薄い唇が微かに言葉を紡ぐ。
怖い?何を言う、この状況に恐怖しているのはむしろ自分の方ではないか。

この少年は、心まで凍て付いてしまっているのだろうか。

「うちの妹、お前と同い年だけど、未だに雷が鳴ると俺の布団に勝手に入ってくる」
「それは、お前の妹だからだ」
「……そういう、もんなのか?」
「それか、或いは育ちの違いだ」
「リオン!」

外を見つめていた彼が、その声に反応してこちらを見た。
やはりその整った顔には、何の感情も無かった。

「…怖がれよ」
「何を」
「お前、やっぱ変だ、何でいつも無表情なんだ、」
「生まれつきこういう顔だ」

「何で、どうして何も感じない振りをするんだ!」

僅かに彼の表情が曇ったような気がした。ほんの僅かな変化だったけれど、当たりだ、スタンはそう確信した。
その言葉を境に、彼の返事は途切れてしまった。
理由を知りたかった筈なのに、その先を聞くのは躊躇われた。

……まるで、薄く張った氷の上を渡っているような感覚。少しでも動けば氷が割れて溺れてしまう、だから足元を見ることもままならない。
聞いてはいけない気がする。問いただしたら、目の前の彼が壊れてしまいそう。

これ以上は、聞けない。スタンは直感でそう悟った。
これ以上、踏み込んではいけない。踏み込んでいったとしてもきっと、拒絶反応を引き起こすだけ。ここが、限界点だ。


「ごめん……俺には、そう見えたんだ」

スタン自身もまた、限界だった。彼は底知れぬ深い闇を抱えている。これ以上は、今の自分の手には負えない。
自分と違いすぎて、理解してやれない。理解してやりたいと思うより早く、怖いと思ってしまった。
それなら、互いに傷付いて結局何も分からないよりは、今はまだこのままでいいのではないか。
いつか彼がその胸の内を明かしてくれる時が来たら、そしたら沢山相槌を打って、彼が飽きるまでいくらでも話を聴いてやろう。
そう思っている筈なのに、何故か心苦しい。

「…リオン、ごめん」
自分はこの少年から逃げているのだ。真っ向から向き合ってやれない、だから許しを請う。

…彼はそれすら気付いていて尚、気付いていない振りをしているのだろうか。
だとしたら彼は、本当に心を失いかけている。
望みを、絶たれている。全てを、最初から諦めている。
こんなに悲しい事は、他に無い。




「リオン……今日はもう『それ』、終わりにしよう」
スタンは立ち上がって唐突に言うと、デスクの上に並べられた書類の山を真っ直ぐに指差した。

終わりにしよう。彼の見た目にはおよそ似つかわしくない、やけに小難しい仕事も、そしてこの先の見えない押し問答も。

「腹、減っただろ」
「……別に」
「減っただろ、時間も時間だし」
「……だから、べ」
「あー、昨日晩飯に出たマーボーカレー、お前書類書いてたから食べて無かったよな、あれ絶品だったんだ。そういやキッチンにいた奥さん、すっごく綺麗な人だったな。あの人が作ったのかな。ていうか、昨日残った分もルーティとマリーさんにもう食われちゃってたりして……まずい、早く降りないと!」

……自分でも、分かっている。わざとらしすぎる。支離滅裂。
だけどそうやって一方的に喋りつくして、何にも聞こえていない振りをして、ようやくリオンの手首を引っ掴んだ。要は、きっかけが欲しかったのだ。

「ほら、下行くぞ。
もー、羽ペンなんか持って行ってどうするんだよ、そんな物置いてけって。飯食うのに邪魔だろ!」

急に手を引かれて、珍しく足をもつれさせそうになっている彼は、幸いあまり抵抗せずに言う事を聞いてくれそうだ。
あとは、勢いで何とかなる。きっかけなんて、些細な事で良い。

「あれ、あんたたち今更降りてきて、どうしたの?食事なら、先に食べちゃったわよ」
「うっそ、まさかルーティ、あれ全部食っちゃったのか!?」
「あれって何よ、あれって。スタン、あんたの話はいつも主語が抜けてる!」
「何って、一つしかないだろー、そりゃあのマーボーカレーだよ」
「はあ!?あれは昨日の話でしょ!まさか、今日になってまだ残ってるとでも思ってた訳?」
「え…残ってないの?マーボーカレーは三日目からが美味しいって、昔から言うじゃん」
「何その理屈、聞いた事ないんだけど。これだから田舎者は……」
「田舎者かどうかは今関係ないだろー」
「有りよ、大アリ。どうせ、あの綺麗な奥さんが丹精込めて作ってくれた愛情たっぷりのマーボーカレー、また食べたいな…とか思ってるんでしょ?全く、呆れた食指ね」
「っ!!ルーティ、何で分かったんだ?」
「……本当にそんな事思ってた訳!?何それ、目の前にこーんな若くて綺麗で可愛いルーティ様がいるってのに、人妻なんかにべったり惚れちゃって、馬っ鹿みたい!信じらんない!あんた最っ低!!」

「ルーティ、落ち着け。人を好きになるのに、年齢は関係ないらしいぞ。スタンだって年頃だ、時にはそんな危険な情事に憧れる事もあるさ」
「マ、マリーさん…それは、スタンさんをフォローなさっておられるのでしょうか……?」

きっかけは、些細な事。そしてとても、単純なもの。


「うるさい」

不機嫌そうな声が聞こえた。
ああ、彼がやっと帰ってきた。何となく、そう思った。

「こんなヒス女、放っておけ。さっさと行くぞ」
「だ、誰がヒス女よ!」
「他に誰がいる。そこの黒髪の女、お前だ」
「あーっ、もーむかつく!あんたって上から目線でしかもの喋れないわけ!?」
「すまない。生憎、お前ほど格下の人間と同じ目線にはなれん」
「……何よそれ、嫌味!?」
「ふん、僕はそのつもりだが、お前にはそう聞こえなかったか?」

くだらない口喧嘩でも、たわいの無い会話でも、何でもいい。きっかけさえあれば、彼は帰ってこれる。

「…リオンは、難しい年頃なのだな。ルーティ、その位にしておいてやれ。あまりいじめるな」
「難しい年頃、というだけではないと思いますけれど……」


だから、少しでも長くこの世界に彼を繋ぎ止めておきたい。

どうしてそんな事を思うのだろう。彼がいなくなるわけでもない、そんな筈無いのに、何故か目の前の彼は今にもこの光景に溶けて、消えてしまいそうに見えたのだ。



感じた胸の痛みの理由を、何故か今はまだ知りたくない、と思った。


それは、ある雨の日の光景。



    ーA rainy dayー




『消えてしまいそうなリオンと、それを直視できないスタン』。
これが書きたかったのです。
大したオチはありませんが、スタンが旅の間に見ていたリオンはきっとこんな感じ。
一つ前にUPした短編の対になるようなお話です。「死に至る病」はリオン視点、この「A rainy day」はスタン視点での旅の途中ですが、時間軸で考えると、恐らく順番が逆であろうことに今気付きました……
相変わらず詰めが甘くてすみません、お読み頂きありがとうございます!






”死に至る病”



ダークです、ご注意ください。







何故、抵抗しないのだろう?


全ての動作がはっきりと、そして酷くゆっくりに見える。
身じろぎ一つしない自身の父親に馬乗りになり、無意識にその屈強な太い首に自身の細い指を掛けた。
自分は父を殺そうとしている、なのにさして自分が動揺していないことに気付く。肉に指が喰い込む感触、この男の苦悶に満ちた表情も、以前から知っていた様な気もする。
だけど、そんな筈が無い、有り得ない。この男が力で誰かに屈する所を見たことなど、一度も無い。
自身が相手なら尚更だ、リオンはどこか他人事のように、そう思った。
その間も、父はされるがままに自分に組み敷かれ、呼吸が出来ないでいる。
リオンは手を緩めない、否、何故か緩めることが出来ない。

苦しげな表情が一転して、人が息絶える瞬間。急速に低下していく死体の体温を、冷静に確認している自分。
全てに既視感を覚える、その理由がどうしても分からない。ただ、命を奪った両手の感触だけが異常にリアルで、吐き気が襲ってきた。男の死体を直視するのに耐えられず、背を向ける。

何故、あの男は抵抗しない?何故、なすがままに殺される?
気味が悪い、背筋に戦慄が走る。
思わず振り向くと、そこにはあるはずの物が無かった。この世で最も自分が憎悪したであろう男の死体が、無くなっていたのだ。
代わりに横たわっていたのは女性だった。長い黒髪には、見覚えがある。
急に心臓の鼓動が早くなったのが分かる。何故、彼女がここに?僕が手を掛けたのは、父だったはずだ。なのにどうして、彼女がここにいる?
彼女にそっと触れようとする。すると、彼女はゆっくり、ゆっくりと顔を上げた。

   ―― どうして、私を殺したの……? ――

そこにいたのは、この世で最も大切な人。吹き抜けの玄関ホールに掛けられている人物画と瓜二つの、彼女。

   ―― エミリオ、私、もっと生きていたかった…… ――



僕が……ぼくが、ころした?








「リオン、リオンって、起きろ!」


視界に飛び込んできたのは、目に鮮やかな金色の髪と、吸い込まれそうな程透き通った蒼い瞳。耳に付く、自分のおかしな呼吸音。鼓動が早すぎて、上手く息を吸えない。体が酷く火照っているのに、末端は氷の様に冷えきっているのが自分でも分かる。
汗をかいているのに、体の芯は凍えきっている。

「スタン……?」
「あぁー、起きたか、良かったー。リオン、魘されてたけど大丈夫か?」
背中に腕を回して抱き起こしながら、心配そうな声で聞かれた。顔を覗き込まれる。
それでも、強張った体を動かせる様になるまで、何も言えそうになかった。
「……大丈夫な訳、無いよな。ごめん、あんまりしんどそうだったから、起こしちゃった。無理、しなくていいから」
気を遣っているのだろう、ゆっくりと子供に言い聞かせるかの様に語りかける、彼の声。
意識して深い呼吸を何度か繰り返す。家庭教師に剣技を習っていた頃からの、神経を鎮める為の習慣だった。

「もう…大丈夫だ……」
そっと、背に添えられた手を払う。
「…ん。じゃ、ちょっと待ってて。良いモノ、持ってくるから」

そう言って部屋を後にしたかと思うと、ものの数分でドアの向こうから声が聞こえた。
「リオーン、ドア開けてくれたりする?両手、塞がっちゃった」
言われた通りドアを開けてやると、湯気を立てているマグカップ二つを片手で器用に持ち、もう片方の手には大きなタオルケットを抱えて彼は立っていた。
「ほら、これ飲めよ。温まると良く眠れる」
何とはなしに利き手で受け取ろうとすると、わざわざサイドテーブルに自分のカップを一度置いてから、両手で僕の手を包み込む様に渡す。

温かい手。人の温もり、優しさ、思いやり。清くて正しい、真っ直ぐな心。
その純粋な思いの欠片が、空っぽの心に妙に応えた。

「……リオン?どうした、まだ何か思い出すのか」
大きな手がふわりと頭に乗せられて、それから僕の頬をなぞる、その手の動き。
ああ、また自分はみっともなく泣いているのか。しかも今回は選りによって、こいつの前でだなんて。
魘されて飛び起きて、その後は何故か無自覚に、勝手に涙が出る。度々こんな夜を過ごしてきたけれど、まさか夢見が悪いというだけでこんな醜態を、無防備な姿を他人にさらけ出すことになろうとは。

「……優しく、しないでくれ」
「はあ?」
「こうやって手懐けておいて、お前は見返りに何を求める」

自分の底意地の悪さを、嫌というほど実感し直した。
こいつはそんな事を画策する人間では無い。というより思い付かないのではないか。彼が醜い駆け引きとは無縁の世界で生きてきた事、それは長く共に旅をしてきた自分が一番良く知っている。
知っていて尚、こうやって人を突き放そうとする。
誰かに愛してほしいのに、いつかその愛が失なわれるのが、離れてしまうのがとてつもなく怖くなって、たまらなくなって優しさを拒絶する。
こんな人間に愛される価値など、多分、無い。

そっと目だけ上げて、彼の顔を伺い見る。
その表情を見て、思わず顔を上げて凝視してしまった。
彼は、笑っていた。穏やかに、優しく。

「何言ってんだよリオン、お前また何か難しい事考えてるな。
良いから、一口飲めって。ほら、手だってこんなに冷たい。考え事は、元気な時にするもんなんだって」
そう言いながらカップのホットミルクを一口啜ると、舌を出してあちっと呟く。
毒気を抜かれた気分で、何となくスタンに吊られて一口啜る。ほのかな甘みを舌に感じた。そして彼が言う程、カップの中身は熱くなかった。
「……そんなに熱くないだろう」
「え、だって、リオン猫舌だろ?リオンの分は火にかける時間、大分短くしたから」
「……そう、か……」

スタンがそんなに細やかな気遣いをしていたなんて、言われるまで気付きもしなかった自分に、戸惑いすら覚えた。どこまでも純粋で真っ直ぐな彼の優しさが、心に迫る。


甘えられたら、良いのに。何も考えず、この優しさに自分の寂しさを全部預けられたら、どれほど良いだろう。
こいつならきっと、本当の愛を教えてくれる。見返りを求めぬ、無償の愛。
その為に唯一僕に求められること、それはありのままの自分をさらけ出し、心を開くこと。
そして、全てを打ち明けなければならない。父との歪んだ関係も、マリアンへの想いも、オベロン社の目論見も、何より自分自身の空っぽの生き方も、全て。

それは、怖い。
自分の惨めさをこれ以上意識したくなどないし、ましてや他人に話すなど以ての外だ。心配、同情、そんな事をされても事態は何も変わらない。ただ心の痛みを少し和らげてほしい為だけに、人はそうやって互いに傷を舐め合って生きているけれど、そんなまやかしでは決して物事は解決しない。

それに、全てを打ち明けるという事はつまり、否応なしに責任を共に負わせることになる。知らなかったで済まされるほど、世の中は甘くない。知ってしまった以上は、責任が生まれる。連帯責任、という言葉があるくらいだ。
こんな馬鹿げた酔狂に誰かを巻き込む必要など無い。道連れにするも同然だ。
それなら、自身が弱い人間であると自ら暴露することに、何の意味があるというのか。

だから、だから近付けたくなかった。
容赦ない言葉で、態度で傷付けて、彼の自尊心を打ち砕いたつもりだった。今までもそうやって他人を遠ざけてきた。そして、それは自分が思っていた以上に上手くいっていたからだ。
進んで近付いて来る者など、いなかった。不思議なもので、その状態は多少なりとも寂しくはあったけれど、心を掻き乱される事が無いのでとても安心していられた。

なのに、この男は何だかんだと文句を言いながらも、決して僕との関係に一線を引いたりしなかった。むしろ、どれだけ突き放そうとしても強引に心に入り込んできて、僕が他人を遠ざけようとする理由を少しづつ、そして確実に掴み始めている様にも見える。

怖い。

自分のどうしようもない内面を見透かされそうで、そしてこれから僕が何をしようとしているか、今にも気付かれそうで。
だけど、甘えてしまいたいという、馬鹿げた願望。
凍て付いた心は、温もりに飢えている。理性とは裏腹に、奴の小さな気遣いや何てことない言葉の一つ一つに、胸を焼かれる様な痛みと寂寥感を覚え、心が揺れる。

「リオン、最近よく魘されてるな。
疲れてるんじゃないか?それとも、何か辛い事を思い出す……とか」

穏やかな笑みを絶やさぬまま、けれど少し俯き加減で聞かれて、そんな姿を見ると本当に心から自分を心配しているのだろうか、と錯覚してしまいそうになる。

言ってしまおうか。どんな夢を見たのか、繰り返し見てきたそれが何を意味するか。
駄目だ、話してはいけない。今まで隠し通してきた全てが無駄になる。

分かりきっている、些細なことなのに、何故こんなにも心が揺れる?


「……あのさ、グレバム達は飛行竜を使ってるだろ?
あんな大きな物を運ぶのには相当手間と人手が必要だし、飛行竜は目立ち過ぎだ。
それに俺達、いつもあともう少しって所で逃げられてる……まるで俺達の動きを読んでるみたいだ。
きっと、何か裏があると思う。神の眼を使って、何か途方も無く大きなことをやろうとしてる、そんな気がするんだ」

突き放したい
関わらないで、触らないで、構わないで
どうかお願い、気付かないで

「……馬鹿の考え、休むに似たり」
「……それ、この間も言われたけどさ……お前ほど頭が良くないってことは俺自身もよく分かってるつもりだし、そもそも俺のこれは考えたんじゃなくって、単なる勘なんだって。
理由がないなんて馬鹿げてると思うだろうけどさ、リオン。この旅は、長引くような気がする。……だからさ、休める時に休んでおかないと、体が持たない」

そっと背中に触れる手が、優しく上下する。まるで、子供をあやすように。

「お前が自分の事を話したがらないのは、もう分かってるから、これ以上は聞かない。
だけど、無理をし過ぎてグレバムを捕まえる前に倒れちゃったら、元も子もない。
だから、そうなる前に、俺に一言言ってくれよ。
理由なんて今更、一々聞かないから。休みたい時、休みが必要な時にはきちんと休むようにしよう。な?」

やっぱり、気付かれている、もう誤魔化せない
僕が、弱い人間だということに
なのに、どうしてこんなに心が暖かくなるんだろう
誰にも、気付かれたくなかった筈なのに

「……ごめん、こんな夜中に説教じみた事言って。
でもお前、言わないとどんどん突っ走っていきそうで、怖いから、さ」

他人からのお節介には辟易していたはずなのに、お前の哀しそうな顔を見たくないと思うのは何故?

「さ、もう寝よう。俺はここらで一日位休んでも良いと思うけど……どうせお前は、明日も早いって言うんだろ?」

お前にそんな顔をさせるために僕はここにいるんじゃない、そんな風に思うのは何故?

「スタン……」
「どうした。眠れなさそうか?」

もう止めてくれ、これ以上感傷に浸らせないでくれ
お前の優しい声が、僕の心の弱さをむき出しにしていく
その優しさが、僕を苦しめる、僕を死に至らしめるんだ

「……何でも、ない」

「ん……おやすみ、リオン」


なのに、なのにまだお前の声を聴いていたい、なんて





     ―死に至る病―



スタンは見栄も体裁も全部引っ剥がして人の本質を見抜く性質なので、今の坊ちゃんにとっては「手に負えない」厄介な人間。
リオンの見る夢は、心の奥底に眠る色んな感情を整理しようとして、ごっちゃになってしまってます。
殺したいほど憎いというより、愛情が得られないなら憎いと思うしかない、という複雑な心境。
本当は、普通に愛してもらえればそれでいいんです。元々そんなに多くを望む子じゃない気がするし……







―望むなら、永久の安らぎを―








夜の帳が下り 波の音だけが轟々とひびく港
真っ黒な海に 吸い込まれてしまいそうで


幼い頃は、真っ当に怖いと思えていたのに
いつしか この海に吸い込まれて消えてしまいたい とさえ思う様になっていた

あれは背中に もう消す事は出来ないであろう傷が 刻まれる様になってからだろうか

怖くて 逃げ出したくて
でも、どうしても逃げ出せなかった


大切な人に 
同じ思いはさせたくなかった、と言えば
一見それは 健気な思いやりに見えるだろうか

けれど、自分にとっては
唯一 地に落ちた自尊心を保つ為には それしか方法がなかっただけ

見える世界が 絶望に彩られてゆく中で
見捨てられた自分を、例え偽善からでも良いから 愛してくれる人
それを守り通せないとなったら 自分は一体 何処に存在価値を見い出せば良いのだろう

そう思うと 自分の取るべき選択肢は 何時でも たった一つしか残されていなかった
それが 父親の企み通りである事は とうに気付いていた


だけど、知っていたから何だと云うのだ


知ったからと云って 事態を変える事は出来ないのだ
それは 延々と刻み込まれてきた 自分の背中の傷跡が物語っているではないか


逃げる事など 出来ないのだ

解放される条件は 駒である自分が死ぬ事


だから、いつしか

この真っ黒な海が 
いつか自分を呑み込んで 
僕自身の解放をもたらしてくれはしないかと 
淡く望む様にさえなっていた


けれど、運命は皮肉な物で

波に呑まれて、崩れ落ちる洞窟の中で
確かに自分の死を覚悟して、安堵すら覚えながら 意識を手放した筈だ
もう二度と 光を見る事はない筈だったのに

目覚めると そこは整えられたベットの上
体には 丁寧に包帯が巻かれ 手当がされていて

意に反して生き延びてしまった事を その身体中の傷みが教えてくれた



(あのころ・・・僕は、)

何を考えていただろうか
必死に、懸命に空を取り戻そうとした事だけは 朧げに覚えている

だけど 
自分が何を考え、感じていたかなんて 全く思い出せなくて

(多分・・・何かを感じる暇など、無かったんだろう)

戦いに明け暮れる事で 感情が麻痺してゆくままにしていた
そうすれば、その瞬間だけは 心の痛みを忘れられると知っていたから

自分の体がどうなろうと あの頃の自分にはどうでも良かったのだ

だから、何も覚えていない

今まで通り 辛い記憶に蓋をして 自分を押し殺して生きていた


あの時、奴がいなかったら
僕は今頃 どうなっていただろう





「おい、リオン!
探したんだぞー・・・外に出るなら、そう言ってくれよ、」

正に今 頭に思い浮かんだ人の声が聞こえてきて
リオンは声の方へと振り向いた

「少し出る、と言っただろう。お前の耳は飾り物か?」

「出る、だけじゃ何処に行ったかわかんないだろー?
頼むよー、結局俺が怒られるんだからさー・・・」

最近夜の外出はチェックが厳しくなってるんだから、とスタンが付け加えると



「少し・・・海が見たかった。」

そう ぽつりと溢すと
リオンの瞳はいつしか 海の向こうを見つめていた

その瞳には 幾らか寂しさの様なものが滲んでいて
スタンは思わず 彼がまだ少年だった頃によくした様に
リオンの頭にぽん、と手の平を乗せていた

「・・・何のつもりだ。」

少し不機嫌な声で 理由を問うリオンに
スタンは 思ったまま素直に返す

「リオン、なんか寂しそうだったから。
真っ暗な海って、なんか、怖いよな。
これが見たかったのか?」

昼間の方が 良かったんじゃないか?と続けるスタンに
リオンは静かに答えた

「今はもう、怖くも何ともないな。
幼い頃から、良く眺めていた・・・

それに、以前は、このままこの海に呑み込まれるのも良いかと思っていた。」


それは 淡々と事実だけを述べる様な 至って事務的な口調

けれど、聞く者に取っては
彼の心に未だ残る闇、忌まわしい記憶を彷彿とさせるもので
スタンは途端に情けない表情になる

「・・・ごめん、変な事言ったな。悪い。」

それを聞いても リオンは表情一つ変えず
そっと 自分の頭に置かれた手を払って

「構わん。それに、今はもう何とも思わないからな。」



こいつが居るから、今の僕がいる
今こうして、何とか命を繋いでいる
そして 唯一愛する人を守り 悲しませずに済んだ

死んでしまったら、守りたいといくら願っても もう自分の手では守ってやれないという事
人を愛し、また愛される事
そんな当たり前の事を こいつは至極真剣に 僕に教えていった

それは 僕が一番必要としていた物



ありがとう、はもう言い尽くしてしまった
それなら

「行くぞ、スタン。
もうそろそろ、門番がうとうとし始める時間だ。・・・腕が鳴るな。」


せめて、こいつを心配させないように


「おう。
・・・って、まさかお前、またしごくつもりか?」

揃いの仕官服に着けた 愛用のマントを翻して リオンが城へと歩き出すと
すぐ横に追い付いてきて 肩を並べて歩く

「リオン、後で見張り番に泣き付かれるのは俺なんだけど・・・
お前、もうちょっと、自分の立場を自覚しろよ・・・次期七将軍だろ?
皆、お前を見ただけで震え上がってるぞ?」

嗜めるように言うスタンに リオンはつん、とそっぽを向いた

「ふん、副隊長であるお前が普段からちゃんと教育しておけば、そんな事にはならない筈だな。」

リオン、相変わらずキツいなぁ・・・とぼやきながらも 
足並みを合わせて 隣に並んで歩いてくれる そんな存在




永久の安らぎなど 僕はもう求めない
こいつとの約束を 破る訳にはいかないから

(スタン・・・お前にだけ、)

僕は 本当の事を話せるんだ

だから、覚えていてくれ
僕の事を 僕がこの世に存在していた事を
その意味を その証を






望むなら、永久の安らぎを 





『色のない夢』の後日談的な、蛇足的な物を兼ねてから書きたかったのです。
リオンがあの後仕官していたら、やはり順当に七将軍候補だった事でしょう。スタンはそんな風に生き急ぐリオンがつい心配になり、後を追って軍に入ってしまいそう。
二人が数年程、歳を重ねたイメージで書きましたが、伝わっていますでしょうか…?

楽しんで頂けたなら、これ幸いです。







「リオン君?こんな所で、花見かしら?」

背中から掛けられた声は 馴染みのある声

振り向くと 月の光に照らされた 薄紫の彼女の髪が 風にそっとなびいていた




―桜に寄せて―


「何か用か、イレーヌ。」

敢えて冷たい言葉で 突き放そうとしてみると
腰に下がっている愛剣が 嗜める様に声を上げる
『坊ちゃん、駄目ですって、そんな言い方。相手は女性ですよ?』


「用が無くちゃ、リオン君に声を掛けてもいけないのかしら?
私も夜桜が見たかっただけよ。」

この剣を扱えぬ者には 聞こえない筈の声
それに同調するように
朗らかに笑いながら返す彼女には 上手く返す言葉が見つからなかった

隣、いいかしら?と自然に並んだ彼女の表情を ちら、と伺い見れば
その美貌までもを上手く使いこなして 自分の能力を最大限に発揮して生きる彼女らしい 自信に満ち溢れたその横顔

ほんの僅かに 心を掠める羨望の思いに気付き リオンは小さく溜息を吐く


「あなたでも、桜を見たいと思うのね。」
唐突に 少し突っかかる様な言い方をするイレーヌの真意が図りきれず リオンは不愉快そうに顔を歪めた

「どういう意味だ。」
「どういう意味って、そのまんまよ。意外って思っただけ。
・・・嫌ね、そんな顔しないで?」
からからと笑う彼女にはきっと 他意はないが
リオンは自分の時間が侵害された事が気に食わなかった様で

「監視のつもりなら、もっと腕が立つ奴を連れて来い。」
それだけ言うと、もう話すつもりはない、と言いたげに 公園の奥へと歩を進めた


「リオン君、」
再び背中に掛けられた声に
またか、と多少うんざりしていたものの、歩みを止めると

「桜の枝はね、勝手に切ってはいけないのよ。
ここの法律で、そう決まっているの。」

そう言って 妙に切り口の鋭利な枝を持つ右手に そっと触れる彼女
思い当たる節のあるリオンは 一瞬躊躇うが、直ぐに頭を回転させて応酬する

「落ちていた物を拾って何が悪い。」
仏頂面でそう誤魔化してみれば

「それなら、仕方ないわね。
ただ、誤解されない様に気を付けてね。」
ふふ、と可笑しそうに笑うと
人差し指を立てて自分の唇に当てて 内緒、という仕草をする
子供染みた仕草でも、イレーヌ程の美人なら絵になるな、とぼんやり思っていると


「桜、彼女に見せてあげたかったんでしょ?」

鋭く核心を突かれ 瞬く間に言葉に詰まる


「何の事だか、分からんな。」
適当にはぐらかそうとしてみるが、聡明な彼女の事だ、何の裏付けも無くそんな事を言う訳もない

(一体、何処まで知っているんだ?)

尻尾を掴まれぬ様、余計な言葉を返さずに黙りを続けていると


「桜ってね、一年に一度、それも春にしか花が開かないの。
季節を知らせる役割なんでしょうね。」

誰にとも無く、という風に空を仰いで 言葉を紡ぐ彼女

「一斉に咲いて、必死に春を訴えてね。
一週間も経てば、全部散ってしまうのよ。

・・・ここに花見に来る人達は皆、何とかしてこの儚さを手元に残しておきたいって思うんでしょうね。」

そうやって、枝が折られてしまうから
法律まで作られているのよ、と付け足しながら
彼女は海を見渡せる柵に手を掛けて 此方を振り向く


「でも・・・
直ぐに散ってしまうからこそ、この光景は人々の記憶に、鮮明に焼き付けられているんじゃないかしら。」

一年中咲いていたら、有り難みもないでしょ?と 茶化しながら言うのを聞いて
腰から下げた剣が 黙っては居られないという風に声を上げた

『それじゃ、身も蓋もないじゃないですか!一年中咲いてたら価値が下がるって訳じゃないでしょう、ねぇ、坊ちゃん?』


(・・・この剣、いよいよ空気も読めなくなってきたか)

今まで散々、剣の癖に、と罵倒してきた所為だろうか と思いながら
その的を外れた言葉など 聞こえなかったかの様に無視すると 彼女の真意を問う

「・・・イレーヌ、何が言いたい。」

すると一言、

「マリアンさん、」
とだけ言って 此方の反応を伺おうとする


「彼女、素敵な女性よね。
きっとあなたの事、家族の様に大切にしているわ。見ていれば分かるもの。

でもね・・・私の事も、少しは覚えていて欲しいの。」

「今更、そんな事を言うのか。」

女性からちやほやされる事に慣れ過ぎているリオンが 馬鹿馬鹿しい、と切り捨ててしまうと

「今だから、じゃない?
年は離れているけど、私達、幼馴染みでしょ。」

悪い話じゃないと思うけど、と
付け加えながらも 彼女が真剣な顔付きをしないのは、きっとどんな言葉が帰ってくるか 初めから読めているからだろう


目の前の彼女は 僕がこの先どんな役を果たすのか まだ知らないのだろうか

(知っていたなら、こんな話は普通しないだろう)
けれど、もしかすると
ヒューゴから、念押しするように命令されているのかもしれない
そんな風にふと思うと

(逃げ場など、ないのだろう?)

自嘲の笑いが込み上げてくるのを抑え切れず、息を吐いた

それを見ると 彼女は少し拗ねた様な顔をして
「嫌ね、そんなに笑わなくても良いじゃない。
私は一応、一世一代の大勝負をしたつもりよ?」
そう言いながら こちらへと歩み寄る

「あなたも、早く休みなさいね。
任務に支障が出ては困るわ。」

一瞬、はし、と目が合ったかと思うと
彼女はすらりとその髪をなびかせ 屋敷の方へ歩いて行ってしまった



(直ぐに散ってしまうからこそ、記憶に、鮮明に焼き付けられる)

手に握り締めた桜の枝を見つめながら
残された言葉を ふと思い返す


(絶命する、と云うのは、さぞかし人の記憶に残るのだろうな)

そんな 馬鹿げた考えが頭をもたげている事に気付き、頭を振った
まさか 儚い生を受けた桜花に、自身を重ねているとでもいうのだろうか


だけど それ程までに
彼女の記憶に 僕の生を焼き付けてしまいたい と願う自分が此処に居る

君の為に命を落としたと分かったら
君は僕の事を 決して忘れられなくなる
君が僕の 唯一の心の拠り所


(身勝手、だな)

改めて客観的に見れば 自分にとって特別な存在でも
彼女からしたら 単なる給仕先の気難しい坊ちゃんの機嫌を取っているだけという可能性もある
事実、マリアンは同情の目で自分を見ているのかもしれない
正しい愛を知らない自分には その違いが分かる筈も無く


(分からなくて、良いんだ)
分かった所で、何を変えられるだろう

死の輪舞曲を奏で終えるまで
突き進むしか 道は残されていない
それなら 何も分からないままの方が きっと幾分か 幸せでいられるのだろう


(マリアン・・・、)



言葉にならぬ思いを 桜の花びらが舞い落ちる景色と共に 胸に刻み付けながら

枝を持つ手を 海の真上に伸ばし 手を放すと
重力に逆らわず 只々それが海に沈んでいくのを 静かに眺めていた




ー桜に寄せてー

end.





夜桜を見ている内に急に思い立って、ざざっと書いてしまいました。
綺麗ですよね、桜。
毎年、夜桜を写真に納めようとして失敗しています。
どうしたらあの儚い感じが出るのでしょうか。

"自身の死"にすら、陶酔するしかない坊ちゃんが書きたかったのです。
思い切って現実逃避出来れば楽なのでしょうが、マリアンの命が懸っているのでそれも叶わず。
正に、危うい少年剣士のキャッチコピーそのままです。






「スタンの鎧は、どこで手に入れたのだ?」
きっかけは マリーのそんな些細な言葉だった



―彼の緋色のマントには―



「これ、ですか?」

戦闘が終わり、急に言われたスタンは
両手を広げて、自身の体を見回してから答えた

「村の誰かに譲って貰ったんです、リーネじゃこんな物売ってないし…
多分ファンダリアで手に入れたんだと思うんですけど」
剣の稽古をしているところを 毎日のように見られていたので、と付け足しながら

「マリーさんのは、どこで?」

聞き返すと マリーは変わらず無邪気に
「さぁ。気が付いたら身に付けていたからな」
と さらりと重大な事実を言ってのける

ルーティが
「何て事聞くのあんたは!」と小声で非難しながらスタンの腕を小突くと、
「いっ!…マリーさんすいません、変な事聞いちゃって…おいルーティ、やめろって!痛いよ!」
若干裏返った声で痛みを訴えるスタン



(うるさい…煩すぎる)
その中で一人、既に額に青筋を立ているのは 
これらの三人を束ねる セインガルド客員兵士、リオン・マグナスその人だ

(電撃を見舞っても煩い、だが放っておいても煩い…

…つまり打つ手が無い!)



自然と眉間に皺が寄る
こういった時のリオンの瞳の鋭さは尋常ではない

城内で働く者の中では"セインガルドの薔薇"だなんて 爽やかな通り名ではなく
"絶対零度の眼差し"と呼ばれ、常々怖れられているのだが


「お前ら、この場で切り捨てられたいのか…」
そう呟き、すらりと愛剣であるシャルティエを抜き放つと、
ぬらぬらと光る刃を向けられている事に気付き、スタンとルーティが急に萎縮し始めた

「ちょっと、人に何て物向けてんのよ!」
「うわっややややめろよ!ていうか怖っ!目が座ってるよこいつ!」


だが 先頭に居た筈のマリーは こちらを振り向きはしたものの
刃を向けられても特に物怖じもせず、動揺もしていない

(あいつ…自分が何を言われているのか、分かってるのか…?)
その姿に余計にカチンときたリオンが
「お前ら、罪人らしく少しは黙っていられないのか…
一人位減ったところで問題は無いんだぞ?」

と脅す様に言うと

「分かったよ!もう何にも言わないから、な!それしまってくれよ!」
と 命乞いをするかの様に言うスタン
その横でルーティは「ちっ…」と舌打ちをしながらも、口答えはしないようだ


その後ろから
今正に「黙れ」と言った筈なのだが

「リオンのそのマントは、男性にしては珍しい色だな」

という 何とも間の抜けた声



「マ、マリー…さん?」

スタンが まずい、と青い顔をして振り返るその意味も よく分かっていない風で
「洋服にも、赤や金や、紫が入っていて…綺麗だな…」
もう一度 まじまじとリオンを見ながら続ける


「どこで、その服を手に入れたんだ?」


((やっちゃったー…))

スタンとルーティが思う
マリーを以前から知っている者なら、こうした無邪気なマリーの反応には慣れた物だったが

リオンのように会ったばかりの、それもまだ年若い しかも何かとささくれ立つ少年から見れば
その言葉は 話を聞く気が無いと取られてもおかしくない

(スタン、あんた何とか言いなさいよ…!)
(何をどうしろって言うんだよ…!)
互いに腕を小突きながら、
ぼそぼそとリオンに聞こえないように言い合うが



「…それに答えたら、今後一切その無駄口を叩かないと約束できるか?」

とうとう、堪忍袋の緒が切れたのか
口元を吊り上げながら 剣先をはっきりとマリーに向け、
リオンはその"絶対零度の眼差し"でマリーを射抜く

「や、やめろよリオン!」
一応スタンが呼び掛けるも、二人には最早聞こえていないのか

「あぁ…お前と語り合えないのは少し寂しいが…分かった。約束しよう。」
言葉の通りに 眉をハの字に寄せて切なげな表情をするマリー



((いや…それ、違うって!))
声を大にして突っ込みたくなる衝動に駆られるが
(あんたが言いなさいよスタン!)
(俺が言ったって聞かないだろ二人とも!)
責任のなすりつけ合いが始まるともう止まらない



すると

リオンが とうとうその重い口を開く


「分かった 答えよう 
これは 僕の仕官が決まった時に 仕立屋に作らせた物だ」

出来の悪い生徒に言い聞かせる様にゆっくりと そして怒りの篭った低い声で

それを聞くと、何故かマリーは一層悲しげな顔になり 質問を更に返す

「リオンの好みの物は無かったのか?」


(マリー、さん…?)
(しーっ、あんた黙ってなさいよっ)
(何か言えっていったのはお前の方だろ?!)
(うっさい!)
小突き合い合戦も白熱してきているが、
リオンから発せられる怒りのオーラが余りに強すぎる為、小声のままだ

そしてリオンの方は、最早やけくそといった感じで 怒鳴るように言葉を続けた



「あんな動き辛い支給品、誰が着るか!
それに色が悪い、どうせ着るなら誰だって鮮やかな色を入れたいだろう!」





その言葉を聞いた途端、ルーティが何かを察したのか、急にニヤニヤと笑い出す



「…なんだ、気味が悪い」

マリーから剣先をずらさず、ルーティに目線だけくれてやると


「…それってもしかして、"あの"リオン"様"は、薔薇のように華やかな、パステルピンクがお好み、って事かしら?」


下世話な笑顔を浮かべながら 嫌味を込めて言葉を強調して言うルーティ

今更ながら、しまった、とリオンは自分の失態に気付いた
が、聞かなかった事にしてくれと言って通じる相手ではない


(僕が自分で色を選んだなどと、誰に言えるか…!!)



自分で着るのだから、と意気込んでみたはいいものの、実は一度
どうしても色遣いに迷ってしまい、相談する為にわざわざマリアンを呼び出して、仕立屋に来させた事があった

"エミリオ…色遣いとしてはすごく、綺麗なのだけれど…"
と前置きされてから

"上下白い服に、金の縁取りとピンクのマントは 少し…女性らしいイメージかもしれないわ"
と やんわり言われたのだ

マリアンの勧めで、服の色を青に変えてみると
思いの他、仕立屋の反応が良かったので
自分のセンスがおかしかった事にようやく気付き、顔から火が出る程恥ずかしくなった

だが仕立屋がいる手前、
散々悩んで決めたマントや 装飾部の色を今更変えるのも それはそれで恥ずかしい

もう後には引けず

"この色で頼む"
そう言う他無かった、などと
この面子に 打ち明けられる筈もなく



「…そんな訳、無いだろうが…っ!」

言葉に動揺が現れないように努めつつ、リオンはただひたすらその鋭い眼差しで三人を睨みつける

だが それに構う事無く
何故か安堵の表情を浮かべながら
「そうか…それは良い事だな。
自分の好きな色を身に付けていると、元気になると言うからな。」
またも後ろから ぽんと投げ出されるように出てきた マリーの言葉
そして

「リオン…それ、自分で選んだのか…?
俺だって、選択肢は少なかったけど鎧を貰う時は真剣に選んだぜ?」
と呟くスタン

リオンは思わずかっとなって

「煩い!僕だって真剣だったさ!」
と 怒鳴ってしまった



売り言葉に買い言葉とはこの事だ




はっきり言い切ってしまってから、しまった、というように唇をきつく噛むリオンを見て

(墓穴をほったな…リオン)

そんな反応をしたら、肯定しているようなものだ

ルーティに絡まれるリオンの姿が容易に想像が付いてしまう
弱みを握ったとばかりに、嫌らしい程ニヤニヤと笑うルーティを横目に スタンは遠い目をして

(…どんまい。)

彼女に絡まれるとロクな事にならないのは、獄に入れられた時に身を持って痛感したのだ
心の中で、リオンの健闘を祈りつつ

「さ、行かないと!神殿で何が起きてるのか確かめるんだろ?」

その言葉に、ようやくメンバーが反応したのを確認して、スタンは歩き始めた


…後ろで何やら、ルーティとリオンが酷い言葉遣いで痴話喧嘩をする声を聞きながら。




彼の緋色のマントには.end☆





PS版Dのステータス画面を初めて見た時、
白馬の王子様じゃないか…!と衝撃を受けたのを思い出します。
自分で選んだとしたら壊滅的なセンスの持ち主である事は明白です。
そんなリオンも悪くない、と思う、今日この頃。






田舎には
ガスも無い、電気も無い、水道も無い
大道芸人達が そんな歌を歌いながら
通りを練り歩くのを 幼い頃に見た事がある

何故そんなくだらない事をこの僕が覚えているかって?

そうだな、幼い頃からダリルシェイドで何不自由なく過ごしてきた僕にとっては、余りに現実味が無かったからだろうな

最も、そんな場所が本当にあるとは思わなかったが…



―リーネの常識―


「俺は酒飲めるけど・・・皆は?」


事の次第を説明するとこうだ

物資の補給の為に立ち寄った小さな街で
宿屋の主人とつい話し込み意気投合してしまったスタンが、
「今日は何でも好きなもん喰ってけ!」と主人に背中をバンと叩かれ、やったぁ!と叫んだ後、
こちらを振り向き、上記のような言葉を発した訳である


小さな街ではあるが、ここは確かにセインガルド領の一つの筈…

店の壁には確かに
"セインガルド領法
お酒は20歳から"と貼り紙がある

ぎょっとしてメンバーを見回すと、
口をぽかんと開けているフィリアとマリー、表情から戸惑いが隠しきれていないウッドロウ

そして何の躊躇いもなく、ここぞとばかりに
「今日は無礼講ね!!あたしブルーハワイ!」と手を挙げながら叫ぶ、馬鹿守銭奴、もといルーティ


(この馬鹿者…っ!!)
「この馬鹿者っ!!!」


思うと同時に叫んでしまうとは、僕も些か冷静さを欠いているが
そんな事はこの際どうでもいい!

「お前…あの貼り紙も読めないのか!?」
指で示すと

「えっ…何の事?」

「とぼけるとは、中々いい度胸だ…」
頭に血が上るが、ここで突っ込んだらきっと奴の思うつぼだ
そんなやり取りを見兼ねてか、フィリアとウッドロウが助け舟を出す


「スタンさん、私は聖職者ですので、お酒は遠慮させて頂きますね」

「気持ちは分かるが、リオン君もいる事だし、また次の機会に頂こうか」

よし、お前ら良くぞ言った!と、内心ガッツポーズを決める
セインガルド客員剣士の肩書きを負って、何食わぬ顔で未成年飲酒を見過ごす事など決して出来ない、否、したくない!

だが、本当の悪夢はここからだった


「えっ、リオン…お前、下戸なの?」


…こいつは一体、何を言っているんだ?
とうとう頭のネジがぶっ飛んだか?

「…あの 貼り紙が 読めないのかと、聞いているのは 僕の方だが…?」

怒りに任せて詰め寄るが
この馬鹿…いや、スタンは何の事か分からないといった表情だ

「いくら何でも文字は読めるよ!
 リオン、それ…俺の事、馬鹿にしてるのか?」

スタンの語気が少しづつ荒くなっているが
そんな事知るか
この愚か者に事の重大さを思い知らせてやらなければ!

「お前は…僕の目の前で、
セインガルド客員剣士の目の前で、
未成年飲酒の罪を犯す事を何とも思わないのか!!」

下戸だとか体質的に飲めないとか、そういう次元の話ではない!
法で定められているんだから!

ぽかんとした顔でこちらを見つめるスタンの、呆れる程の緊張感の無さに、怒りが頂点に達する

と、スタンは、よく分からないといった風に眉を寄せて



「あのさぁリオン…"みせいねん"って、どういう意味?」




空気が凍りついた

「スタン…あんた、そんな事も知らないで皆に酒を勧めた訳…?」

いの一番に話に乗ったお前が言うか、と内心突っ込みたいが、重要なのはそこじゃない

「スタン君…セインガルドでは、20歳未満を未成年と呼び、酒を飲む事は出来ないのだよ」
優しく諭すようなウッドロウの言葉を聞くと、スタンは目を丸くした

「えっ…何ですかその決まり!聞いた事ないですよ!」

「あの、スタンさん…フィッツガルドでは、そういった法律は無いのですか?」

フィリアが恐る恐る尋ねると
スタンは、これは困った時の癖なのだが、頭を掻きながら答える



「…リーネでは寺子屋を卒業したら祝いの席で皆飲まされるんだ、で、"飲めない奴はまだ子供"、みたいな感じで…

だから飲んじゃいけない年齢とか、特に決まってなかったんだけど…」

ノイシュタットなんて都会だし殆ど誰も行ったこと無いから、
もしかしたらリーネの皆が知らないだけで、実はちゃんと法律があるのかもしれないな、と
真剣な顔つきをして付け加える



「それってさぁ…」

ルーティが白けた顔で一言


「リーネの中だけの常識、でしょ?」



その言葉に、意図せずとも皆揃って頷く

仲間達の、珍しく息の合った様子を見て察したのか
スタンは悲鳴にも似た声を挙げる

「そ、そんな…っ、うそお!!」





それからその晩、奴は僕から見ても哀れなほど、
ルーティに田舎ネタをからかわれていた


「あんたの村、電報なんてなかったでしょ?」
「何だよそれ、ルーティ、リーネをあんまり馬鹿にするなよ?!」

「じゃ、急ぎの知らせはどんな方法で伝えるわけ?」
「そりゃ…っ

…もちろん馬だよ!人よりもずっと早いし…
いや違う、村長の家にいる伝書鳩が一番早いかな…」

「あっはははーっ、鳩?鳩ですってー?信じらんない!
クレスタはちゃーんと電気技師がいるから、ダリルシェイドとの繋がりはバッチリよ!その瞬間、直ぐに知らせを受け取れるんだから!」

スタンも負けじと返すのだが、いかんせんどこからどう見てもルーティに分がある為、些か言葉に詰まっている

「…っと、都会の人ってさぁ、いつもせかせかしてるけど、そんなに急いで意味あるの?
お知らせだけ来たって…そ、そうだよ、知らせたい相手が帰ってくるまで、時間掛かるだろ?」

「ばっかじゃないのあんた、だいたいここいらはみんな街で働いてるし、居場所が分かってるんだからすぐ伝わるわよ。
あんたの村みたいに、"羊の放牧で2、3日帰って来ませ〜ん"なんて事、有り得ないのよ!」



食堂から廊下まで響く高笑いに、皆閉口しきりである

スタンとルーティを除いたメンバーに、リオンは上司として指示を出す

「…先に、眠るぞ…明日も早いんだ。」

彼の言葉にメンバーは皆無言で頷き、各々の部屋に帰って行った
その様子を見て、リオンは一人溜息を吐いた

(この文明開化の時代に、そんな場所が実在しているなんて…)

オベロン社もまだまだ事業を開拓する余地がありそうだ
最も、僕は絶対に住みたくないがな…



スタンにとって、この夜は長くなりそうだ、と、哀れみの目を向けながらリオンは自室へと向かうのだった








リーネの常識.end☆





田舎の豊かさを知らない坊ちゃんにとっては衝撃的かつ非現実的。

因みに私はスタンの気持ちに近いです。
ビジネスマンがカフェでコーヒー飲みながら電話しながらPC打ってるのとか見かけますが、
そんなに急いでどうするっていう派です。
都会には馴染めません。
田舎の新年の集まりなどの、無法地帯さ加減が大好きです。
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