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色のない夢
  硝子細工の獅子


1.






冷たい 秋の終わりの夜を思わせる 紫水晶の瞳

触れたら 壊れてしまいそうで 
儚くて放っておけない後姿

それでも 強く、強く 大切な人を想っている
痛々しい程に気高く 真っ直ぐに伸びた背筋
罪も罰も ただ一人、愛する人の為なら
全てをその身に背負ってみせると
覚悟を秘めた 鋭い眼差し

そんなに華奢な体で、繊細な心で
何もかも抱え込まないでほしいと、そう思う
人には皆、弱さも 優しさも あっていいんだと
こんな言葉 どんな時なら 彼に伝えられるのだろう
何時なら 彼も素直に 受け取れるのだろう


気が付くと何時の間にか 
カーテンの隙間から差し込む 月の光
ベットに横たえられている少年は 
青白いその光を受けて、
まるで死んでしまったかのように眠り続けている

白い、陶磁器のような肌
血の気のない 青ざめた唇からは 微かに荒い吐息
柔らかな黒髪は うっすらと滲む汗で額に張り付いている
その首筋に そっと手の甲で触れてみる
何時もよりずっと高い体温に 思わず眉をしかめてしまう

(熱が、高いな・・・)
ベットの脇に備え付けのテーブルに置かれた 氷水を張った たらいに 自分の手を数秒浸す
突き刺すような冷たさに 手が慣れてきたところで
乾いたタオルで水を拭い 少年の額に その冷え切った手を乗せてやる
(タオルを絞ってもいいんだけど、冷たさにびっくりして跳ね起きちゃったら可哀想だ)
そんな単純な動作を繰り返すうちに あっという間に日が暮れてしまった
(早く、熱下がるといいけど・・・リオン、苦しそうだ)
スタンは 少年の額から手を離すと、また氷水へと手を伸ばす

たらいの水を 何とはなしに手で ゆっくりとかきまぜながら
水が微かに撥ねる音を聞いていると 否応なしに思い出される 苦い記憶


あの仄暗い海底洞窟で この少年に剣を向けた自分
それは 確実に説得の意思を伝える為に残された 最後の手段だったのに
彼にはその思いは伝わらなかった 素早く抜き放たれる 彼の剣
有無を言わさず切られた戦いの火蓋 血を流し 倒れ込む彼の姿
そして 蘇ってしまった 古の天上都市
誰もが この少年の死を覚悟した

(アクアヴェイルに漂着してるって、ジョニーさんから使いが来て・・・)
それは 信じられない程の確率の奇跡で
(ルーティ・・・この目で見るまでは絶対信じないって言ってたな)
それ程 現実味のない報告だった

既に”裏切り者の客員剣士”と噂されていたリオンは 仮にセインガルドに漂着していたら 
恐らく 怒りの行き場を無くした過激な暴徒に弱りきったままで襲われ 命を落としていただろう
ところが何せ 彼はアクアヴェイルに伝わる”宝剣”と共に漂着したのだから
そういう意味で ジョニーは「奴ぁ運が良かった」と呟いた

だけど肝心の本人は 生き延びた事すら後悔しているといった有様で
命に拘わる程の深手を負っているのに ろくに治療も受け付けず 安静にしていろと言っても聞かず
一刻も早く青空を取り戻すためにと 戦いに明け暮れていた

(あの頃のリオンは・・・誰が何を言っても聞かなかった)
いくら戦うのを止めさせようとしても 彼は頑として聞き入れなかった
”僕には 自分が引き起こした災厄を終わらせる義務がある”
そんな風に 今まで以上に冷たく凍て付いた瞳で言われて
返す言葉が 何一つ浮かばなかった

それは 誰も代わってやる事の出来ない 彼自身の”業”で

それなら なおさら一刻も早く 決着をつけようと言ったのはルーティだった
”あんの馬鹿・・・それなら初めから私達に頼れっつーの・・・”と憎まれ口を叩きながら
それでもその言葉には 血の繋がった弟への愛情が篭っていて
責任を感じて自身を追い詰めてしまう弟を 早くその呪縛から解き放ってやりたかったんだろう
それ程迄に あの頃のリオンの神経は張り詰めていた

結局 空を取り戻すまで、
「せめてもの罪滅ぼしを」と語るリオンを 誰も止めることは出来なかった

『リオンよ 余はシャルティエのマスター 決戦の際に欠かせない貴重な戦力であるぞ
 罪滅ぼしを、と望むなら せめてその傷を癒し 時が来るまで英気を養ってくれまいか』
陛下にそう助言されても リオンは頑なだった
頭も上げず 平伏の姿勢を崩さないまま
『私は そのような王の恩情には値しない者です』と言うばかりで


思えば あの時に気付くべきだったんだ
リオンの 異変に
彼のその 異常なまでの 自分を罰する事への執着に


空を取り戻した後も彼は 何かに取り憑かれたかのように 
自身を酷使することを止めなかった
客員剣士の名も 国王による査問の前から返上し
オベロン社跡継ぎ候補として 社に向けられる非難を一手に引き受けた
セインガルドへ、また世界への正式な謝罪、民事賠償の為の準備、社の解体、街の復興事業
世界的大企業が起こした前代未聞の不祥事は
せめてもの一時的な解決をもたらすだけでも 途方もない時間と労力の必要な激務だった

きっと 自分が生きて帰れるなどとは 思っていなかったのだろう
『こんなはずじゃなかった・・・』と 頭を抱えてぼやきながらも
眠る暇も無いほど あちらこちらへと飛び回っていた
しまいには『突っ立ってないで働け!』と理不尽に怒鳴られ
俺まで あちこちへ使いに駆り出されていた

どの道 神の眼破壊に携わったメンバーは
今回の騒乱の報告書を作り、レンズの取り扱いの方針が決まるまで、ダリルシェイドを離れられないらしく
しばらくリーネには帰れそうにない状況だった
それでも、実際ルーティなんか孤児院の修繕のために帰りたいと無理をいって
クレスタとダリルシェイドを行ったり来たりしている辺りを見ると
無理やり頼み込めば きっと少しの間、リーネに帰ることも出来るのだろう

けど、どうしても俺はそう考える事ができなかった


だって 彼は 何時になったら休むつもりなんだろう
今までだって 誰が見ても戦うには無理がある その怪我を押してまで 
休む暇も無く戦い続けてきたのに
生きて地上に帰れた”今”、 彼には余りに”仕事”が多すぎる

いつか 彼が壊れてしまうのではないか
得体の知れない、言いようの無いそんな不安が 心の端にいつもあった
その不安が とうとう的中してしまったのが 昨日だった



『スタンさん、リオン様がっ・・・!!!』

あの悲痛な声は 未だ鮮明に耳に残っている
忙しいリオンの身を案じ、『私には身寄りが居ませんから』と 
体の良い理由を告げて屋敷に残ってくれていた メイドの女性の声だった

彼女が幾ら言っても聞かず、なりふり構わず仕事に行こうとする、
私ではもう止められません、と
丁度、使いが終わって帰ってきたらそんな風に言われ 背筋が凍る思いだった
一体何があったのか たまらずリオンの部屋へ走った
ノックをするのも忘れ、ドアを開けた

そこには 傍目から見れば いつもと変わらないリオンが居た
年の割りに華奢で すらりと伸びた手足と小さな頭

だけど 普段のリオンなら 俺がノックもせずにドアを開けようものなら
いの一番に『この田舎者!』と怒鳴りつけるはずなのに
表情を見られたくないのか、俯いたままで窓の方に向き直り、一言も言葉を発さなかった

何かが 変だ 何かが おかしい


「リオン・・・?」
俺が 掛ける言葉を探しあぐねて 名前を呼ぶと
聞こえてきたのは 思いもよらぬ言葉

「お前も、笑えば良い・・・」

何かが 確かにおかしかった

「お前も 僕の事を病人だと言うんだろう・・・」
俺の表情を伺うように そっとこちらを向いた彼は 確かに青白い顔をしていた

けれど それだけでは済まされない、言葉を発するのも忘れてしまう程に
何か 異質な物を感じる
何処か遠くを見ているようで 焦点が合わないのに不安げに見開かれているその瞳

「リオン・・・どうした?」
そんなありきたりな言葉しか 浮かばなかった
余計な事を言うと 彼が壊れてしまいそうで 怖くて
せめて、彼を受け入れている事を 声で、表情で伝える他なかった

しばらく黙り込んでいた彼が、何かを決心したかのようにようやく一つ 息を吐いた
と思ったら そうではなかった
急に俯いて体を折り、口元に、胸元に手を当てて
あっという間に荒くなっていく呼吸を 必死で抑えようとしている

張り詰めていた部屋の空気は 瞬く間に リオンの苦しげな
荒い呼吸音で満たされていく
考えるより先に 体が反応していた 崩れ落ちそうになるか細いその体を
ギリギリの所で何とか支え、声を掛ける

「リオン・・・っ、息を、ゆっくり・・・!」
掛ける言葉も最早届いていないのか、蒼白な顔をして
冷たい床に ぐったりと座り込むような姿勢になってしまった
手足に力が入らないのだろう 
体を全て俺の腕に預けてしまい、酷く浅い呼吸を繰り返している
唇や手からもどんどん赤みが失われて、指先は氷のように冷たくなっていく

彼の 折れてしまいそうな程華奢な体を 慎重に床に横たえて
スタンは自身の両手で リオンの口元を緩く覆った
焦点の定まらない 虚ろな瞳から 苦しさのあまり
涙がはらはらと 堰を切ったように零れ落ちる
その耳元でそっと スタンはただひたすら繰り返した

「大丈夫・・・ちゃんと呼吸できるから・・・大丈夫・・・」

何度も咳き込み 呼吸がその度に浅くなってしまうリオンに
スタンは辛抱強く 「大丈夫」と声を掛け
少しでも二酸化炭素を取り込めるように 口元を覆ってやる
そうしてようやく 呼吸が落ち着いてくると
耳元で繰り返される言葉に ようやく安心したのか
リオンはそのまま 意識を失うように眠ってしまった

(良かった・・・取りあえず、眠ってくれた)
そう一人ごちて スタンはほっと溜め息を吐いた
(フィリアに教えてもらったんだっけ・・・ルーティの時に)

飛行竜で 意識を取り戻したルーティが リオンの姿が無いことに気付いた時だった
ひどく取り乱して 嗚咽が止まらなくて 呼吸が出来なくなって
でもあの時も フィリアが咄嗟に教えてくれた通りに両手で口元を覆ってやると 次第に落ち着いて

あの時のルーティは 戦う前から リオンに真実を告げられて既に動揺していたのに
やっと見つけた血の繋がった家族が 事の首謀者で 
挙句その弟が取り残されている洞窟は 彼女の目の前で崩れ去ってしまい 生存は絶望的だった

(でも・・・じゃあ 今のリオンは、 )
思いながら 彼の仕官服のベルトを緩め 首元の止め具を外し、
少しでも呼吸しやすくしてやる
(それと同じ位、 追い詰められてる・・・もしかしたら、それ以上)


苦しみを 人と比べて判断してもしょうがないとも思うが 客観的な状況判断もまた必要だ
両手で彼の体を抱え上げる 
今までよく立っていられたなと 不思議に思うほど 軽く、薄い体
いくらまだ成長途中の少年だと言っても こんなに易々と 人一人を持ち上げられる筈がない
(こいつ・・・ろくに飯も食ってないのか・・・?)

そして 恐ろしい可能性に思い当たり、思わず息を呑んだ
(もしかして・・・何か病気を隠してるとか、そういう・・・?)

まさか、とは思いつつも 一度抱いてしまった不安は 胸の内でかき消す事など出来なくて
こいつならやりかねない その鋼のような強靱な意志でもって これでもかと自分を追い詰める
とにかく 一刻も早く医者に診せよう リオンに何と言われようと

そう決意して、スタンは自分の悪い予感が的中しない事を祈りつつ
自身の腕の中で眠る少年を そっと ベットに横たえた



1.end

2.





窓から入る日差しが 大分強くなってきた

スタンは目を細めながら カーテンを半分ほど引いて 日差しを遮る
もしかしたら リオンが目覚めてくれるかもしれない、と 淡い期待を抱いて
朝日が入るように カーテンを開けておいたのだが その期待は叶わなかった
(眠れるなら、眠っておいた方が良い、よな・・・きっと)

昨日、医者に言われた言葉が 頭をよぎる

『ストレスや疲労で、食事もろくに喉を通らんのでしょう、
ひどく衰弱しておられます、体も・・・恐らく、心も』

今まで残っていてくれたメイドの女性も、
夜中遅くまでリオンの部屋のランプが煌々と灯っているのに、
私より早く起きて出掛けてしまわれるので心配だった、と漏らしていた

もしかして、眠りたくても眠れなかったんじゃないか、と スタンは踏んでいた

彼の住む屋敷には 騒乱終結直後から只ならぬ雰囲気が漂っていた
オベロン社総帥の自宅に届く 全国からの非難の手紙
中には 全く騒乱に関与していないのに
オベロン社社員だというだけで村八分になっているという報告も少なからずあったという

そんな実情を 目の前に突き付けられて
いくら 戦う術を心得ている、強靱な意志を持っているといっても
中身は まだ たった16歳の少年
その繊細な心が 耐えられる筈がない
気が休まる場所など どこにも無くなってしまった彼が 眠れなくなるのも頷ける


それに 昨日俺は知ってしまった
リオンが その細い背中に たくさんの傷跡を隠していること

 ―これはきっと 俺しか知らない 
  発作を起こしたリオンをベットに横たえ、
  堅苦しい仕官服を脱がせて
  楽にしてやろうと横を向かせると

  少し捲れた 裾の隙間から見えた
  水平に並ぶ 鞭で打ったような 無数の傷跡
  それらは皆古く きっと幼い頃に付けられた物

  リオンの傍に居た筈のメイド達も
  マリアンすらもきっと知らない
  知ったら きっと悲鳴を挙げるんじゃないかと思う程 痛々しく
  身体にも 心にも 深く残ったままの その傷―


診察の為に服を捲り上げた医者は 
その傷跡を目の当たりにして しばらく言葉を失っていたが
そのまま 静かに俺へと目をくれた

「分からないんです・・・俺もさっき、こいつを寝かせる時に初めて見たので・・・」

戸惑いを隠さずに伝えると 
彼はもう一度その傷跡を見つめてから
深い溜め息を吐いて かぶりをふった

「この子は・・・幾つだったかね?」
「もうすぐ17って言ってました・・・確か、」

それを聞くと 
医者はもう何も言わず診察を再開し
一通り意識のないリオンの身体を調べた後、
看護婦さんにてきぱきと指示を出し、
俺を手招きすると部屋の外へと向かった

「腹部の傷は、治りきっていない所をみると最近負ったものだろう。
しかし あの背中の傷は・・・」
顎に手を当て 言葉を失う医者に
俺は その言葉の続きを問うしかなかった
「あの、傷跡は・・・?」
すると 彼は 一つ息を吐いてから 

「あれはまるで、ファンダリアで診た少年兵のようだ・・・」
そう呟くと とつとつと語り始める

彼が昔、セインガルドの国際派遣医師軍に在籍していた頃、
内戦状態にあったファンダリアでは たくさんの少年少女が 武器を持って戦っていた
そのほとんどは 義勇軍の親を持ち、その親が戦死してしまった戦災孤児であった、と

最早 戦うしか食いつなぐ術がない彼らは 幼い頃から 治療もろくに受けられないまま戦い続けたために 
その痩せ細った身体に 無数の傷跡が残ったままだったという

返す言葉が見つからない 
確かにリオンは幼い頃から剣術の稽古を付けられていた だけどリオンが育ったのはここ ダリルシェイドの筈で
ましてや 彼は世界的大企業オベロン社の御曹司
本来なら傷一つ負わずとも生きていける身分の筈だ
そんな彼に これほどまでに痛ましい傷跡を残すことが出来る人物は

一人しか、居ない

そこまで思い至って 背筋の凍る思いではっとして顔を上げると
きっと同じ事に既に気付いていたであろう医者が 俺の考えを見抜くように 静かに頷いた
そして 穏やかな笑顔を向けて 優しい声で慰めるように話す
「身体には傷が沢山残っているが、幸い君が心配していたような身体的な病気は 
 今のところないようだから、その点は安心していい」
「じゃあ、どうして・・・あんな風に、」

理由は今更言われなくとも 察しは付いている
けれど聞かずには居られなかった
向かい合う彼は それにも気付いているようだった
「そうだね、まずここに居ては、彼には気が休まる暇が無いだろう」

そう この屋敷にも 窓から見える王城や街並みにも 
リオンにとっては辛い、痛ましい思い出が未だ残っている

「どこでも良いのだが、しばらくは外の情報が一切入らないような所で 静養された方が良い
 それが無理だとしても ここからは離れた方が良い とてもじゃないが今の彼には耐えられないだろう」
そんな風に 優しく だけどはっきりと言われて

守ってやらなきゃいけない と想った
今度こそ 守り抜いてみせると 強く心に誓った
それが どれほど難しい事だとしても
もう二度と あんな風に誰かを失うなんてごめんだ

部屋に戻ると 処置を終えた看護婦さんが道具を片付けていた
随分痩せてしまったリオンの 骨の浮いた細い腕に固定された 透明な管は
上に吊るされている 液体の入ったガラス容器まで繋がっている

生身の身体に 人工の管が繋がれて
ようやく命を保っているという風なその様は 一種異様なもので
見ているこちらを 酷く不安にさせる


「先生、私はこの子の点滴が終わったら先生を追いかけますから」
「やっぱり、時間がかかるかね?」
「そりゃもう、血管が細くってゆっくりしか入れられませんよ、おまけに輸液の量も多いし」
注射じゃ栄養までは入れられませんからねえ、という言葉を聞いて リオンの腕をもう一度見ると
なるほど 確かに注射も打ったのだろう もう一箇所小さなガーゼが貼り付けられている
「どちらにしても、私はしばらく通いますからね」
「僕も一日おきには来ないと、急性期だからね」
医者の方もそう言いながら さっきまで手に持っていたカルテや筆記具をかばんにしまい込んだ
「急変があったら、すぐ呼んで頂いて構いませんから」
そういうと、じゃ、と看護婦に手を挙げて挨拶して ドアへと向かう
慌ててその後姿を追って、スタンはドアを開ける


「あの、今日は本当にありがとうございました・・・その、なんていうか、」

リオンを診てほしいと 一番近くにあった医者に駆け込んだ時、怒鳴られて追い出されたことを思い出す
”裏切り者の面倒なんか誰が診るもんか、自業自得だ”と 何所に行っても罵声を浴びせられ

リオンが今までその身に受けてきた非難がどれほどのものか 初めて思い知った

「リオン、診てくれる方が見つかって・・・本当に、助かりました」
そう やっとの思いで言葉にすると 彼は一瞬驚いた顔をしたが
すぐに 俺の言わんとしている事が分かったようで にこりと笑った

「君のような人間を あの子は必要としていると思うよ」
去り際の その一言が妙に嬉しくて

だけど 後から切なくなって 胸に刺さるように心が痛む
俺みたいな奴を 本当に 必要としてくれているなら
尚更 どうしてあの時 俺は気付いてやれなかったんだ

リオンが 命をも失う覚悟で かつての仲間の前に立ち塞がっていたことを

(俺は、リオンの事、信じてた・・・だけど、)
それだけでは彼の心を変えることは出来なくて
信頼するだけでは 足りなかったんだ、と 今更分かるなんて

(あいつはきっと、ずっと助けを求めてた 心の奥で)

仮に気付いたとしても 本当に助けてやれたかどうかは分からない けれど
(何も気付かないで全てが終わってしまうよりは・・・ずっとマシだ)
自嘲の意味も込めて そんな風にひとりごちる

穏やかな寝息を立てて眠るリオン けれど蒼い顔をして 腕には痛々しい点滴の管
布団の下の彼の身体には きっと沢山の包帯が巻かれている
生々しく横たわるその傷の一つは 生死をも左右するほど深く 腹部を貫いている筈だ


(俺が、やった・・・)

右の手の平を 窓から入る光にかざす
沸き上がる後悔の念は 留まるところを知らず 何時でも 胸を抉るような痛みを伴う

他の方法は 無かったんだろうか

(リオン、許してなんか欲しくない・・・許さないでくれ、)
きっと彼にこんな事を言ったら 彼は 止めてくれ、と叫ぶだろう だけど
(だって俺は、お前を 苦しめたんだから、)
彼の苦悩に気も付かず、傷を負わせ 彼を助け出すことすら出来ず 
これでは見殺しにしたも同然だ
結局のところ、性質は違えどやっている事は
ヒューゴと全く同じではないか

そんな疑問が、不安が
頭からずっと拭い去れなくて


視界が滲んで 景色がぼやける
こんなところ、誰にも見られたくない 俺が泣いたって何も変わらないのに
そう思っても 意思に反して涙が零れ落ちそうになる

(こんなの・・・リオンに、見られたくない)
一番苦しんでいる筈の彼に こんな姿を見せたら
彼はきっと自身の事を 今まで以上に追い詰めてしまう

(俺は、笑ってなきゃ・・・
泣いたって、リオンを不安にさせるだけだ)

居ても立ってもいられず、
スタンはその長い金髪をなびかせて、部屋の外へと飛び出した



2.end

3.



「ダリルシェイドは 夜でも昼の様な明るさ」と まだ幼い頃にリーネで聞いた事があった

誰から聞いたかは もう忘れてしまったけれど
どうして?と 尋ねると
あそこは 夜でも働く人がたくさん居て
だから、一日中灯りがないと困るんだ と言われた覚えがある

それじゃあ、あそこの人達はいつ眠るんだろうね、と 誰かが冗談めかして言った

あれは 村の誰かの結婚式だったのかもしれない
村中の人をかき集めた村長の家で
皆揃ってテーブルを囲み そんな冗談で 仲良く笑っていたのを思い出す


初めて この街を訪れた時
噂に聞いていた通りの 眠らない街だ、と思った
夜中でも 大きな通りには光々とランプが灯り
宿から街に一歩踏み出せば がやがやとした喧騒と 料理や酒の匂い
その向こうに見える工場街は 真夜中も煙を吐き出して
常に何かを作り続けている事を アピールしているようだった


だけど、ベルクラントの攻撃を受けてしまって
いくら 世界の中心ダリルシェイドと言えど ひとたまりもなかったのだろう

日暮れと共に 辺りはすっかり暗くなってしまう もうランプも灯らない
繁華街も工場街も 夜になるとひっそりと静まり返り 通りからは人が消えていった

あの頃はあんなに賑やかだったのに、と
スタンは 何処か懐かしむ様な気持ちで 暗く静まり返った街を 一人歩いていた



つい考えてしまうのはいつも リオンの事ばかり

(とにかく、ここを出ないと)
自分にとっては懐かしむ対象でも
彼にとっては きっと 辛い思い出ばかりが際立つ街だろう

でも、何処へ?
それが 目下スタンの考えている事だった

出来るなら 誰もリオンの事を知らない様な
海の向こうにでも行きたい気分だけど
そういう訳にも行かない

今はまだ 自分だけでも ダリルシェイドにすぐ帰れる場所でなければ困る

他の仲間達が
街の復興や、国家間の協議、レンズの保管方法についての国際法の策定の為に日々追われている中で
自分だけ そこから逃げ出す訳にも行かないし 少しでもその力になりたいとも思う


それに そもそも あんなに弱りきったリオンを
そんなに遠くへは連れて行けないだろう

食事も殆ど受け付けず、ほぼ毎日の様に点滴を受けているし
夜は眠りが浅いのか 一晩に二回も三回も
悪夢に魘されて 飛び起きてしまう
そのまま発作を起こす事もしばしばだった



(こんな状態のリオンを、どこに連れて行けって言うんだ)

夜中に発作を起こし
咳き込みながら 大粒の涙を零すリオンを
暗闇の中で何とか落ち着かせようと 悪戦苦闘している内に
いけない事だとは分かっていても、ついやけになって
心の中で悪態を吐いてしまう


それでも 言い訳をして、リオンをあのままあそこに置いておく訳にはいかない
スタンは 街から人が減っていく日暮れの時間を狙って
ダリルシェイド近くの宿屋に  片っ端から当たってみる事にした

(リオンのそばを離れるなら、本当は昼間の方が安心なんだけど・・・)

何せ、騒乱から世界を救った英雄は 世間に顔が知れ渡っている
人目のある場所を歩いているだけで
街の人間は スタンに釘付けになり
誰かが一度声を掛けてしまえば 後は右に習え、で
沢山の人々に囲まれてしまい  身動きすら出来なくなってしまう

必然的にスタンも 私用を済ませるには 夜になるのを待つしかなかった

顔や、この人目を引く金の髪を
少しでも隠す様に 大きな黒いストールを首に巻くのも そんな理由から



(だけど・・・さぁ)
落ちている小石を蹴り飛ばしながら歩く
スタンは 未だに納得がいかなかった
自分と リオンとの
世間での扱われ方が 余りに違いすぎる事

(俺達が何て言ったって、誰一人聞いてくれやしない)

確かにリオンのした事は 重大な背任行為だ

だけど リオンは人質まで取られていたし
彼はその罪を償う為に 死に物狂いで最後まで戦いきって 空を取り戻した
そして 事の首謀者はリオンではなく
オベロン社総帥の意識を乗っ取った 古の天地戦争の敗者

それに何より
(リオンが、居なかったら・・・ミクトランに勝てなかったかもしれないんだぞ)

切迫したあの状況で リオンという戦力を失っては
あの"怪物"相手に 勝ち目はなかっただろう

おまけに シャルティエまで居なかったら
神の眼を破壊できていたかすら危ぶまれる
(ソーディアンが五本集まったって、ぎりぎりだったんだ・・・)

それだけ 暴走した神の眼のエネルギーは 膨大な物だった



全ての要素を本当に真剣に考えたら
決して "リオンが居なかったら全てが上手く行っていた"なんて 簡単には言えない筈だ

リオンが居たから、シャルティエが居たから
それでやっと 空を取り戻す事が出来たのに
どうして "裏切り者"だなんて ああも簡単に言い切ってしまえるのだろう

理由は 分かっている
皆 何も知らないんだ ただ風の噂で
"リオン・マグナスが 裏切り者らしい"と 聞いて それを鵜呑みにしているだけ


やり場の無い怒り、もどかしさを抱えながら
それでも 本人の苦しみに比べたら 些細な事なのだ、と 思いきり割り切ってしまいたいスタンは
小石を力の限り 蹴り飛ばすと
昨日の夕刻に目星を付けていた区画へと 風を切るように 勢いをつけて足を踏み入れる




そこは 閑静な住宅街だった

オベロン社の屋敷は ダリルシェイドの中でも特に地価の高い 王城のすぐ目の前で
商社が並ぶ賑やかな場所にあったが

そこから二、三十分も歩くと 街の極外れの方に何軒か
身を隠すのにうってつけの 小さな宿が 点在しているらしい

そう教えてくれたのは 泣く子も黙るセインガルド七将軍の一人 ロベルト・リーン


ー彼に スタンが問いかけると
 ひとしきり唸りながら考えた後
 周りをキョロキョロと見回して
 小さな声で あれは雲隠れ用なんだ、
 と言ってから
 その存在を耳打ちしてくれたが

 七将軍ともあろう人が
 何をそんなに恐れているのか
 ひょっとして
 過去に何かやましい事でも
 あったのだろうかと勘繰りたくなる位
 何度も 周りに人がいない事を
 確認していた気がするー


街の端だからだろうか
ベルクラントの直接攻撃からは難を逃れ 多少は損傷しているものの 中心街に比べれば大分、その景観は街の形を保っていた

(なんか、身を隠せるっていう響き、ちょっと怪しい様な気もするけど・・・背に腹は変えられない)

閑静な住宅街の中に 何故そんな物が ひっそりと存在しているのかは
都会の事情に詳しくないスタンにとって 些か疑問だったが
自分には剣がある いざとなれば自分の身一つくらいは守れるだろう

この際 リオンの身の安全さえ確保出来れば どこだって構わない


そんな風に腹を括って歩くと 目的の場所まで来たようだ
なるほど、確かに小さな門戸には
宿屋を示す記号の書かれた、手の平大の看板がぶらさがっているが
建物は  よく見れば普通の一軒家よりは少し大きいかな、と思う程度の物で

(あ、怪しい・・・本当に宿屋なのか・・・?)
そもそも営業しているかすら怪しい、と思いながら
一度腹を決めたスタンに迷いはなかった
そのまま門をくぐり 中へ進んで行くと
ドアを三回ノックして 返事を待つ

と、中から白髪交じりの男性がドアを開け

まずは ここが本当に宿屋なのか そこから聞こうとすると
その男性はこちらを見て 驚きを隠せない、といった表情をして
いの一番に こう言った



「リオン様は・・・ご無事ですかな?」


この小さな 隠れ家の様な宿屋の主人は
どうも リオンを幼い頃から知っていたらしい
というのも、リオンは度々 この宿屋にたった一人で泊まっていたと言うのだ

そしてスタンが、世界を救った"英雄"であり
その決戦の場でリオンが共に戦った事を 彼は話に聞いていたようで

「すみません、あのスタンさんならば何か知っていらっしゃるかと思い、聞かずには居れませんで・・・」
と 謝りっぱなしだった

そんな機密情報、一般の人が耳にするはずはない、と
最初はスタンも 半信半疑だったが

「リオン様は、まだあの傷跡を隠しておられるのですかな・・・?」



主人の一言で その全てが本当なのだと確信した

間違いない 彼はあの痛ましいリオンの過去を 知っているのだ
そして、何故側に居たはずの屋敷仕えのメイド達が あの傷に気付きすらしなかったのかも
続く彼の言葉でようやく理解出来た


「リオン様は・・・生傷が絶えないお方でした。
こちらにいらっしゃる時は、必ずと言って良い程、酷い怪我をなさっていましたから、その度にわたしが手当して差し上げたものです・・・

顔色一つ変えず、痛みに耐えておられる姿を見て、私はただ黙って見ている他無いのかと いつも考えておりましたが・・・」


切ない顔をして語る主人に スタンはただただ話を聞く事しか出来なかった

(リオン・・・そこまでして隠してたなんて)
きっと あの"父上"にきつく睨めつけられて そう命じられたのだろう
考えただけでも恐ろしい、そんな事が 現実に起こっていたなんて と思うと
スタンは 瞬間自分の体が震えているのを感じた

(でも、この人なら、もしかしたら・・・)

リオンの過去を知っていて、心を痛めていたこの人なら
或いは 受けてくれるかもしれない
そんな期待を抱いて スタンは話し始めようとする


「実は今、そのリオンが・・・」



そこまで言って 今のリオンの状態を何と説明したら良いのか
何も考えていなかった事に気が付いた

「あの・・・何て言うか、ええっと・・・」

あの状態を 簡潔に説明出来る様な語彙力を そもそもスタン自身持ち合わせていない
「リオンが、少しの間休める所を探していて・・・その、・・・」

言葉に詰まり、しどろもどろしながらも
何とかそれだけ言うと
向かい合う彼は 何か事情があると 感じ取った様で
にこりと微笑み

「今の私に出来る事なら、何でもお引き受け致しますぞ」
と、優しい声で語る


「あの時は、何一つお助けする事が出来ませんでしたが、今ならきっと、この老獪も物の役には立てるでしょう」

そして、
「今はちょうどお客様が誰も居ませんから、しばらくの間看板も外しておきましょう」
と付け加えた
そうしたら、リオン様も安心して休めるでしょう、とも


自覚は無かったが
こんな自分でも 今まで気を張り詰めていたのだろうか
彼のその言葉を聞いた途端
思わず 地面に座り込みそうになってしまう程
体の力が抜けていくのを感じた


「あり、がとう・・・ございます、」
頭を下げ、それだけは何とか言葉にできたが
安心して気が緩んだせいか それ以上 何も言う事が出来なくなってしまった


そんな自分を見兼ねて

「あなたも、お辛かったでしょうな」と
慰めの言葉を掛けてくれる

心の優しい  この宿の主人に
スタンは心の中で 感謝の言葉をただ繰り返すしかなかった





別れ際 年老いた主人が
部屋を用意しておきますので、と言って いそいそと振り返る
その背骨が 年齢のせいか少し猫背になるように曲がっているのを見て
スタンは ぼんやりと考えていた


もしかしたらこの人も
今の自分と同じ様に リオンを助けてやりたいと思いながらも
何も出来ない自分に 歯痒さを感じていたのだろうか

今まで
こんなに歳を重ねるまで ずっと

そんな切ない思いを 抱え続けていたのだろうか、と


さっき来た道を戻りながら、
スタンは 嬉しいような悲しいような
複雑な気持ちだった

幼い頃のリオンの事を思うと
胸が締め付けられるように 悲しくて

だけど
あんな風に 心からリオンの事を 心配してくれている
そんな人を また一人、見つける事が出来たのが嬉しくて


(リオン・・・お前、愛されてるんだぞ)


胸に込み上げてくる 思い

早く リオンをあそこに連れて行ってやろう
そして、彼を大切に思ってくれている人は
彼自身が思うより ずっと沢山いる事を 思い知らせてやらなくちゃならない


世界は自分で思うより もっと広く 開け放たれている


そんな風に一人、思いながら
スタンは彼が眠る屋敷へと 足を早めた





3.end



真っ白な悪夢に 追いかけられる
それは とても、とても
息詰まる程に 色のない世界

4.









「・・・っ!!」
意識が浮上すると共に耳に入る 自分の荒い呼吸音
何か とても恐ろしい物を目にしたような気がして
自分の身に何が起きたのかと 横たわっていた体を起こすと

そこは 何もない部屋
見回しても 自分の所有物らしい物は何一つない
着せられている服も 見覚えのない ただの白いシャツ
横たわっていたベットから 窓の外は十分に見渡せるけれど
今までに一度も 見た事のないような景色で


見える世界には 色がついていない
それは モノクロの世界


(僕は・・・一体・・・)

唐突に浮かんだ疑問は
靄がかっていた思考を切り裂く様に 意識を明瞭にさせる
自らを示す物が 何一つ見当たらない この場所では

自分という物が 本当に存在しているのかすら あやふやになってしまう

突然 そんな事を思い至り 背筋が凍りついた


(誰か、誰か居ないのか?)
布団を跳ね除け そっと床に 足をつける
ひんやりとした感触がある フローリングの床 立ち上がろうとした その瞬間、気付いた

(僕は・・・一体誰を探している?)

誰を 何を 探したら良い?


さっきまでうなされて 混乱しきった頭では 何も思い出せなくて
思い出そうと 考えれば 考える程に 頭が真っ白になっていく
窓から入る強い日差しが 眩しくて
見える景色は 色のない世界

怖い ただただ 怖い


僕は 何故 ここにいる?
ここは 一体どこだ?
今まで 何をしていた?

僕は・・・一体  誰だ?


冷静に考えれば分かるはずだと 自分を落ち着かせようとするが
その意思に反して 不安に反応してしまう体

耳鳴りがする 視界がぐるぐると回る
呼吸が段々と浅くなっていくのが分かる
息が上がる だけどもう抑えられない

息が 上手く吸えない 手足に力が入らない



怖い   怖い   怖い

苦しい 息が出来ない 途端に
漠然とした 死への不安が這い寄ってくる

体が勝手に反応して 震えがくる
自分の呼吸の音が 酷く耳障りで
よく聞こえない だけど

遠くから 何か聞こえる

あれは   
誰かの名を 呼んでいるような

何の音?   誰の声?





「・・オ・・・、リ・・・、

 リオンっ!」


もう駄目だ と思った瞬間に現れた
色を失った視界に飛び込んできた 輝く金の髪 碧く光る瞳


酸素を上手く取り込めない頭で 必死に記憶を手繰り寄せる

もう 声も ろくに出せない
けれど自分は 名前を呼ばなければいけない そんな気がした
自分にとって 失ってはならない、大切な存在

声に出して言わなきゃ伝わらない、と
悲しそうに笑って 僕に 人の温もりを教えていった その人の名前


「ス・・・タ、ン・・・っ、」


思った以上に 発する言葉が声にならなくて もどかしい
ほとんど 呼吸の音に近い その声を
それでも 目の前で僕の顔を覗き込むその人は
眉をハの字に寄せて 笑顔を向けて
"分かった"、という風に 何度も頷いてくれる
そして 何時ものように 僕の口元に両手を緩くあてがい
耳元で  "大丈夫" と 囁いてくれる


「大丈夫・・・ちゃんと呼吸できるから・・・大丈夫・・・」


怖くて 不安で 彼のその両腕に手を伸ばす
何かに触れて居たくて 自分を守ってくれる存在を確かめたくて
全てを見透かしているかのように スタンは呟く

「俺は、どこにも行かない・・・ここに、いるよ」



どうして 今まで忘れていたんだろう
どこへも消えてしまう事なく 僕を守ろうとする
そんな人が すぐ側にいるという事実は 僕を酷く安心させる

張り詰めていた気持ちが少しでも緩むと
堰を切ったように 溢れ出す涙
力の入らない手では 拭う事すら出来なくて

呼吸が少しずつ まともになってくると
口元に充てがわれていた無骨な手が 頬に触れて 涙をそっと拭う



その大きな両手は
まるでその人自身のように 温かくて 優しい感触

それは 今までの人生では 滅多に触れる事の出来ないもので


きっと "父親"というのは
本当は こんな風なのかもしれない、と
朦朧とした意識の中で 淡く思い出される記憶
その中では 父親に"温かさ"を感じた事など 一度もなくて

人の手が 温かい、と 感じただけなのに
どうして こんなに 涙が溢れるんだろう




「もう、怖くない・・・一人じゃ、ないよ」
俺が いるから、怖くない  大丈夫

その言葉が 耳元で 何度も繰り返される度に
ばらばらになってしまった自分自身を
少しづつ 取り戻していくかの様な感覚


それだけで
見える世界は あっと言う間に 色彩を取り戻していく




「リオン、落ち着いた?」

呼吸が出来るようになって
スタンの言葉に何か返さなければ、と思っても
憔悴しきった体は言う事を聞かない
緩く 首を縦に振るのが精一杯だった

安心したからだろうか 意に反して
涙が はらはらと零れていくのを 留める事もままならない
そしてそれを 何度も その手の平で 拭ってくれる


この 大きくて 温かい 優しい両手が
幼い頃に 僕のそばに 居てほしかった

それは所詮 叶う事のない おとぎ話のような夢物語
時を 戻す事など出来る筈もない
絶対に有り得ない そして もう二度と取り戻せない

分かりきっているはずなのに 

何故こんなにも
胸が 押し潰れるように 痛む




「しんどいよな・・・そのまま座ってて、いいからさ」

呟くかのようなスタンの言葉に 返事を返せずにそのまま座っていると
ふわり、と 肩から大きな毛布を掛けられて 体をくるりと包まれた

そして 隣に座ったスタンの がっしりとした腕が 僕の肩をぎゅっと引き寄せる
毛布ごしに伝わってくるその温かさで
みるみるうちに 体の震えが収まっていくのが分かる


「こうしたら、怖くない、だろ?」



今まで その言葉にどれ程 救われてきただろう


リオンは その力強く自身の背中に回された腕に 素直に身を委ねる事にした

耳元に 彼の胸が当たる
規則正しく脈を打つ 彼の鼓動を聞いている内に
恐怖に覚醒していた意識が 少しづつ 冷静さを取り戻していくのが分かる

その内 疲労がどっと 押し寄せてきて
何時の間にか 涙も止まっていた

リオンはされるがまま 静かに目を閉じて
冷え切った体が温まるのを 待つ事にする
どのみち この力強い腕の中から逃げ出す程の体力は 残っていない



それに もう少しだけ
この温もりに 包まれていたい


そんな風に思った事は 今まで なかった筈なのに

(いつから僕は こんなに弱くなったのだろう)

人恋しい、とか
怖い、とか
助けてほしい、なんて感情
とうの昔に忘れてしまったと 思っていたのに

そして
今まで "任務を遂行する為には邪魔なもの"としか 見ていなかったのに




忘れようとしていた そんな感情が
一つ、また一つ、と 呼び戻される度に
凍りついた心が 少しづつ 解かされていくような感覚が 心地よいなんて


心の中に じわり、と広がる 暖かい感触


忘れたく、ない


裏切られるのが怖くて
ずっと、拒絶してきた 
自分に示される優しさも 温かさも

だけど、思い出していいんだと
求めてもいいんだと 教えてくれる人がいるなら



(忘れない・・・ように、しなければ)



この暖かい感触こそが

きっと 今までの人生で
どれ程願っても得られなかったものではないか
そんな気が、するのだ


それなら、大切に 丁寧に
心の中に 刻み付けておきたい
リオンは そう自身に誓って 静かに自分の胸に 手を当てた





4.end

まだ あどけなさの残る顔立ちで、こちらを振り向く彼は
共に旅をしていた頃には 見た事もない
幼子の様に 素直な表情をしていて




5.






「リオン、ローガンさんが、昼飯何が良いかってー」



この 人知れずひっそりと営まれている宿屋で過ごす様になって 今日で三日目

相変わらず 食事の殆どを残してしまうリオンを心配して
何かお好きな物があれば作りますので、聞いて頂けますかな?と
宿の主人から 人の良さそうな笑顔で言われて 
食事の前には必ず聞いている質問だった

階段を上がり、突き当たりのドアを軽くノックして開けると
明るく部屋に広がる 太陽の光

窓辺に備え付けの丸テーブルで本を読んでいたリオンが 緩慢な動作でこちらを向く


「・・・何でも、良い・・・」


偏食が酷かった彼の事だから 何でも良い筈はないのだが
食欲も余りないのだろうか
興味が無いといった風にぼそり、と答える

そこには
今まで彼が纏っていた 痛々しいほどの気高さも 刺すような鋭さを持つ眼差しも 最早ない

ひどく不安げで 全てにおいて無防備な その姿を見ると


(あぁ・・・こいつ、まだ16才なんだ、)


そんな事に ふと 気付かされる
むしろ これまで背負ってきた物が
16才という年齢からは想像出来ない程の 重責だったのだ

(あの頃、俺達に散々「なってない!」って怒鳴ってたのに、な)
今まで 嫌という程戦闘を重ねてきたが 
彼がその結果に満足し、仲間を労ったのは片手の指で数えられる程しかない

彼自身、敵の気配にいち早く気付き
誰より真っ先に 愛剣のシャルティエに手を掛けて 抜き放つ

そして 皆が剣をしまい始めても、その凛とした瞳で 背筋をピンと伸ばし
敵が周囲から消えたことをしっかりと確認してから
誰より最後に 剣をしまうのが常だった

だけど、張り詰めていた神経が一度 切れてしまうと
その反動だろうか
あのリオンが 今は こんなにも


頼りなげで  弱々しくて


(やっぱ 調子狂う)

いつもの リオンじゃ ないから

無意識に出た溜息に気付いて 誤魔化す様に笑って 頭を掻く
「そんな事言って・・・残したら今度こそ、いい加減怒るぞ?」
冗談めかして言いながら


(これが ”本当のリオン”なのかもしれない)
これまで担ってきた 神経を擦り減らされてばかりの重責が 急に無くなった今
やっと 等身大の自分に 戻れたのかもしれない
だとしたら・・・

(俺、ちゃんと 受け入れてやれるか?)

彼の全てを 丸ごと受け入れてやれないのなら
きっとそれは彼にとって、裏切りにも等しい行為

失望して、心の傷を一層深めるだけになってしまう
中途半端にかき乱されるよりは 何もしない方がまだマシだ

だから、一度やると決めたなら 最後まで
それは 最初に 発作を起こしたリオンを見た時に
一度は 覚悟を決めた筈なのに
いざ、この状況を自分の目で見ると その覚悟が段々と揺らいでくる



「・・・」

ほら こんな時だって 普段のこいつならきっと 涼しい顔をして
”お前は底なし胃袋だからな”とか
それか 少し意地悪く笑って
”ここには金髪の残飯処理係がいるから安心だな”とか
そんな皮肉が すらすらと出てくるはずなのに

やっぱり 何も言えないんだ 
困ったような顔を して俯いてしまう


”最低でも三ヶ月、場合によっては数年”
約束通り 一日おきに訪ねてくれる医師に
昨日言われた言葉が 頭をよぎる

人差し指を立てて 目を細めながら

”完全休養が必要、と云えばいいかな。
この意味、君なら分かるね、”

その彼の話し方から察するに リオンに必要と告げられたのは ”絶対安静”

薄々感付いてはいた だってここ一週間程
つまり 倒れてからずっと見ているけれど
リオンの症状は ほとんど改善していない

それが何を意味するか 分からないほど馬鹿じゃない


だけど 心の何処かに未だ残っている

認めたくない、という思い

あんなに強かったリオンが ずっと俺の憧れだった リオンの強さが
こんな風に 失われてしまうなんて


”心の傷から来ているからね、時間が掛かるよ”

背中に付けられた傷
その記憶と、今回の事と
長年の蓄積で 一種トラウマ的になったのかもしれない、と
説明されて 言葉は理解できても それがどれほどのものなのか
スタンには想像が付かなかった

忘れる事は 一生 出来ないから
忌まわしい記憶を、例え思い出してしまっても
自分の意志で 振り切れるようになるまで

それが出来れば 或いは普通の生活に戻れるかもしれない、と言われて

どれ位の時間が必要か、なんて分かる筈がないのは明白だ
それに すぐには回復しない、という事位は 容易に想像が付いてしまって


(でも、助けてやりたいっていうのも、本当)

自分が どこまで助けてやれるかは分からない けれど
今度は自分が何かを与えてやりたい
いつも 年下のリオンに与えてもらってばかりだった
だからこそ 余計に


「ローガンさんは、特にリクエストがなければオムライスにするって言ってたな・・・
少しでも、食えればいいから。」

そう伝えて 安心させてやるために 肩をぽん、と叩いてやると

「・・・あぁ・・・」
俯いたまま 小さな声で 申し訳ない、といった風に返事をする



そんな様子のリオンを見て
(やっぱり・・・伝えておいた方が良いだろうな)
と もう一つの問題についても スタンは考え始めた

この分だと 少なくとも一定の期間、リオンは動かせない

そうなると当然ながら オベロン社の解体、復興支援、など 山積みだった仕事を
リオンの代わりに 誰かが引き受ける必要がある

だけど、いかんせん事が大きすぎる
一個人ではもちろん、ある程度大きな法人でも とてもじゃないが引き受けられる物ではない

何せ 相手は世界なのだ

(もっかい、腹を括ろう)
今度はきっと 王の前に出ることになるだろう
そんな風に 何となく想像しながら
「じゃ、ローガンさんに伝えてくるから」と言い残して
スタンは 階下で食事の準備をする 宿屋の主人の元へと向かった




「ローガンさんのオムレツって、ほんっとに旨いよなぁ!」

食事の合間も スタンは些細な日常の出来事を 取り留めもなく話す
リオンは 大抵ただ黙って聞いているだけなのだが
そうすると、思いの外リオンの食が進む事に スタンは気付いていた

向かいに座る彼が 窓から入る日差しが眩しいのか
少し目を細めた
スタンにはそれが いくらか眠気を伴っているように見えて

「リオン、まぶしいか?」
食事も一息ついたタイミングで切り出してみると

「いや・・・少し、眠い・・・」
ことの外、素直な反応に スタンの方が拍子抜けしてしまう
「眠い、のか?
昼飯食ったからかな・・・ベットあるんだし、横になっちゃえよ」

自分の直感は間違っていなかった、と一人ごちながら そう言ってやると
何時ぞやの気迫はどこへやら、額に手をあてて ゆっくりと立ち上がる

「・・・食器、任せるぞ・・・」
生あくびを噛み殺しながら、力なくそう言ったかと思うと
直ぐにベットに腰掛け、ブーツを脱ぎ始めてしまう

「おう、頼まれた。」
子供の様に素直に ベットに入ってしまう彼を横目で見ながら
元気になっても この位素直でいてくれたら こっちも助かるんだけどな、と
何とも言えぬ気持ちになるが

それを気付かせまい、と スタンは にっと笑って誤魔化し、両手に皿を持つ



そのまま しばらく片付けを手伝っていたスタンが
干していた布団の取り込みを終えて、再び部屋に戻ると
微かに聞こえるのは リオンの規則正しい寝息


(本当に寝ちゃったのか・・・珍しいな)
確かに ひどく眠そうだったけれど

いつもと違う時間に眠ると 嫌な夢を見るから、と言って
昼間は何となくでも 目を覚ましている事が殆どだったのに


(もしかして、

チャンス、かも・・・?)


今日は天気も良いし リオンも随分落ち着いている
体調に波がある分、スタンは普段よりずっと細かく リオンを観察していた

(善は急げ、って言うしな)

リオンがすっかり眠ってしまっているのを、顔を覗き込んで確認してから
スタンは動き出す


普段は動きずらくて選ばないような 仕立ての良いカッターシャツに アイロンの掛かったパンツ
光沢のあるネクタイを首に回し
19歳にもなって やっと覚えた唯一の結び方で 何とか締めると
長く伸びる金髪を緩く紐で結わえて
隠す様にシャツの襟の中にしまい込む

(やばい、忘れてた、目立つ)
最後に 慌てて大きな黒いストールを右手にひっ掴み
ちらっと姿見に自分を映すと 少し曲がっていたネクタイを素早く真っ直ぐにする
(よし、取り敢えずオッケー)


多少なりとも、城内に入って仕事をするのであれば
まして動乱の功労者なら 尚更
いくらなんでもその服は無いだろう、と周りに突っ込まれて
言われるがままに慌てて揃えた 間に合わせの一式だった
髪も 中に入れて襟巻きを巻いてしまえば そこまで目立たない

(今の内に、城に上ろう)

万が一、王の前に出る可能性も考えると
何て話そうか なんて 全く準備出来ていない
けれど 最早そんな事位で動じるスタンではなかった

行けば、きっと何とかなる
話せば、いつかきっと 分かってくれる
それは 僅かこの一週間足らずで スタンが感じた全てだった


信じよう 人の 力を
信じないと 何も始まらないんだ


そのまま静かに部屋を出ると スタンは
階下に降り 台所で夕食の下ごしらえをするローガンに話し掛ける

「ローガンさん、少しの間、リオンを見ていてほしいんですけど・・・」
そう切り出すと 
待っていました、とばかりに 
彼は胸を張って、満面の笑みを浮かべて答えた

「勿論ですとも、お任せください。
して、いつ頃お帰りですかな?」
「うーん・・・少し、長引くかもしれないんですけど・・・
日が暮れる前には必ず戻ります。

でないと・・・」

また いつ彼が悪夢にうなされているとも 限らない

「分かっております。いざという時はすぐ、使いを送りますから、ご心配なく・・・。」

自分が危惧している事など 全てお見通し、と言わんばかりに微笑む彼
それは 
リオンの事にだけは 未だに過敏になってしまうスタンにとって とても有難いもので


「助かります・・・
城に、リオンの事、話しに行ってきます。
なるべく早く帰ります、それじゃ!」



ぺこりと頭を下げると スタンは
真っ黒なストールを 首にくるりと巻き付けながら 足早に門をくぐる

(誰にも絡まれないといいなぁ)

早足というより 軽く走るような足取りで 真っ直ぐ城への道を辿っていくと
段々と街は 賑やかさを増していく
黙々と歩を進めながら 脳裏にぼんやりと浮かんでくる これからの事


(まず、誰に言おうか・・・
女の子にする様な話じゃないし、)

あの傷跡の存在や意味を 女性が知ったら ショックを受けるだろう
冷静に話すのは 到底無理な事に思えた

堅い話なら 七将軍が一番手っ取り早い
世間を知っているし、責任も、自由になる権限も大きい
但しそれは国家に関わるような"硬い"話なら、という条件付きだ

(それに・・・七将軍も立場ってものがあるし)

世間に知られているからこそ やりにくい事もある それはスタンが身を持って実感したことだった
現に今 リオンを気遣って自分に声を掛けるのは リーンとミライナだけだ

鳴り物入りで入城した 大企業の御曹司
それだけで 十分周囲から妬み僻みを買ってしまうのに 更にあの剣の強さ
(微妙な力関係がありそうだよなぁ・・・そうすると、)

リオンの為に どうやらかなりの極秘情報らしい あの宿の事を教えてくれた、
リーン一人にだけ事情を話しておけば
いざという時に話が通りやすいし、無駄に議論を起こす心配も無い

ミライナには伝えるかどうか迷ったが、
(それは、リーンさんに任せよう)
自分より ずっと接する機会が多い彼に任せた方が 的確な判断をしてくれる筈だ
(あとは、と・・・
仲間内も、取り敢えず男だけ・・・の方が、やっぱり良いよな)

驚いて気分を悪くしそうな気がする、主にフィリアが、と思いながら


ふと、気付いた
それは 彼の姉 ルーティ


反射的に、思わず、歩みが止まってしまう
まずい、という思いを消し去るように 頭をぶんぶん振って ひたすらに足を前へと進める


(今はまだ・・・だめだ、)


肉親の事となると 人一倍敏感なルーティの事だから
どんな反応になるかは 想像に難くない

(ウッドロウさんや、ジョニーさんなら・・・)
世間の物事に明るい彼等なら
どうやって ルーティに打ち明けたら良いか きっと一緒になって考えてくれる筈だ

まずは今日、その二人とリーンさんを捕まえよう


(よし、決まった)




視界に 半壊した セインガルド城が入る
遠目からでも 沢山の人が出入りして賑わっているのが 見て取れた
街では 建物を修繕する大工の声や カナヅチの音が響き渡り
通りには、騒乱で離れ離れになっていた家族だろうか
再開を喜ぶ涙交じりの声も聞こえる


まるで、街が再び 息を吹き返したようだ

ここ最近 人の目から逃げるように 暗闇に紛れて過ごしていたから 気が付かなかったけれど


(悪い事ばかりじゃ、ない)
いつまでも悪い事ばかり 続くわけじゃない
どん底まで行ったなら その後は必ず 上向きになる筈


やっと取り戻した 太陽の光を存分に浴びながら
スタンは 城までの残り僅かな道を急いだ






5.end

6.




城の敷地内に入るとすぐ、遠目でも分かる 目を引く髪は若草色
それは 自分も良く知っている後姿で
嬉しくなって 思わず大声で呼び掛けてしまう

「おー、フィリア!フィリアじゃないか!」

すると、彼女は 掛けている大きな眼鏡を その細い指で押さえながら振り向き
突然の再開に少し 頬を染めて
「まぁスタンさん、お久し振りです!」
おさげ髪を揺らしながら 頭を下げた

「久し振り、だよなぁ・・・やっぱ、」
少女の傍まで走り寄ると 少し困った風に笑いながら頭を掻く


互いに同じ城の中で仕事をしていると言っても
フィリアは主に レンズ工学を神殿で研究していた その知識を買われ 
専門家達で構成された、レンズ取り扱い方法を策定する為の 会議や研究に 専念している

一方のスタンはと云えば、リオンの使いの合間を縫って
セインガルド兵への実践的な剣術指南に始まり、はたまた 城の城壁の修繕に駆り出されたりと
とにかく 何所かで人が足りていないと聞けば そこへ真っ先に向かうようにしていた

そんな風に皆、専門分野が違い 忙しく過ごしている為
すれ違う事さえ 余りないのだ

おまけに リオンが倒れてしまった為、動くに動けず
ほぼ一週間振りの登城となってしまった
周りには サボったなと思われても仕方がない、と 覚悟を決めていたのだが


フィリアは いつもと変わらず
或いは 普段会う機会も余り無いから 何も気付いていないのだろうか
優しい笑顔で 自分を迎えてくれる

「あの、スタンさん・・・どうかなさいましたか?」

黙り込んだスタンを心配して フィリアが声をかけると

「いや、何でもないよ。本当に久し振りだから、何か嬉しくって」

スタンは よそ向きの笑顔を上手く取り繕う
フィリアが 未だ頬を赤く染めているところを見ると
彼女は異常に気付いていないようだ、と スタンは内心 ほっと溜め息を吐く

スタンは元々 色恋には鈍感な方だったのだが
ここまで分かり易く赤くなられると、流石に旅が終わる頃には 彼女の気持ちに薄々気付いていた

それでも 状況はそれを許すようなものではなくて
互いに 神の眼破壊まではそれどころではない、と思っている内に
会う機会も無くなってしまい 今に至る
最も、スタンの方は 
彼女からの好意はもちろん 嬉しく思っていたのだが
一番心掛かりなのは 相変わらず ルーティの事だった

「フィリア、ごめん、今って皆どうしてるかな?」
そして何より 今日のスタンには 最も優先すべきことがある

「全員は分かりませんが・・・
確かウッドロウさんとジョニーさんは、三階の大会議室で、今日も国家間協議に出席なさっている筈です。
何時頃終わるかまではお聞きしていないのですが、休憩を挟みながら協議なさっている、と聞きましたので、近くで待っていれば確実にお会いできます。」

「そっか、分かった。
フィリア、ありがとう、助かったよ。」

スタンが頭を下げると
「いえ、お役に立てたなら良かったです。」
つられる様に ぺこりとお辞儀を返す彼女

きらきらと輝く 彼女の明るい瞳

それはまだ、汚れを知らぬ 大切に育てられた幼子の様な
人を疑う事を 知らない瞳で


(リオンとは・・・正反対だ)

彼の瞳が こんな風に輝くことはない
不安げで 裏切られる事を怖がる 子供の様な瞳

思い出す度に切なくなるのは
彼が 本当は信頼できる筈の親に裏切られた証を この目で見てしまったからだろうか


「じゃ、行ってくるね・・・ほんと、ありがとう」
手を上げて挨拶代わりにしながら、
スタンは城へと向かった


(スタンさんがああいうお顔をされる時は、何かを真剣に考えていらっしゃる時の筈・・・何があったのでしょう?)

私には話していただけないのですね、と
その後姿を見ながら 
フィリアが一人切なく思う事も 彼は知らない





いざ城に入ると
もう見慣れた筈の広く、豪奢な造りに 改めて驚かされた

(こ、こんなに広かったっけ?)
とにかく、入り口のマップに辿り着くまでが長いのだ
おまけにスタンなどは、二階や三階の会議室には殆ど呼ばれた事も無く

暫く案内表示を眺めた後
三階の大会議室が 通路の突き当たりに入り口がある事だけ確かめると
階段など一段抜かしで 飛ぶように上がって行く

流石に三階ともなると
国家の要人や知識人しか 用がないからだろう
ぱったりと人の気配が途絶え
下よりも空気が冷たく ひんやりとしている
がらんとして 突き当たりが見えない程長い廊下を ひたすら歩き続ける

両開きの 装飾がたっぷりと施されている扉まで やっと辿り着くと
スタンはしっかりと 扉に掛けられた表示が 大会議室である事を確認して
通路の端に沿って置いてある ソファーに腰掛けた


(フィリアは、今日も、って言ってたな)
という事は ここ何日かずっと 協議に詰めっぱなしの可能性もある

(二人ともきっと、疲れてるだろうな)
少し申し訳ない気持ちになるが 黙っていたら より大事になるかもしれない

そんな事を思っているうちに、早くも扉が開かれた
雑談が聞こえてくる きっと休憩が入ったんだろう
スタンは待ってましたとばかりに 勢いよく立ち上がり
首に巻き付けていたストールを取る
だが、いくら目を凝らしても ウッドロウやジョニーの姿が見当たらない


はて、と思い、開け放たれている扉の中をちょこりと覗くと

まだ詰めなければならない箇所について 話しているのだろうか
そこにやっと 見慣れた二人の姿があった

「おぉー、青年!久し振りだな!」
相変わらずの派手な服、そして派手な声に スタンは幾分安心した
「ジョニーさん、どうも!
ウッドロウさんも、お久し振りです。」

挨拶を交わすとすぐに 
この大会議室に 自分達しかいない事を確認して 本題に入る

「実は、リオンの事で、伝えておかなきゃいけない事がありまして・・・」

それだけ言うと ウッドロウが少し驚いて
「リオン君が、どうかしたのかね?」
と尋ねてくる
だが、ここで言える様な内容ではない
何て言って外へ連れ出したら良いか

スタンが一瞬逡巡した その様子を見て
横でとぼけた顔をしていたジョニーが 途端に真剣な目付きに変わる

「スタン・・・ちょっと外に出ようぜ。
ここでする話じゃない、違うか?」

ジョニーの、人の思考を瞬時に汲み取る能力には 凄まじい物がある
「流石ジョニーさん、話が早い・・・」
苦笑いしながらそう返すと

「ところで、ウッドロウ殿下、この城には二階の西側に幾つか客用の個室があったんだが、覚えてるかい?」
「もちろん。一番手前の客間は今、誰も使用していない筈だ」
「じゃ、宜しくな。10分後だ。」
「分かった。」

そんな会話が目の前で繰り広げられる
スタンは話の筋が全く見えず、困ってしまった
「ど、どういう意味ですか?」
聞くと、ジョニーはにやりと笑い

「何処に、誰が集まっているかだけで、尾ひれやらなんやらが付いて、立派な噂になっちまうからな」

お前さんは15分後だ、と言って
手元の紙を引き寄せると ジョニーは慣れた手つきで 羽ペンを走らせる
そこには 城の二階の地図が書かれていた
here と書かれた矢印の先に 小さな部屋

「くれぐれも、"一人"で来いよ。
あと、ノックは"しないで"入ってくれ。
鍵は開けておくんで、宜しくな。」

それだけ言うと じゃあな、と
手を振りながら 外へ行ってしまった

「それでは、私も行こうかな。
この書類は一階に提出する必要があるのでね。」
手元の紙をまとめて とん、と机で揃えると また後ほど、と言って
ウッドロウも外へ向かう


訳もわからず一人 ポツンと取り残されて
もう一度、ジョニーの台詞を思い返すと

(一人でって・・・そういう意味か!)

ようやく この行動の意味が分かったスタンは
先ほど首から外したストールを もう一度巻き直すと
ウッドロウやジョニーに "追いつかない" 様に 15分きっかり
城内で油を売ってから、二階へと向かった





そっと 指定された部屋のドアノブを回すと 言葉の通り、鍵がかかっていない
その向こうには ジョニーとウッドロウが待ち構えていた

「お前さんが来なかったら、どうしようかと思ったぜ!」
軽口を叩きながらも、ジョニーのその目は 真剣そのものだった

「すいません、お二人とも忙しいのに・・・」
「良いんだよ青年、我々もあの堂々巡りの会議には些か飽きたんだ」

溜息を吐きながら やれやれという仕草をするジョニーを横目に
ウッドロウは既に 椅子に深く腰掛け、手を組んで 話を聞く姿勢になっている


「スタン君・・・話してはくれまいか」

そう促され、スタンはようやっと話し始めた


「余り話すのは得意じゃないので・・・
要点だけ、まず」
と前置きした上で

「リオンが一週間程前に倒れました。
その後 一昨日の朝、酷い熱を出しましたが、今は熱は下がっています。
お医者さんが言うには、身体的な病気ではない、という事です・・・

そして、もう一つ、」


スタンは瞬間ためらうが、すぐに言葉にする

「リオンが倒れた時に、寝かせてやろうとして服の裾がめくれたんです。
ちょうど背中だったんですけど・・・こう、」

スタンは 自分の手で 自身の背中を何度も切り付ける様な仕草をして

「傷跡が見えたんです、随分昔の物も交じってる様でした。
それも鞭で打たれたような感じで、かなり沢山・・・」


すると、今まで黙って聞いてきたジョニーが口を開いた

「あんな"ぼんぼん"に、そんな事出来る奴ぁ、一人しか思い浮かばないねぇ。」

と、ウッドロウがその続きを引き受ける

「同感だ。彼の様な身分の者には、一般人が下手に近付けば、命の保証はない。
かなり身近の年上の者で、それも力の強い者でなければ、彼にそんな傷は付けられない筈だ。
・・・家族の仕業と考えるのが妥当だろう。」

スタンはその言葉を聞き、
最初に話す相手を間違えなくて良かった と痛感した

「実はあいつ、倒れた時から何度も、過呼吸の発作を起こしているんです。
倒れるまで、ずっとオベロン社の仕事ばかりしていたんで、かなり精神的にもキツかったみたいで・・・

お医者さんは、今までの出来事の蓄積による、一種のトラウマ状態ではないか、と言ってます。
期間は予測できないけど、とにかく暫くは完全に仕事がない状態で静養する必要がある、とも言われています。

俺も・・・今のリオンはとてもじゃないけど、外に出れる様な状態とは思えません。」



すると、ウッドロウが重い口を開く

「スタン君・・・君が今ここにいるという事は、誰かがリオン君を看ているんだね?」

「はい。
リーン将軍に教えて貰ったんです、暫く身を隠せる宿屋が街の外れにある、って。
普通の所じゃ、受け入れて貰えなかったので・・・」

リオンの方も 宿の主人の事を覚えていたようで
再会の挨拶は 感極まった主人からの抱擁だったが 
それも照れ臭そうにだが受け留めていた
そうでなければ、あの警戒心の強いリオンが こんなにすんなりと付いて来る筈がない

「それなら良いのだが・・・うむ・・・」

そう言ったきり、ウッドロウは視線を下へやって 考え込んでしまった
その隙を打って 今度はジョニーが続ける

「スタン、奴はまだ、16やそこいらだったよな?
飯はちゃんと食ってるか?まさかあれ以上軽くなったりしてないよな?」

「いや、それが、殆ど残してます・・・
まだ体調に波があるんで、調子が良ければ半分位食えるんですけど、駄目な時は全く口付けないんです。

無理に食わせても結局戻すだけだし、本人もしんどそうなんで、そういう時は点滴打ってもらうしかなくて・・・。」

体が 食べる事を拒絶する
それは無意識の内に 生きる事をも 拒絶している様で



繊細な硝子細工の様に 
脆く、壊れやすい彼の その瞳が映すのは
希望を 色を失った世界



リオンの現状を察して 言葉を失う二人を前にして
スタンはようやく、少しだけ肩の荷が下りた気がした

(だけど、これからが問題だ)
話して それで全て終わる事なら良いが
一番の肝は、この状況を何とか打破しなければならないという部分

それも リオンの為を思うのなら 大事にならぬ様に 繊細に扱わなければならない



「リオンにはオベロン社の仕事がまだ残ってます、だけどあいつが動けないとなると、これからどうするか・・・

これは俺が考えていた事なんですけど、」



そう口火を切ると

スタンはその碧い瞳を燃やしながら 語り始めた





6.end

「これだけ事が大きいと、
どちらにせよ、リオン一人じゃこれ以上、事の解決は難しいと思うんです。

だから・・・近い内に、陛下に直談判してきます。
国の介入が必要なんだ、って。」


金髪の まだ年端もいかぬ若い青年は
守るべき者の為に その碧い瞳を燃やしながら 語り始めた



7.





その大胆な発言に息を呑んだのは、聞いていた二人の方だった

「お前さん、それは本気で言ってるのか?」

ジョニーが茶化すように問いかける
だが その眼は真剣だった


「本気・・・です。」

腹を括ったスタンは揺るがない
頷いてから 真っ直ぐな眼差しをジョニーに返す


「今日、リーン将軍にも話を付けとこうと思って、城に来たんです。

リオンの事、気にしてくれていたから・・・あいつの今の状態を伝えておきたいんです。
それに、俺が何をしようとしているかも言っておかないと、」

万が一、自分が下手をすれば 
相手は陛下だ 即座に極刑を言い渡されてもおかしくないのだ
それなら 保険を掛けておきたい
自分の代わりに 彼を守ってくれる人を 少しでも増やしておきたい


言葉にはしなくとも
スタンのその 決死の覚悟は
相対する二人には十分に伝わっていた


「スタン君・・・そういう事なら一つ、提案が有るのだが」
ウッドロウが語り始める

「これから、我々は先程の協議に戻るのだが・・・
例えばその席で、
"オベロン社の行うべき仕事が滞っているようだが、何故か"
と問いかけてみる、というのはどうかな?」

ジョニーが その言葉に吃驚して目を見開いた

「殿下!悪い冗談はよしてくれ。
それじゃ焼け石に水だ、これ以上刺激してどうする!」

だがウッドロウは怯まない
「果たしてそうかな?
この協議では、各国の責任のなすり付け合いばかりが横行して、
前向きな議論が一切行われていないのは、君も身を持って実感しているだろう。」

「まぁ、そりゃそうだ。
だからオベロン社が矢面に立たされてるんだ・・・」

そこまで言って、ジョニーははっと顔を上げた

「まさか、オベロン社はもうお手上げ状態だって事を、
選りに選って国家間協議で、はっきりさせようってのか?」

「どちらにせよ、今のままでは我々の協議も埒が明かない。
参加者は皆、他人事の様に、机上の空論を語るだけなのだから。」

いずれ現実を直視しなければならないのだよ、と
ゆったりとウッドロウが語るのを 
ジョニーはどこか 恨めしそうな顔をして見つめている

「流石、帝王学を叩き込まれただけあって、器が大きいな。
第一継承候補は格が違う!」

「ジョニー、それは皮肉のつもりかね?」

うっすらと笑いながら返されると
ジョニーは溜息を吐いて そんなつもりじゃないさ、と前置きしてから

「俺らに出来る事と言えばそれぐらいだな。
勿論危険は伴うが・・・
だからといって黙ってる訳にもいかない、
殿下が言いたいのはそういう事だな?」

「うむ、君なら分かると思っていた。」


そのやり取りを スタンはただ 横で黙って聞いているしかなく

(何か・・・
話がでかすぎて、付いていけない・・・)

「スタン君、君はどう思うかね?」

急に振られたスタンは、戸惑いながらも 話の中で気に掛かった事を 素直に打ち明ける


「あの、それってもし話が拗れちゃったりすると、
リオンを公の場に出さないと収拾付かなくなる、なんて事はないですよね?」

その言葉を聞くと、ジョニーはすぐさま反応した

「それは何としても避けなきゃならない、事前の根回しは必要だな。
リーン外交担当には、この事を確実に伝えとく必要がある。
それと、オベロン社だけじゃ、これ以上手の打ち様がない事を、全員に納得させる材料、理由が必要、ってとこか。」

ウッドロウが頷いて、付け加える

「逆を言えば、それを理由にする他ないだろう。
オベロン社の責任者が今、実質リオン君である以上は、
"トップの責任を問う" のを止める様促し、
"解体間近のオベロン社には何の力もない、我々が分担して事を進めなければ、解決には程遠い"
という事を強調する必要がある。」

そんな風に、心強い言葉を聞いて

「お二人だったら、こんな事言う必要も無いかもしれないですけど・・・
もし、万が一リオンを出せって言う人がいたら、その代わりに俺が出ます。
俺じゃ、とてもリオンの代わりは務まらないのは分かってます。

でも、今度こそ 守ってやりたいんです。」

そっと力を込めて 握り締めた拳は
固い 決意の証


「まぁ、そんな事にはさせないさ。
何せこっちには、泣く子も黙るファンダリア国王、ウッドロウ・ケルヴィンがいるからな!」

今度は皮肉だぜ? 
と、ジョニーがウインクしながら軽口を叩くが
言われた方のウッドロウは そんな事は全く意に介していない

「スタン君、そうと決まれば、すぐにリーン閣下を探し出さなければ。
彼は普段は外交担当としてこの協議に出席するのだが、
今は丁度、二階で七将軍定例報告会に出席している筈だ。」

そう言われるや否や、はい!と勢い良く走り出しそうなスタンだったが 
ここに来て 大切な事をもう一つ思い出した

(ちょっと待った、ルーティ・・・!)
「あのっ、ルーティって今日城にいますか?」



すると二人は 予想していなかったスタンの言葉に 顔を見合わせた

「嬢ちゃんは、確か・・・昨日か一昨日か、いよいよクレスタに帰っちまったぞ?」

「・・・へ?
でも、またすぐ戻ってきますよね?」

ジョニーが首を横に振りながら スタンに答える

「うんにゃ、もう滅多な事じゃ戻らないはずだ。
何でも、孤児院を継ぐとか言って、俺らに後の事は任せたいって頼み込んできたからな。」

「城で行うべき仕事を、彼女は既に、粗方片付けてしまっていたんだ。
彼女も色々思うところがあるだろうし、後は我々が引き受けようと思ってね。」

(そ、そんな・・・!!)

スタンが愕然としているのを見て、二人はその理由にすぐに思い当たった

「スタン、嬢ちゃんに何て言うつもりだったんだ?」
あの気難しい弟についてさ、と 冗談交じりに続けたジョニーだったが 
スタンの 珍しく不安気な表情に 毒気を抜かれてしまった様で

「・・・なんて顔してるんだ。お前さんがそんなんでどうするよ?」
少し呆れの交じった声で 労う様に スタンの肩を叩いてやる

「だって、何て言おうか、思い付かなくて・・・
二人に相談してから、日を改めて話に来ようと思ってたのに、」

すると 成る程、といった表情で

「そうか、それで・・・
君は、思いの外、ルーティ君を大切に想っているようだね。」

ふふ、と微かに笑うウッドロウからは ジョニーとは違い からかう様な雰囲気は全く感じられない
きっと 若者達の淡い想いに 若かりし頃の自分を重ねているのだろう

「ルーティ君に話すのは、事が落ち着いてからでも遅くないだろう。
無闇に動揺させてしまっては、可哀想だからね。
とにかく、先決すべきは、リオン君一人に責任がのし掛かっているこの現状を打破する事だ。」

重みのあるウッドロウの物言いは 大きな説得力を持つ


「我々はそろそろ戻る時間だ。
リオン君の件は、まずは我々に任せてくれたまえ。
陛下に訴えるのは最終手段だ、協議で出来る限りの事をしてみよう。

スタン君、リーン閣下への伝言は、君に任せたよ。」

「と言う訳だ、スタン、走れ!」

腰を上げながら言うウッドロウに続いて、
ジョニーが焚き付けるように声を荒げた

「はい!行ってきます!!」
背中を押されるように 部屋を飛び出したスタンは 最後に振り向いて 付け加えるように
「本当に、ありがとうございます。助かりました!」
と言いながら ぺこっと頭を下げた





スタンが 廊下を走っていく足音を聞きながら 一瞬にして 部屋が静まり返る 
沈黙に 互いに顔を見やる

すると ふ、と笑い ウッドロウが呟いた
「彼は・・・若い、な。」

ジョニーはそれを聞くと 眉を寄せ
深い溜息を吐きながら 忌々しげに舌打ちした

「殿下がそれを言うのか?
俺より年下じゃないか・・・全く、老け込みやがって。俺の立場はどうなる。」

その言葉に ウッドロウは珍しく 苦笑いを浮かべて
「そうだったな、すまない。失言だったようだ。」
と どこか力無く返す

ジョニーはその様を見て
(この男がうっかり口を滑らすなんて、珍しい事もあるもんだ)
と一人ごちる

スタンの前では微塵も感じさせなかったが
いくら一国の王となったとは云え まだまだ若いのだ
やはり多少は リオンの話を聞いて 動揺していたのだろうか

「良いって事よ。
さ、資料を集め次第、俺達も協議に戻らにゃ。」

彼の肩を叩いて ドアへと向かい 振り向きざまに
「俺はオベロン社の屋敷でちょいと資料をかっさらってくる。
殿下は城内の方が良いだろ?」

仮にも一国の王なんだから、外は余り出歩けないだろ、と付け加えると

「助かる。こちらはセインガルド国に届いている資料を出来る限り集めておく。
では、30分後に一度、三階で落ち合うとしよう」
と、既にいつもの調子を取り戻しているウッドロウを見て

(なんだ・・・やっぱ可愛くない奴だな)


心の中では 悪態を吐きながらも

(まぁ、この調子じゃないとこっちが困るからな、これで良しとするか)

本人に見られぬようにと
ジョニーは背中を向けたまま 密かに微笑むのだった





7.end

8.





一方、七将軍定例報告会が行われている二階の謁見の間では 緊迫した空気が漂っていた

「それはなりません、大将軍閣下!
お言葉ですが、国力の低下した今現在、またも七将軍を各地へ散らしては、益々民の士気が下がってしまうというものではありませんか?」

「しかしリーンよ、各地で未だモンスター襲撃が多数報告されているのだ。その様な事態を放っておけば、反政府派がここぞとばかりに民を誑かし、国への不安を助長しかねない!」

陛下、ご英断を、と 壇上を見つめるのは
七将軍及び国軍全てを束ねる ドライデン大将軍
彼は珍しく 机に身を乗り出して まるでリーンを威嚇するかの様に声を荒げている
しかしリーンの方も負けてはいない

「閣下、ヒューゴが企てを実行に移す前も、丁度我々がダリルシェイドを離れていたのをお忘れですか!
民を助けなければならないのは確かですが、ここを離れれば、諸外国に付け入る隙を与えてしまいかねません。首都陥落の可能性もあります。
故に、私は断固反対致します!」

そうはっきりと言い放ち、彼もまた 壇上の王を見やった



すると 王がその重い口を開く


「ドライデン、其方の言う事は最もだ。
しかし、今はまず、国を立て直さなければならぬ。国という礎を無くしては、民を守る事は出来ぬのだ。
其方なら、余の思いを分かってくれようぞ。」

王の言葉を聞くと 瞬間ドライデンは 机の上の拳をぐっと握り締めたが
陛下を相手にしてはそれ以上何も言えない様だった
その隙を付くかのように、穏やかな物腰で場に割り込む声が一つ

「それでは、陛下のお言葉を持ちまして、この場は一度解散と致しますが、如何でございますか?」

この場の進行を務める ルウェイン将軍が
何食わぬ顔をして、白熱していた議論にあっさり決着を付けてしまうと
一度いきり立ってしまった気持ちのやり場に困ったのか ドライデンとリーンが 二人揃って盛大な溜息を吐いた




定例会が解散されると 七将軍が囲む机の周りに立っていた兵士達が 一斉に外へと流れ出る
(閣下は、今の状況がどれだけイレギュラーな物か、分かっていないんだ)

まるで国の境など無いかのように 支援として人や物が行き交う今の状態では、何が国内に持ち込まれているか 分かったものではない
だからこそ 一層警戒する必要があるのだ
リーンは そんな事を悶々と独りごちながら 謁見の間から繋がる 小会議室のドアを勢い良く開けた


すると ごつっ、と 鈍い音が響く

(え?)
もしやドアの前に誰か居たのか、と思い 一瞬ドアノブを持つ手を放したが

「いったー・・・」
向こう側から聞こえて来た声が 馴染みの有るものだと気付くと すぐにリーンの方から声を掛ける

「スタン、スタンか?
お前何やってるんだ?!内開きのドアの目の前に立つ奴があるか!」

開けるぞ、と続けながら ドアノブをもう一度握り直すと
そこには 顔を抑えて座り込む 金髪の青年
「あ、リーンさん・・・どうも、」

いたたた、と顔を歪めながらも 何とか笑顔を作って挨拶する この人の良さそうな青年に任せたのは、他でもない

リオンの事だ、そう直感した


「あっそうだ、宿屋、教えてくださってありがとうございました。
お陰で、リオンが昔使った事のある宿が見つかって、今そこで休んでます。
ご主人と顔馴染みだったみたいで・・・安心出来るみたいです。ほんと、助かりました。」

律儀に頭を下げながら語るスタンに リーンは先程まで白熱していた議論の勢いもそのままに 矢継ぎ早に質問を浴びせる

「スタン、一体、あいつに何があったんだ・・・お前がこんな所まで来るなんて、只事じゃないな?
それに、リオンが宿屋の主人と顔馴染みだって?
あの人嫌いが、一体どう云う訳でそうなったんだ?」

聞きたい事が沢山有るぞ、と言わんばかりの勢いのリーンに
スタンはただ苦笑いを浮かべるだけで 質問には答えない

「ええい、スタン!焦らすな。真剣な話だろ。」
早く話せよ、と急かすリーンに スタンは少し考えた後 質問に質問を返した

「リーンさん、あいつの背中、見た事ありますか?」
最初は スタンの言葉の意味が全く分からず
「背中?いや、無い」
と答えたのだが

「あいつ、人前で着替えた事、ありますか?
素肌を見せたり、触られたりする事、極端に嫌がったりしませんでしたか?」
今度はスタンの方から 矢継ぎ早に聞かれ


ふ、と思い当たる事があった
国王主催の剣術大会に リオンが出場した時の事だ
あれは丁度 客員剣士としてのお披露目も兼ねたものだったから 彼はまだ14、5歳だったのだろう
試合の後は 当然汗を流すし、更衣室で服を着替える筈だ

フィンレイが直々に剣を鍛えてやった、と前々から聞いていたリーンは 一度話してみたい、と
興味深々で更衣室に陣取っていたのだが、待てど暮らせどリオンは来ない

待ちくたびれて 近くに居た兵士を片っ端から捕まえて聞いてみると
"そういえば、お手洗いの個室で着替えてらっしゃったようです" との目撃情報

確かに 会場でちらりと見た彼は まだ背も伸びきっておらず 華奢な体だった
その時は "もしかしたら、自分の体付きに自信がなく、他人に見られたく無かったのだろうか" と思い 気にも留めなかったのだが

「あいつ、何か隠していたのか?」
察しの良いリーンが、それを思い出しながら答えると
スタンの表情が途端に真剣になる


「本人に、直接は聞けないですけど・・・

多分、ヒューゴに虐待されていたんだと思います。
背中に、鞭で打った様な傷跡がびっちり残っていました・・・倒れた時に、寝かせようとしたら、偶然見えたんです。
かなり古い物もあったので、幼い頃から最近まで、きっと続いてたんだと思うんですけど・・・」

そのスタンの言葉を聞いて
リーンは愕然とし 言葉を失ってしまった



(ずっと、おかしいとは思っていた・・・)

何故 未来を渇望される客員剣士が これ程までに たかが一企業の総帥に服従するのか
二人が親子関係であると知ってからも
リーンには、ヒューゴとリオンの関係は酷く奇妙なものに見えた

何故そこまでして 父親に服従する
城に迎え上げられる程の実力があれば、幾らでも 自分で道を切り拓く事が出来る筈だ
何故 それをしない?
何故 酷く傷付いた顔をしながらも 彼の言いなりになる?

今まで抱いていた疑問の答えが そこにはあった

(だから、抜け出せなかったんだ・・・あの、父親の支配下から)
体に刻み込まれた痛みによる絶対的服従、それによる自尊心の欠如

そして、自分の唯一大切な人までも同じ目に合わせる、ともし仮に脅されたら?



全てが 一本の糸の様に繋がる
それまで 言葉を失いながらも冷静に考えていたリーンが スタンに問い掛けた

「倒れたってのは聞いたが、結局理由は分かったのか?医者はなんて言ってた?」

「ストレスとか、過労とか・・・
今まで積み重なってきた事も色々ありますけど、一番はオベロン社の責任者としての仕事、だと思います。
とにかく、凄い非難を浴びせられて・・・
普通の精神じゃ、あんなの、耐えられない筈です。
ましてあいつは、まだ16歳なのに・・・っ!」


スタンが珍しく激情を露わにしながら言うのを聞くと、リーンは口には出さず

(それでとうとう、壊れちまったのか)
と考えながら スタンの言葉に耳を傾ける

そうして スタンが リオンの今の状態、そしてウッドロウとジョニーが 今まさに協議で扱っているであろう事を粗方話し終えると
リーンは暫く腕を組んだまま、黙って考え込んでから 顔を上げた

「分かった。
スタン、もし陛下に説明を求められたら、お前に証人になってもらうかもしれない。
が、最後は俺が責任を取る。だからもしそうなっても、安心して全部ぶちまけろ。」

するとスタンが 今までの威勢の良さは何処へやら 
「いや、それじゃあリーンさんが・・・!」
と急に焦りだしたが リーンは一歩も引かない
「悪いが、ここは譲れん。お前はいくら英雄と言えど、今はまだ、ただの一般人だ。
俺が責任を持たなければ面子が立たねえ。それに・・・」


少し間を開けると リーンはその整った顔立ちで微笑んでみせる

「リオンを気に掛けてるのは、何も俺だけじゃない。
閣下・・・失礼、ドライデン大将軍はヒューゴの事は嫌っていたが、リオンには期待していたんだ。
七将軍の名を継げるのは今の所あいつ位だって、酒の席で零してたよ。

それに、帰還したリオンを心配して、陛下が少し休めと仰った事、お前も覚えてるだろ?
皆、あいつの事を心配してるのさ。
もし誰かが納得しなければ、俺が力づくで納得させてやる。だから、心配するな。」

そう言いながら、拳を握る彼は 実力行使も居に介さないと言いたげだが
次の瞬間には、彼の頭には もう別の事が思い浮かんでいた


「リオンと言えば・・・あいつのお気に入りだったメイドはどうしてる?」
「マリアンさん、ですか?」
「そうそう、それだ、マリアンだ。
彼女が居たら、そんな状態のあいつを放っておく理由がないだろ。
なのに、どうしてお前が付きっきりなんだ?」

射抜くようなリーンの瞳は 全てを見透かしている様な気がして 
やましい事など何も無いのに、一瞬スタンは心臓を掴まれる様にどきりとした

リーンは静かに だが何かに対して怒っているかの様で
それが何だか分からないスタンには リーンの怒りだけがひしひしと感じられて 居心地が悪い

「マリアンさんは、ダイクロフトから助け出した後、実家に戻ってもらったんです。
守りながら戦うのは厳しいし、かといってダリルシェイドに帰すのは危険だって、リオンがどうしても譲らなくて・・・」

その言葉を聞くと、リーンは打って変わって 優しい顔付きになった

「そうか・・・
俺はまたてっきり、あいつを見捨ててどっか行っちまったかと思ったが、そういう事じゃないんだな。」

それなら良いんだ、と続けるリーンの言葉や姿は
まるで弟を溺愛している兄そのもので
スタンには その姿が妙に無防備にさえ見えた

(リーンさんって、優しいんだな)
改めて思い直しながら 当時のリオンをふと思い出す

オベロン社に少しでも関係が有ると判れば、ダリルシェイドに居ては身の安全が保証されない
リオンは既にその事を分かっていたのだろう

だから 一番愛する人を 自ら遠ざけた


"一番愛する人を自分の側に置いておく"
それが最も危険な事だなんて 皮肉もいいところだ
けれど あの時のリオンに迷いは無かった
彼女が無事である事を自分の目で確認した途端 ろくに顔を合わせる事もせず 彼女を脱出ポッドへ急がせた

リオンのそのぶっきらぼうな態度に マリアンも困惑していたし
あのルーティですら"それは酷すぎるんじゃないの"と 彼を非難した程だ

だけど、何時もなら ルーティに何かを指摘されると瞬時に反発するリオンが
その時は まるでそんな言葉、聞こえていないかの様に ただ真っ直ぐに前だけを見つめて 全く反応しなかった
そして ルーティの言う事を一しきり聞き終わると 

彼女の顔も見ずに冷たい声で
「言いたい事はそれだけか」
それだけ言い放つと もう何も言わなかったのだ



多分、あれは 突き放す為の言葉

自分に関わっては不幸になる、と悟ると
自身の事など一切顧みず

愛する人の為なら
自身に与えられるべき愛や幸福さえ 迷いなく平然と切り捨ててしまう

その 彼の痛々しい程の気高さが いつしか彼自身を追い詰めていくとも知らず


(リオン・・・どうして、)

どうして彼は 頑なに人の愛情を拒む
それは 彼が一番必要としている物なのに



「スタン、あの辺りはちょこちょこ宿屋があるよな、あいつはどこの宿にいる?」

黙り込んでしまったスタンに、リーンは務めて冷静に話し掛ける

「え、と・・・北西の区画の一番外れに、小さな噴水がありますよね?
その三叉路を左に行った所です。あ、今は看板外して貰ってるんで、ちょっと分かりずらいかも・・・」

それを聞くと、ほう、とリーンは感心したように声を上げた
「よくそんな事まで知ってるな。一体誰のテコ入れだ?」
「いや、ご主人がそうしましょうかって言ってくれたんですよ・・・大体、あの宿を教えてくれたのはリーンさんじゃないですか?」

最もな言い分を聞いて、そりゃそうだ、と笑いながら頷くと リーンは至って気さくに語りかける
「スタン、今日の夜、仕事が終わって、九時にはその辺りに着くと思うんだが、宿まで手引きしてくれるか?」

まさか、七将軍ともあろう人があそこまで見舞いに来るのか、と スタンは一瞬耳を疑うが
「分かりました・・・じゃ、九時に噴水の前で、待ってます。」
半信半疑でそう返すと

「分かった。裏口から案内してくれ。じゃ、また後でな。」
その答えを聞く限り リーンはどうやら本気の様だ
最後に"わざわざありがとな"と付け足して また謁見の間へと戻るらしい彼は
ひらりと手を振り ドアの向こうへと消えて行った


は、と気が付くと 窓から入る日差しは真っ赤に染まっており 日は既に落ちかけていた

日暮れまでには帰る、と約束したのを思い出す
それに、リーンが見舞いに来るのなら リオンにも、宿の主人にも話しておかなければならない

(取り敢えず、今日はここまで)


タイムリミットがある事を 少しもどかしく思いながら 
スタンはリーンが向かったのと反対の 廊下に面しているドアを開け 宿へ向かうのだった






8.end






リーンは 謁見の間に戻ると
未だ壇上に残り、何かを考え込んでいる様子の陛下の前に傅き そっと声を掛ける

「陛下、恐れながら、お願い申し上げたい事が一つ、ございます・・・」



9.





三階の大会議室では 既にドアが閉め切られ 協議が再開されていた
その人気のない廊下で 佇む人影が二つ


「そうか・・・あの屋敷にはそんな物まであったのか。」

「えぐいにも程があるぜ。何事にも限度ってもんがあるだろ。
オベロン社の奴らは、あんなまだ年端もいかない子供にこれだけ仕事させといて、良心の呵責を感じないのかねえ?」

ジョニーは集めてきた資料の内の一枚をひらひらとさせながら 心底飽きれた様子で溜息を吐き

「これなんて酷いもんだ。
オベロン社内部の会議の議事録、なんだがな。」

読め、という風に ソファーに置いた分厚い資料の束から 一束ひょいと抜き出すと
ウッドロウヘ渡す

「これは・・・

完全に内部が破綻している。
正にリオン君、対、その他オベロン社社員といった風だ。
これでは、何かを期待するだけ無駄だろう。
彼の為だけでなく、罪の無い社員の為にも、一刻も早く、解体してしまうべきだ。」

「だろ?もう完全に収拾つかなくなっちまってる。
ところで、殿下の方は何か収穫はあったか?」

聞かれると ウッドロウも小脇に抱えたファイルの中から紙を取り出し 話し始めた

「リオン君の、これまでの職務報告書を手に入れる事が出来た。
これを見る限り、やはり彼は至って真面目で勤勉な性格のようだ。
報告書も人任せにせず、全て自分で仕上げている。
彼の実力の程が伺える物だと思うが、どうかね?

それと、騒乱についての報告書の草案・・・これは、まだ正式な文書ではないが、彼が最後まで命を賭して戦った旨の記述がある。
最終決戦の場に居たメンバー全てと、ドライデン閣下の署名もきちんと入っている事を考えれば、説得力に欠ける事はないだろう。」

そして、最後に、と続けながら
ウッドロウは一枚の紙をジョニーに差し出した

そこには"辞令状"の文字


「私は、リオン君はてっきり、王により客員剣士の名を剥奪されたと思っていたが・・・どうやらそうではなかったようだ。」


"この者リオン・マグナスに於いては

一、自身が加担したとされる騒乱の責任を取る為、客員剣士の名を返上したいとの旨をここに認める

二、騒乱の影の功労者として、仲間と共に"英雄"と称される事を、自ら固辞した旨をここに認める"


ウッドロウの手から その辞令状の写しを奪い取り 目を通すと
ジョニーは眉をひそめながら言葉を返す

「仮に、王に剥奪されたとしたら、こんなに名残惜しそうな書き方はしないだろうな。
もしやリオンの奴、査問の時に王を言いくるめて、無理やり辞令を出させたんじゃないのか?」

あいつの頑固さは 親父に似て筋金入りだから、と
ジョニーが渋い顔で笑えない冗談を飛ばし ウッドロウヘと目をやると

「うむ、私もそう思っていた。
王にとっては、この辞令は不本意だったのではないか、とね。」

彼の事だから それ位の事はやりかねない、と
意見が一致したことを 互いに頷く事で確認し合ったその時
パタパタ、と 人気のない廊下をこちらに向かって走ってくる 人影が一つ



「ウッドロウ王、それにジョニー殿!丁度良かった、一つ朗報がある。」

「リーン閣下!」

天下のセインガルド七将軍の前とあっては
この男の卑屈な一面も 最早垣間見る事ができない
彼の姿が視界に入るなり ジョニーは背筋を正して その名を呼んだ

「スタンの奴に使い走りを頼んだのですが、無事に会えましたか?」

すると 七将軍きっての二枚目と評されるその整った顔で リーンは不敵な笑みを浮かべる

「ああ、それに付いて、知らせようと思ってな。
先程、陛下にお伺いを立ててみたんだ。
リオン、もしくはオベロン社の事について、
必要とあらば陛下が直々に緊急声明を出してくださる、と約束を取り付けてきた。
後は、これからの協議でどこまで話を詰められるかに懸かっている。」

「陛下が後ろ盾となってくださるとは・・・
大変ありがたいことだ。
私からも、後程陛下に御礼申し上げなければ。」

そう言って いつも以上に真剣な顔付きになったウッドロウを見て 

「まぁまぁ、固い話は後に回そうや」

と気さくに二人の肩を叩いて笑うと

「自分も今から協議に戻る所なんだが、あの石頭連中を説得出来そうな物はあったか?」

リーンは そんな風に協議出席者を揶揄して、必要以上に萎縮している様子のジョニーに笑いかける
リーンの真意が分かったのか、ジョニーはしてやられた、と言う様に 少し苦く笑って返した

「漁れば漁る程、見つかりますよ?
今まで露呈しなかったのが不思議な位だ。
これだけあれば、誰も反論出来ないでしょう。」

やっと肩の力が抜けたジョニーの 何時もの皮肉交じりの口調が戻ったのを確認すると
リーンはニヤリと笑い 新しい玩具を目にした時の子供の様に 目を輝かせながら

「ふむ。じゃ、一丁行きますか!」
と意気込んで ドアに手を掛ける

これが、長年の実務経験で身に付けた 彼の戦い方なのだ
プレッシャーがかかる場面なら、尚更それを楽しまなくてどうする、とは 彼の口癖でもある

その後ろ姿に頼もしさを感じながら
二人は彼に続いて 大会議室へと消えていった








茜色の空が 暗闇に変わって
スタンは 宿に着いてからずっと リオンの側に付いていた


(リオン・・・なかなか起きないな)

昼間からこれだけ熟睡してしまうと 夜が眠れなくなりそうだ、と心配になるけれど

ここのところ、余り眠れていない状態が続いているからだろう 
目の下に出来た隈が 彼の元々持つ、少し不健康な印象をより強くしている
無理に起こすのも可哀想だ

手持ち無沙汰のスタンは 仕方なく昼間リオンが読んでいた本を手に取って ページをめくるが
元々余り文学に興味の無いスタンには 面白さなど微塵も分からず

(具合が悪いのに、よくこんなの読めるよなぁ)

俺だったら、絶対に文字なんて見たくない、と独りごちながら
リーンとの約束の時間まで リオンの寝顔を眺めながら 大人しく待つ事にした


宿の主であるローガンは、最初はリーンの見舞いに反対していた
嫌な記憶を思い起こさせるような事をしたら、リオン本人が辛いのではないか、と危惧していたのだ

だけど これは避けられない事なのだ
何れにしろ 誰にも話さずに、知らせずに解決する事なんて出来ない
それなら、寧ろ自分が側に居る間に 最初のステップを踏んでしまおう

何かあっても 今ならまだ
自分がリオンを護ってやれる そう思ったのだ
それに 皆の気遣いを 愛情を
少しでも早く リオンに伝えてやりたい


そんな事を独り、考えていると
時間が過ぎるのはあっという間だった
窓の向こうは とうに暗くなっている
壁に掛けられた時計が 約束の時間の10分前を指していた

(そろそろ・・・行くか)

待ち合わせの時間より 少し早く着いておきたい、と腰を上げたスタンは はて、と思う
いつの間に、そんな常識が自分に身に付いたのか 思い返せば
旅の間中、毎朝寝坊する度に叱りつけられていたのだ

"スタン、お前、仕官したいなどとほざいていたがな、
5分前行動も出来ないお前に、仕官など務まるものか!"

剣をも抜きそうな剣幕の彼に 散々怒鳴り付けられて やっと今それが出来る様になって
今から考えると それは彼なりの 仲間に対する思いやりだったのかと気付かされる


そんな言葉も 今はもう聞けなくなって 寂しさだけが胸に残る


階段を降り、宿主に一言断りを入れると
スタンは静かにダリルシェイドの 夜の闇に溶けていった





噴水の縁に腰掛けようと 手で触れると 微かに夜露に濡れているのが分かる
それを手で払い 腰掛けると 冷んやりとした大理石の質感 
水がばらばらと零れ落ちる音だけが響く 誰も居ない街

すると すたすたとこちらへ向かって真っ直ぐに歩く人影が見える

私服に着替えてはいるが、あの佇まいは間違いなく彼だ
周りの民家の住人に悟られないように、スタンは小さな声で呼びかけた

「リーンさん、こんなところまで、ありがとうございます。」

リーンは相変わらず、爽やかな笑みを絶やさずに スタンの耳元で囁く

「スタン、良い知らせがある。
まだ正式決定ではないが、これでリオンの奴も少しは安心して休めるだろう。
さ、話は後だ。まずは宿に案内してくれ。」

そう促されて 案内すると

「お待ちして居りました、さ、どうぞ。」

宿に着くなり ローガンが頭を下げながら恭しく出迎えた事に スタンは驚きを隠せなかった
そんな彼の姿は 三日も寝食を共にしたスタンですら 一度も見た事がなかった

上着を受け取り、ハンガーに掛けながら
「お手洗いはご利用ですか?
右に入って頂くとございます。」
とさりげなく声を掛けると
リーンは「手だけ洗わせてくれ」と至って自然に返す

(なんか、都会的だな・・・)

考えるまでもなく
このダリルシェイドで、しかも相手は大将軍ともなれば 洗練されたやり取りが交わされるのは極当然なのだ
リオンも きっとあの屋敷では こういう生活をしていたのだろう

改めて 自分とリオンとの育ちの違いを感じながら
スタンはリーンに 恐る恐る声を掛けた

「リーンさん、肝心のリオンが今、二階で眠っちゃってるんです。どうしましょうか?」

少し考える様に口をへの字に曲げると

「ん・・・そうだな、まずは少し顔が見たい。部屋へ案内してくれ。
ああ、それとご主人、その横の部屋を一つ、貸してくれないか。
こいつと少し、込み入った話がしたいんだが、」

すらすらと 自分の要件を話し出したリーンに 元来口下手なスタンは既に圧倒されてしまっている

「ええ、そう思って右隣の部屋を開けております。お使いくださいませ。」

お茶をお持ちしておきましょう、とローガンが付け加えると
助かる、とリーンは爽やかな笑みで返してから
「スタン、」と名前だけ呼んで
行こう、と言う様に 二階に上がる階段に目をやった



一応、と思い ドアを軽くノックしてから そっと開ける
静まり返った部屋に 微かに聞こえる寝息
彼が眠っている事を確認してから スタンが手で どうぞ、と示すと
そっとリーンが 部屋に足を踏み入れた

テーブルに置かれた小さな灯りに照らされて すらりと部屋に長く伸びた リーンの影を見ながら
(大人と子供、だよな)
とスタンは思う

ベットに横たわるリオンは 後ろ姿だけでは一瞬女性か、と見紛う程なのに
彼の寝顔を覗き込むリーンの方は 自分より一回りも大きな体躯の持ち主なのだ

その背を屈めながら リオンのやつれた横顔を見て
やはりリーンはショックを隠しきれない様子だ
口元に手をやると 瞬間息を呑んだ

「スタン、」
呼吸音に近い囁き声で 腕を組みながら リーンはスタンを呼ぶ

「こいつ、大分痩せたんじゃないか?」
スタンはリーンの問いに 素直に首を縦に振って答えた
「全然食べてないですもん・・・元から華奢だったのに」

リーンは 暫くリオンの寝顔を見つめて 何かを考えている様だったが ふ、と顔を上げると

「話がまだだったな。行くか。」

と踵を返しながら ドアへと向かう
完全にリーンにペースを握られているスタンは ただその後ろ姿に着いて行くので精一杯だった


「まずは、これを見てくれ」
隣の部屋に入るなりリーンから渡された文書を まじまじと見つめたのだが
スタンには最初、それが何だか全く分からなかった

「これは・・・?」
「あぁ、そうか、お前は公文書を見る機会が無かったか。
まあいい、捲っていってくれ。その内分かる。」

リーンはそれだけ言うと ソファに体を埋め ローガンが淹れたコーヒーに口を付ける
仕方なく言われた通り ページを捲ると
"緊急声明"という大きな題字が目に入る

そのまま素直に下へと読み進めると スタンは驚きの余り、思わず声を上げた


「リーンさん、これ・・・っ!!」

すると リーンは何時もの様に爽やかに笑いながら 少しおどけた口調で

「ウッドロウ王とジョニー殿下と俺と、三人掛かりで、これをもぎ取ってきたんだ。
これであいつも、少しは肩の荷が下りるだろ。」



"緊急声明

セインガルド王国は、オベロン社に絶対の信頼を置き、国家指定事業として支援してきた経緯を踏まえ、
また当該社総帥が既に命を落としている事を受け、国として事態に介入する意志がある事を、ここに表明する"



「これって・・・まさか、」


余りの事態に 言葉を失い呆然とするスタンを見て 
リーンの笑みが 柔らかなものに変わる

「びっくりしたか?
大の大人三人が城中を走り回って、ようやくここまで漕ぎ付けたんだ。
正式発表までにはもう少しかかるが、まずは知らせておこうと思ってな。」

大事に受け取ってくれよー?と付け加えて
また一口 旨そうにコーヒーをすする彼


(これ・・・)

国が事態に介入する、と言う事は
責任は リオンではなく 国の物となる
国民からの非難はまだ暫く続くだろうが

やっと彼が この責任から解放される事を この たった紙一枚が示している


胸に込み上げてくる物を感じ、スタンはそのまま勢い良く頭を下げる

「リーンさん・・・ありがとう、ございます・・・!!
本当に・・・本当にっ!!」

言いながら、頬に熱い物が伝うのを感じた
それを見ると リーンが少し困った様に笑いながら

「スタン、俺もお前に感謝してるよ。
あんな状態のあいつを、ずっと看てるのも、辛かっただろ。」

それは いつもの不敵な笑みではなく
ともすると 彼もまた泣き出しそうな表情で
子供の様にしゃくりあげる、スタンの背を撫でてやりながら その苦労を労う


暫くそうしていると ドアの向こうから控えめなノックの音が響いた
リーンが「何だ?」とドアに目をやりながら返すと
ローガンがそっと 失礼致します、と言いながらドアを開けた

「リオン様が、お目覚めになりましたが・・・いかがなさいますか?」


ドアを開けたローガンが スタンの涙を見て 内心驚いているのが見て取れる
瞬間、部屋にいた二人は目を見合わせたが
すぐにリーンは冷静さを取り戻して

「スタン、その顔、早く何とかしろ。
男にこんな物貸すのは、お前が初めてだからな。」

高く付くぞ、と呆れた様に笑いながら
スタンに自分のハンカチをぽん、と投げてやると さっさとリオンの眠る部屋に向かおうとする

「リーンさん、ずるい!
ちょっと待って・・・!直ぐに行きますから!」

そう言いながら 借りたハンカチで顔を拭うと
スタンも慌てて リーンに続いて部屋を出て行くのだった





9.end







きらきらと輝く 金の髪が風になびいて

思わず目を惹かれて 手を伸ばしていた
すると いつの間にか真っ黒な霧が現れて 僕のその手を、そして体を包んでいく


ああ、そうだ

これはきっと あの場所での記憶




10.




目を開けるとまず 視界に入ったのは 自分の骨の浮いた手の甲

ぼんやりとした頭で 宙に伸ばした手を 何度か握ったり開いたりを繰り返している内に
先程の光景はやはり夢だったのだ、と気付いた

そのまま暫く 布団にくるまっていると
暖かい部屋 布団に保たれた自分自身の体温
暖炉で薪が爆ぜる音 自分の呼吸音
それらを五感で味わっている内に また瞼が重くなってくる
部屋が暗いという事は あれから 夜まで寝てしまったのだろうか
随分長く眠れたな、と何処か他人事の様に思った途端 急に喉の渇きを感じた

(下で・・・水を、)
布団をゆっくりと 少し名残惜しそうに除けると
ブーツの脇に揃えて置いてある 宿内用スリッパを履いて、ドアへと向かう

ノブに手を伸ばした瞬間、小さくノックの音が聞こえた
わざわざ返事をするまでもない、と思い ドアを内側に引くと おや、といった様子の宿の主が立っていた

手には水の入ったグラスと 淹れたての紅茶の一式が載った盆
ドアを大きく手前に引いて 彼を部屋に招き入れると
「お目覚めになりましたか、坊ちゃ・・・失礼、リオン様。」
盆をテーブルに置き 自分の非礼を詫びながらも
目を細めてそっと笑い 孫に対するような柔らかな口調で ローガンが話し始める

「今、リーン将軍がスタン様とお仕事の話をなさる為にいらしていますよ。
リオン様のお顔を見たい、とも仰っていましたが・・・いかがなさいますか?」

リオンへの見舞いだ、と言えば 
彼はまた 自分の素直な気持ちを押し殺して 求められる自分を演じてしまう
そう直感したローガンは リーンが此処にやって来た本当の理由を やんわりと隠してやる

「リーンが・・・此処へ?」

それを聞いて 驚きを隠せないリオンはつい おうむ返しで問い掛けてしまった
彼程の多忙な人間であれば 使い走りに任せればそれで事足りるだろうに、何かあったのか、と
自分の事を棚に上げ リオンは怪訝そうな顔をする

「此処だけの話ですが・・・最近見掛けないな、と言って、リオン様の事を酷く心配しておられる様子でしたね。」
それで、わざわざ来られたのかもしれませんよ、と たった今思い出したという風に付け加えれば
彼にもリーンの思いは十分伝わる、とローガンは既に見抜いていた

「・・・そうか・・・」

自分が倒れてから 日時の感覚が酷く朧げで あれから何日経ったのか、はっきりとは分からないが
きっと 事情を知らぬ人間を心配させる位には長引いたのだろう
申し訳ない、と思う一方 つい何時もの癖で 疑心暗鬼に駆られ始めていた

僕なんかの為に?
それに、何故スタンは此処をリーンに教えた?
リーンは本当に心配しているのか、それとも何か良からぬ思惑があるのではないか?
一度考え始めると 次々と思い浮かぶのは嫌な可能性ばかり

その心の奥底にあるのは何時も 裏切られる事への恐怖

(僕は・・・前からこうだったか?)
ふと思えば 本当に幼い頃は もっと無邪気に過ごしていたような気もする
一体いつから 目に見えない人の気持ちや思惑を こんなに怖れる様になったのだろう

(僕は・・・何処か、おかしいのかもしれないな)

そんな自虐的な考えに思い至って

今までならきっと 
こんな事を思った瞬間から 動揺して呼吸が出来なくなっていた筈だ
けれど、久し振りに熟睡して 少し気持ちが落ち着いているからだろうか
今までにない程冷静に そして自然に導き出された結論に あっさりと納得してしまえる自分がいた

「スタンと一緒なら・・・構わない。
そう、伝えてくれるか?」

何故そんな事を言ったのか 自分でもその理由は良く分からなかった
いつもそうだ 何の根拠もなくただ 大丈夫、と口癖の様に繰り返すだけなのに
あいつが居ればそれだけで 何とかなるような気がする

どうしてその言葉が その存在が こんなに僕を安心させるのか

「かしこまりました、只今伝えて参りますね。
そうそう、紅茶を淹れて参りましたから、お召し上がりください。」
お砂糖とミルクは入っておりますので、と付け加えながら 宿の主が部屋をそっと出て行く

その後ろ姿を見送りながら 部屋に一人取り残された事に気付くと 急に部屋の温度が下がったような気がして 背筋が寒くなる
ローガンの持って来た まだ湯気の立つ紅茶に口を付けて 自嘲する様に自身に問いかけてみる

(ずっと、独りだった筈なのに・・・今更、寂しいとでも云うのか?)

いや、違う
いつも 自分の側にはシャルティエが居たではないか
彼だけが、自分が唯一信頼出来る 心を打ち明けられる存在だった

それなら、今は?

(まさか・・・そんな訳、あるか)

真っ先に頭に浮かんだのが さっき夢に見た 金髪の青年だなんて
否定するように 頭を振った
あいつは考えなしに 人に大丈夫、とか安心しろ、とか 無責任な事を言って・・・

(あんな見せかけの優しさに、救われたとでも云うのか?)
そんなに簡単に人を信頼してなるものか、と
ずっと ずっと警戒し続けていた筈なのに
いつの間にかそいつは 人の心の隙間に入り込んで その存在をぐいぐいと主張する


"リオン、俺たち・・・仲間だろ?"
そう言って伸ばされた手は 余りに美しく輝き過ぎていて 汚れきった自分などが触れてはいけない物に見えて

拒絶したのは、いつも自分から
なのに、あいつはいつまでも
その手を僕に向かって差し伸べている

(人が良いにも、程がある・・・)


だけど、それが無かったら 今頃自分はきっと生きて居ないのだろう
少し 自嘲するように笑うと

(まずは、リーンに居場所を勝手に教えた事を、きっちり叱らなくては・・・)
心の中で毒づきながらベットに腰掛ける
廊下からばたばた、と急に騒がしい音が聞こえて 苦笑いを堪えられない
こんなに騒がしいのは 間違いなく、あの田舎者だ

そう思っていると 乱雑なノックの音が響き、返事を返す間もなくドアが開かれた


「リオン!!」
それだけ言うと 涙を流したのか、真っ赤に腫らした目を隠す事もせず スタンが駆け寄って来る
そんなスタンに一瞬狼狽したリオンは、ノックの返事を聞いてから開けろ、と小言を言うのも忘れていた

「スタン・・・?」

こいつが涙脆いのは今に始まった事ではない、そう分かっていても
何かあったのか、とつい不安になってしまう程 彼には泣き顔が似合わない
言葉に詰まって、また泣きそうになっているスタンを見兼ねて
後ろからやってきたリーンが 声を掛けてくる

「よう、リオン。気分はどうだ?」
普段なら目をぎらりと輝かせ "準備はいいか?"と 獲物を狙う様に言う彼が
今日は穏やかな 優しい笑顔で 自分を気遣う様に声を掛けるものだから

「・・・悪くない、と思いますが・・・」
馴染めない感覚に 戸惑いながら返すと
彼は そうか、とだけ言って その手に持っていた書類をそっと差し出す


「リオン、色々思う所はあるだろうが、事態を先に進める為に、必要な措置を取らせてもらった。
事後報告で済まないが、お前にも、きちんと目を通しておいて貰おうと思ってな。」


それは 普段は見せないような 真摯な表情そのもので
その書式を見た瞬間 リオンはそれが王から出る公文書の形式である事に気付いた

「リーン将軍、これは、まさか・・・」
受け取りながらも、リオンの声は緊張で少し震えている
そんな様子を見ると、途端にリーンはその真剣な顔を綻ばせて

「そんなに固くなる様な内容じゃないさ。
中身を考えたのはこいつだからな、」
そう言うと 親指でスタンを示す

急に話を振られたスタンは慌てて 違う、という風に ぶんぶんと頭を横に振った
「お、俺じゃないですって!」
それでも、リーンには全く引く気配がない
「言い出しっぺはお前だろ?
お前があんまり無鉄砲な事を言うから、仕方なく付き合ってやったんじゃないか。
何でも、陛下に直談判するとか何とか・・・」
「わーーっ、それ恥ずかしいから言わないでください!
そんなに非常識な事だなんて、知らなかったんですっ!」

半分泣きながらも自分の醜態を晒されるのを嫌がるそれは 癇癪を起こした子供の様で
(大きな図体で、何をしてるんだか・・・)

やり取りを見ている内に緊張が解けた気がして、自然と目が行くのは 自身の手の中にある書類
ぱらり、と捲ると それを見てスタンが急に大人しくなった
あっと言う間に読みこなしてしまったリオンは 瞬間目を見開いて それからスタンを見つめる


「お前が、これを・・・?」
その続きは 言葉にならなかったけれど

何も言わず、ただ頷く彼を見て その涙の意味がやっと分かった


「王が、情けをかけてくださったんだな・・・」
改めて言葉にすると 事態が大きく動いた事がはっきりと感じられて 急に肩の荷が下りたような心地がした
黙って向かい合っていた彼が いつの間にか僕の頬に手を伸ばす

「リオン、お前まで泣くなよ・・・」
「泣いていたのはお前だろう・・・?」

何を馬鹿な、とその手をそっと払おうとして 自分の頬に触れると 涙の感触
視界が いつの間にかぼやけていた事にも気が付かなかった

「僕は・・・泣いている、のか?」

「泣いてるって・・・お前、こんな時くらい、声出して泣けばいいだろ・・・」

そう言った彼の声もまた 今にも泣きそうだった
何時もの様に 隣に腰掛けるスタンに 肩をぎゅっと引き寄せられる
その温かさを体で感じながら 勝手に零れ落ちてくる涙を止める事が出来ず 暫くされるがままになってしまう

いつの間にか、その大きな手が 子どもをあやす時の様に頭の上に置かれて
それは心の何処かが溶かされていくような
優しい感触


互いに泣きながら 慰め合う様な風の二人を見て
リーンが満足気な表情で 椅子を持って来て二人の向かいに座り リオンを見つめてからゆっくりと語り始める

「リオン・・・
お前が客員剣士に任命された時、俺が最初に言った事、まだ覚えてるか。
お前が動いて、俺や七将軍がその責任を取る。
これが上司の役割なんだ、ってな。

・・・お前はもう、十分すぎる程良く働いた。
だから今度は、俺達が責任を取る番だ。
違うか?
・・・何の為に、七将軍がいると思っている?」

最後の方は リオンを戒める様な口調で話す彼 それを聞くと
自分が良かれと思って、或いは責任を感じてやってきた事が
重大な越権行為に当てはまる可能性さえあった、と気付かされたリオンは 肩を震わせて はっと顔を上げた

椅子の背にもたれ掛かる様に座るリーンは
そんなリオンの様子を見て 真意が伝わった事を感じ取った様で
にこり、と微笑むと リオンを優しく諭す

「人間には各々、役割がある。
世の中はお前の様に、何でも自分で出来る奴ばかりじゃないんだ。
だから、代わりに責任を取る人間が、どうせ必要になる。

・・・それなら、お前も上の人間を頼った方が、事はスムーズに進むんじゃないか?
それに・・・何一つ相談が無いって云うのも、こっちとしては寂しいもんだからな。」

少し俯き加減で話すリーンを見て
彼の心の内を初めて聞いたリオンは ただただ目を丸くして 彼を見つめていた

「すっかり説教垂れちまったな・・・
じゃ、俺はこれで失礼する。
リオン、お前の顔が見れて良かった!
暫くゆっくり養生して、早く元気になれよ。」

いつもの不敵な笑顔を見せると さばさばと帰り支度を始めたリーンに
スタンの腕から抜け出したリオンがそっと近づき 書類を返す その目にはもう涙は無かった

「すまない・・・本当に、」
差し出しながら 続ける言葉が見つからずうなだれるリオンに リーンは優しく返してやる

「それは、スタンに言ってやれ。
お前の事、一番心配してたのはあいつだからな。」
にこり、と爽やかに笑うと 後は二人で仲良くやれよ、と言いながらドアへと向かう

「リーンさん、本当に、ありがとうございます!」
スタンが頭を下げながら言うと、リーンはその手の平をひらりと振り 挨拶代わりにして部屋を出て行った




「リオン・・・怒ってるか?

勝手に、リーンさんに教えた事・・・お前の事だから、凄く怒るんじゃないかと思ってた。」

そんな風に スタンの方から話し掛けられ

正に今、問い詰めようとしていた事に触れられ 怒りを削がれてしまう
「今更、怒ってどうする・・・
それに、お前の突飛な発想は今に始まった事じゃない。」
冷静にそう返すが、内心では スタンの勘の鋭さに感心していた

「何故、僕が怒ると思った?」
そう聞き返してみれば、あっけらかんとした表情のスタンから 至極単純な答えが返ってくる

「だって、お前、人に頼るのを凄く嫌がるだろ。」

そうはっきりと指摘されて 返す言葉が 何も見つからない自分がいた
普段は間が抜けている癖に こういった類の事を鋭く見抜いてしまうのは何故なのか

「でもさ・・・リオン、」

そう言ってこちらを向くと、その力強い両手で肩を掴んで 碧い瞳が僕を鋭く射抜く
その表情は 真剣そのもので


「俺、そんなに頼りないか?」

「っ・・・」
問い詰める様なスタンの口調を初めて聞いたリオンは 思わず目を逸らして たじろいでしまう
頼りにしている、と口で言うのは簡単だ
だけど、この目の前の男は 全て見抜いた上で聞いているのだから

何を言っても、もう無駄だろう
そう気付いて 言葉を返すのを諦め、続きを促す様に目を合わせると

スタンはそれを受けて
ぽつり、ぽつりと 話し始める



「リオンが見つかるまでの間、ルーティがどんなだったか・・・お前は知らないだろ?
たった一人の、血が繋がった弟を守れなかったって、毎晩の様に泣いて、自分を責めてさ・・・」

最後に水の中でヒールを唱えたけれど、きっと届いていない、と言って
悲しく笑いながら 自分の手の平を陽の光にかざして 見つめる彼女の姿は 本当に痛々しくて

「リオン、お前、愛されてるんだぞ。」

視界が滲むのを感じたスタンは 自分が泣いてばかりじゃどうにもならないのに、と自らを叱咤する
けど けれど・・・

「俺だって、お前の側に居たのに、
結局お前の事、守ってやれなかった・・・
今だって、お前の心を、守ってやれなかった、」
涙が止まらず 続きは言葉に出来なかった

そうだ ずっと悔しかったんだ
どうして リオンばかりが非難されるのか
どうして 裏切りを見抜けなかった俺達が英雄なんだ、と

自分の情けなさに 思わず俯いてしまう
すると、ふわり、と 頭の上に手を置かれた 聞こえてきたのは 意外な言葉


「・・・スタン、すまない・・・」

こんなに素直な彼の声を聞くのが久しぶりで 嬉しくて
だけど 余計に涙が止まらなくなる
どうしてこんなに良い奴が
お前だけが、いつも辛い目に合うんだ、と

「そんな思いをさせていたか・・・
僕は、これで良いと・・・思っていたんだ、」

そんな、諦めにも似た声を聞いて 勝手に口が動いていた
「これで良いなんて・・・そんな訳あるもんか・・・っ!
くそ、なんでリオンばっかり・・・どうして俺はっ・・・」
「スタン!」

きっぱりと名前を呼ばれて はっと我に帰ると リオンは俺の目を見て話し始める

「僕はお前に言った筈だ、
お前達を道連れにする、と」

確かに彼は 俺達に刃を向けながらそう言った それは 決死の覚悟を示すため

「過去は変えられない・・・僕は世界を敵に回した。死を持ってしても償う事の出来ない被害をもたらした。」

どこか 自分に言い聞かせる様なその言葉

「それでも、お前は僕の事を守れなかったと・・・そう思っているんだな・・・?」

それは暗に 例え世界を敵に回しても 僕の肩を持つのかと、改めて聞かれているようで

「・・・そうだ。
俺達はいつも年下のお前に守られていた、
なのにお前は俺達をこれっぽっちも頼らなかった・・・
信じてもらえなかった、それが、一番悔しいんだ・・・っ!」

他に方法は無かったかもしれないけど

それでも 頼ってくれていたら 今とは違う未来があったかもしれない
こんなに彼が 自身を追い詰める必要も無かった筈だ

そこまで言って顔を上げると
今度は彼が微かに笑って俯き そっと俺の肩に額を乗せてくる
リオンの方から触れてくる事なんて 今まで全くなかったのに、と 驚きながらも嬉しくて
蚊の鳴くような小さな声で 彼が呟くのが聞こえた


「すまない・・・スタン・・・」


自身のその言葉に呼応する様に
微かに震えるその肩、服を濡らす涙の雫

その姿は余りに弱々しくて このまま闇に溶けて消えてしまいそうで
そっとリオンの背に腕を回し 彼の存在を確かめる様に きつく抱き留めた
声も無く 静寂の中でただただ涙を零す
その涙が これまでの彼の後悔を 全て物語っているようで

(裏切るつもりなんか、なかったんだ)

そんな 当たり前の事実が心に突き刺さり
また視界が涙でぼやけてくる

「いいんだよ、リオン・・・
もういいんだ、もう全部終わっただろ、神の眼は破壊した、皆・・・
皆、無事に帰って来れた・・・っ!」

声が掠れて上手く言えない
そうだ 皆、帰って来れた リオンもルーティも 一番守りたかったマリアンさんも、皆


「だから、少し休もう、リオン・・・
もう、休んでも良いんだ、弱音だって吐いて良い・・・

だけど、もう自分に嘘を付くのはやめよう・・・な?」

その細い肩を掴んで そっと額と額を合わせるのは もう二度と忘れて欲しくないから
彼は 今まで何年も何年も
自分を騙して 自身の気持ちに嘘を吐いて
その瞳は 幼い頃から夢を見る事も無く 冷たく凍てついて
まるで 愛される事も心の痛みも忘れてしまったかの様に 自分を押し殺して 押し殺して

だけど 忘れられる筈がないんだ
感情を無くしてしまったら 人が人で無くなってしまう 
それはただの 操り人形

「自分の気持ち・・・大切にしよう、な?」
そう言って 痩せた肩を持つ手を離す


すると、向かい合う彼が 微かに何か呟いたように聞こえて
「リオン・・・?」
暫く俯いたまま 黙りこくっていたリオンが やがて何かを思い出したかの様にそっとその顔を上げる
小さく動く口元から 言葉を読み取ろうとすると

「自分の、気持ち・・・」
そう繰り返しながら 自分に問い掛けている様で
スタンは彼がまた 自身を責めてしまわないように
「何でもいいんだ。
何でも・・・もう、いくら我儘を言ったって構わないんだし、」
な、と敢えて軽い調子で続けて 彼の涙が止まってくれる事を祈る

「僕は・・・ぼく、は・・・」


その後 リオンが発したのは、思いがけない言葉だった





end.10






「僕は、ぼく、は・・・

罪を、償いたい・・・」


そう言った彼の瞳は最初 宙に泳いでいたが やがて真っ直ぐにスタンの目を見て、もう一度はっきりと言い放つ

「僕自身の罪を、きちんと償いたい。」

その瞳は もう不安気に揺れてはいない
涙を拭いながらも視線を逸らさずに 真剣な眼差しの彼を見て
その言葉には 確かに彼自身の意志が伴っている そう直感した


11.




(良かった・・・少し、冷静なリオンが戻ってきた)
その姿は 以前程の気高さに満ちたものではないが
彼の本心を聞く事が出来たスタンは ほっと溜め息を吐く

「分かった。なら、一緒に考えよう。
俺達に今、出来る事、一つずつ、少しづつやっていこう。

そうだなー・・・うーん・・・」


考え始めたスタンは リオンを取り囲む環境が余りに劣悪である事を思い 無意識に眉を潜めた
オベロン社解体が正式に国の事業となっていくであろう今、彼が背負うのは不条理な噂、中傷、非難の嵐
そうしたものから少しでも 彼を守ってやるには、やはりいつまでもダリルシェイドに居る訳にはいかない

(だけど、他に頼る宛てなんて・・・)

そう思った時 はっと頭に浮かんだのは 彼の唯一の肉親であるルーティ
孤児院を継ぐと言って 城での仕事をとっとと片付け 彼女は故郷へ帰った筈だ
(クレスタなら、ルーティも居る)

実際、自分の名を使えば 何処にだって寝泊まりする場所は確保出来る事に スタンも既に気付いていた
だが、そこでリオンが安心して日々を過ごせるかどうかの方が 今は重要だ

(他の場所じゃ、リオンが落ち着かないだろうし・・・)
首都に近く かつ見知った人がいる場所なら 彼が不安がる事もきっと無いだろう
(そうだ、それにモンスターの被害も、中々無くならないって聞いたな・・・)

それを思い出し、自分でも安直だ、とは思ったが ある考えが浮かんだ
今まで彼が死に物狂いで磨いてきた剣の腕も活かせるし 人助けにもなる
それに 動けば否が応でも腹が減るし
体が疲れを感じれば自然と 余計な事を考えずにゆっくり眠れる様になる筈だ
スタンは これだ!と直感した


「リオン、物は相談なんだけどさ・・・

ルーティのとこに・・・クレスタに行かないか?
ルーティさ、クレスタで孤児院を継ぐって言って、今頑張ってるらしいんだ・・・
でも、まだモンスターも結構出るっていうしさ、俺達が用心棒になったら、皆安心するし、喜ばれるんじゃないか?」

その突飛な発言に リオンは一瞬目を見開いたが すぐに悲しそうな微笑みに変わってしまう
けれど 言葉は前よりずっと素直で

「お前が言うと・・・」

「言うと?」


「お前が能天気に言うのを聞くと、本当にそうなりそうな気さえしてくるな・・・」

そう言った彼の表情は 涙を堪えて笑っている様で
そんな事は無理だ、と 心の何処かで思っているのだろう 辛そうに顔を歪める
それは 僅か16歳の少年の物とは思えない程に 哀しい笑顔で
彼が今まで どれほど夢や希望と無縁の生活を送ってきたかを 改めて思い知らされる

「・・・なるよ、リオン。
というか、俺がそうする」
そんな哀しい顔は、もうさせたくない、と
拳をそっと握りしめた

最近ようやく分かってきたんだ お前は
いつも強がって 弱みなんか誰にも見せまいとするけれど
まだ16歳 俺より3つも年下で そして年相応に 怖がったり 怯えたりしている事

だから俺は 年が3つ上な分だけ
たくましく 笑っていようと 強くいよう、と

「俺、お前が思う程馬鹿じゃないよ、多分。」
「どういう事だ?」
眉を潜める彼を安心させるために 俺はとっておきの笑顔を作ってやる
「今のリオンを守れるだけの、力と知恵はあるって事。
だから・・・心配するな。

俺を・・・信じてくれないか?」


それは 目の前の彼にとって 余りに残酷な言葉だなんて、分かり切っている
こんな事言っておきながら 今度こそリオンを守りきれなかったら
彼はもう二度と 人を信用出来なくなってしまうかもしれない、それこそ俺のせいだ

そこまで思って初めて
自分も彼と同じ様に 自身を責めていたんだ、と気付いた
信じて貰えなくて 彼の心にも気付けなくて 助けられなかった事
今になってまだ こんなにも後悔している


沈黙が部屋を支配する
リオンがやっと その重い口を開いた

「お前にそこまで言わせておいて、
今更僕が否定出来ると思うか・・・?」

それは どこか少し吹っ切れたような表情で
彼に気持ちが伝わっている事を確信した途端 肩の力が抜け 盛大に溜息を吐いてしまう

「リオン・・・良かったー、ありがとな。
何か、結局俺がワガママ言いまくっちゃったよな・・・」

それを聞くと彼は 少し以前の調子を取り戻したのか ふんと笑いながら皮肉を言う
「そもそもお前が聞き分けが良ければ、僕も苦労しなくて済んだんだがな。」

「ひっでーリオン、このタイミングで!
はは・・・でも、良かったよ、本当に・・・」
その続きは 言葉にすると、また涙が零れそうで言えなかったけれど
彼の本来の姿を 少しだけでも良い、取り戻せた事が
こんなに 嬉しいなんて


「そうだな・・・
まずは先に、手紙を出してみよう・・・」

すっかり一息吐いてしまったから リオンの唐突な言葉の意味が直ぐには分からず
「誰に?」と身も蓋もなく聞き返してしまう
すると彼は今度こそ、眉を寄せて怒り始めた

「・・・今まで、何の話をしていたと思っている?
あいつしか居ないだろう、お前、とぼけるんじゃない!」
「!!ご、ごめんごめん、ルーティにな!そうだ!」
何とか笑って誤魔化そうとするが ぎろりと睨まれて 思わず背を丸めてしまった
これ以上機嫌を損ねぬ様に
「でも、何で手紙書くんだ?」
とそっと聞いてみると 呆れた様に溜息を吐いて 冷静に彼が答える

「・・・お前の村程の田舎なら、急に押し掛けても寝床はあるだろうが、大抵はそうじゃない。
それに、村民の感情を逆撫でする可能性もあるだろう・・・」
何事にも準備がいる、と彼は続けながら 僅かに微笑んで

「お前は、鋭いのか 間が抜けているのか、よく分からんな。」
言葉自体は皮肉とも取れるだろう
だけどその声は とても柔らかで

「・・・スタン、信じるぞ。」

いいんだな、と念押しする様に瞳を見つめられて
まだ少し不安気だけど 強い意思の込もったその眼差し

「おう、信じろ。
絶対、今度こそ、守ってやる。」

思わず差し出したのは かつて拒まれた 自分のその右手

「お前は、本当に握手が好きなんだな・・・」
少し冷めた口調で言いながらも、彼のその痩せた指が 確かに俺の手をぎゅっと握り返した
あの時 いくら手を伸ばしても届かなかったその手が
今はこうして 彼の方からも その手を差し出してくれる

ずっと伝わらなかった思いが やっと通じ合った、という実感


「夢を、見たんだ・・・」
誰にともなく、と言った風に リオンがぽつりと溢す
「夢・・・?」

「お前の目立つ髪が、風になびいていて・・・
気が付くと、何の迷いもなく、それに触れようとしていた。
一度お前を拒んだ僕に、そんな資格はないと、分かっていたのに・・・」

少し 自嘲的な笑みを浮かべながらも その瞳は哀しそうで

(だから、こんなに見てて不安にさせられるんだよな)
最初に出会った時からずっと 空を取り戻してからも いつだって
彼は 見えない何かに取り憑かれている様に 自身の消滅を また彼自身の死すら望んでいる節があった

だから、彼は俺に 決して手を伸ばそうとしなかったんだ
誰にも助けを求めず、ひっそりとこの世から姿を消していくつもりだったのだろう

そんな危うさが 彼にはずっと付きまとっていて
不安になってしまうスタンは 彼に触れる事でその存在を確かめたい、とついつい思ってしまい
暫く 複雑な思いを噛み締めながら 手を握っていると

「・・・もう、いいだろう・・・
男二人で、気色悪いにも程がある・・・」
げんなりとした表情のリオンにそう言われ
「っごめん!何か、その、嬉しくて。」
それを聞いて 途端に怪訝そうな顔をしたリオンに、何とか弁明しようとする

「別に深い意味は無いけどさ。
・・・あの時、お前、俺の手を握ってくれなかっただろ。
だから・・・何か、嬉しいんだ。
お前が帰って来れた事、やっと実感出来たから・・・」

そう本心を打ち明けると 決まり悪そうに視線をつい、と逸らしてから彼が謝った
「・・・分かった。もう良い・・・
僕が悪かった・・・すまない。

ところで、その腹の虫の鳴くのはどうにかならんのか。」

言われた側から 自分の腹がぐぎゅー、と 情けない音を出している事に気付き

「・・・リオン、こいつは腹に何か入れないと鳴き止まない。飯、食わなきゃな。
リオン、お前もだぞ。」
「僕は眠ってばかりだったんだ、まだ腹も減っていない・・・」
「駄目だって!今日は調子良さそうだったから、きっと少しは食えるよ。
食わないともっと痩せちまう、それにあれだけ泣いたら、間違いなく水分が足りなくなる!」

最初は戒める様なスタンの言葉に 素直にうなだれていたが
最後の台詞を聞くと 一瞬目を丸くしてから 耳まで真っ赤になったリオンが叫ぶ

「ばっ・・・お前っ・・・!!」
「へ?何」
「お前、その・・・僕が泣いたとか、そういう事はっ・・・!」

(何だ、やっぱり意地っ張りだ)
そう思いながら
「分かった分かった、誰にも言わないから、な!
さて、ローガンさんの晩飯作り、手伝わなきゃな。」
「おいスタン、本当に分かってるんだろうな?!」

しどろもどろになりながら 顔を赤くして
問い詰めながら付いて来るリオンの姿は やっぱりまだまだ年相応で
スタンにとっては 弟の様に、憎たらしくもあり、可愛くもある存在なのだ

そう思うと 意図せずとも顔がにやけてしまうのを気づかれまい、としながら
スタンとリオンは 二人揃って 仲良く階下へと降りて行った



11.end






12.





窓から差し込む朝日に 珍しく自然と目が覚めた
身を起こしてふと隣のベットを見ると 日差しが眩しいのか 寝返りを打とうとする黒髪の少年
彼は薄っすらと目を開けた様に見えたが すぐにまた布団に潜り込んでしまい すやすやと寝息を立てている

昨日 あれだけ色々な事があったから、かなり疲れたのだろう
折角良く眠れているのに、起こしては可哀想だ
そう思い スタンは自分の身支度だけさっと済ますと 階下に降りていった


「スタンさん、今日は随分とお早いですね」
台所に立つローガンから にこやかに声を掛けられ スタンは恥ずかしそうに頭を掻きながら答える
「ははっ、天気が良すぎて、目が覚めちゃいましたよ。
今日はリオンの方が良く眠ってます。」
それを聞くと 彼の微笑みは更に柔らかく、嬉しそうなものに変わった

「そうでしたか!それはようございます。
では、先に朝食になさいますか?」
「そうして貰えると、助かります。
食べたらすぐ、クレスタ宛の電報を打ってもらいに行きたいので・・・
あっ、そしたら朝食の準備、俺も手伝います!」
「ありがとうございます。
では、このじゃがいもの皮を剥いていただけますかな?」
「はい!」
威勢良く答えると スタンは小ぶりのナイフを取り出し じゃがいもと格闘し始める




そうしてスタンが宿に帰って来たのは、陽が随分登ってからの事だった

「リオーン、起きたか?」
ドアを開けながら声を掛けると

「ん・・・あぁ・・・」
彼にしては珍しく 完全に意識が覚醒していないのか
リオンは声に応えて体を起こしたものの まだぼうっとして宙を見つめている
そんな彼を見て悪戯心に駆られたスタンは たまには自分の方がからかってみようか、と企みながら話しかける

「おはよ。ルーティから返事きたぞ。」
すると、まだ眠そうに目を擦りながら 寝起きの少し掠れた声で
「・・・あいつ、何だって?」
と聞き返される

「えーっと、今開ける。
・・・うわっ、短い!読むぞ?
"バカ ハヤクコイ ルーティ"だってさ。」
「馬鹿は余計だ、あいつめ・・・」

何の矛盾も感じずに返す彼
それでもいつもの様な、棘のある話し方は変わらないのが 何だか見ていて可笑しくて スタンは笑いを堪えるのに必死だ
流石にリオンもその不自然さに気付いた様で 
「・・・?
ちょっと待て、スタン、」
「お、どうした?」

「お前、いつの間に電報を打ったんだ?
というか、僕はまだ何も聞いてないぞ。」
そう不思議そうに首を傾げる彼は まだ少し幼い印象を残したままで

「実はさっき、リオンが寝てる間に、ちゃちゃっとさ・・・ふっ、はははっ」

それだけ言うと スタンは堪え切れず、とうとう吹き出してしまった
「お、お前・・・僕を嵌めたな!?」
「あっはははは、そんなつもりじゃないって!リオン、凄く眠そうだったから、今なら騙されてくれるかなー、なんて思っただけ。」
普段なら間違いなく俺がからかわれるだろ、と続けてみれば
少し不貞腐れた顔をしながら リオンが立ち上がる

「ふん・・・今回だけだ、次は無いぞ。」
そう言い残すと 自分はさっさと下へ降りようと部屋を後にしたので、
スタンはその細い背中を追いかけて 彼の頭にぽんと手を置いた
「ルーティが早く来いって言ってくれて、良かったな。」
くしゃりと髪を撫でてやると 止めろ、と言いながら手を払われるけど
彼の頬がほんのりと赤くなっているのを見ると 照れているだけだ、と分かる


痩せた身体に 深い傷を負った心を押し込めて
けれど君は 前よりずっと素直になった
(何で、こんな嬉しいんだろう)
心が弾むのを抑え切れず スタンはリオンを追い抜かしながら
「スタン、静かに降りろ!」
と怒鳴る彼の声など聞こえていないかのように 階段を転がる様に降りていった




「今日さ、後で少しだけ城に行って、クレスタにお前を連れて行く事、リーンさんに伝えて来るけど・・・大丈夫?」
静かに食事を摂るリオンの向かいに座ったスタンが 言葉を濁しながら問い掛ける

「大丈夫・・・とは、何に付いてだ?」
「いや、何って訳じゃないけどさ、」
体調は悪くはなさそうだが 何かの拍子にまた発作を起こしたらどうしようか、と心配なスタンだが
それを本人に言える筈もなく 言葉に詰まってしまう
そんなスタンを見て 自分の事を心配しているのだろう、とリオンはそれとなく察した様で

「お前が出るのなら・・・
僕は手紙でも書いて待っている。」
「手紙?誰に?」

反射的にそう聞き返してから スタンはしまった、と気が付いた
こんな時に 彼がわざわざ手紙をしたためる様な相手は 他にいない
「もしかして・・・マリアンさん?」
「お前にいう必要はないさ。」
構うな、と少し冷たく言い放つ彼を見て やばい、何て説明しようか、とスタンは内心冷や汗をかいていた

「それ・・・多分、必要ないよ、」
恐る恐る言うと、彼は俄かに険しい表情に変わる
「どういう事・・・だ?」

実は裏で手を回していたスタンにしてみれば、リオンの狼狽具合を見ると申し訳ない、と思うが 
今の彼には彼女が間違いなく必要な筈だ 背に腹は変えられない


「さっき電報打った時に、実はマリアンさんにも知らせたんだ・・・
ルーティよりも早く返事が来てさ、クレスタに来てくれるって。」


二人の間に 暫し沈黙が流れる

「・・・は?」
リオンは まるで意味が分からないという顔をして スタンを見つめている
「うん、だから・・・
つまりさ、マリアンさんは、リオンの側に居たいって事だよ。こんなにはっきり言わなきゃ、分かんないか?
言ってる俺が恥ずかしいんだけど・・・」

そう言って言葉を切ると 信じられない、と言いたげな表情の彼
「俺、リオンを守るって、約束しただろ?
だけど、俺とルーティだけじゃ分かんない事も沢山ある、だから・・・ 力を借りようと思ってさ。」

「お前っ・・・余計な事を!」
吐き捨てる様なリオンのその言葉を聞いて

「余計じゃないだろ!!」
思ったより大きな声が出ていたようで
彼はただただ 目を丸く見開いていた

「お前がこんな状態だって、マリアンさんが後から知ったら、どれほど後悔する?
お前、ちゃんと彼女の気持ちを、置いてかれる人間の気持ちを考えろよ・・・
何にも知らされないのが、どれだけ悲しい事か・・・っ!」

勢いに任せて言い切ってしまうと
リオンは途端にしゅんとなって 俯いてしまった
まずい、言い過ぎたか、と思い 
「リオン、ごめん。
俺、ちょっと言い過ぎた・・・」
そう言って彼の顔をそっと覗き込むと 

「お前も・・・後悔した、のか?」


蚊の鳴くような声で 呟く彼
それはまるで 小さな子供が悪い夢から覚めて 親の胸の中で子守唄をせがむ時の様な表情

その姿に重なって見えるのは 家出同然で旅に出た自分を ずっと心配しつづけていた妹
普段は勝気なのに、俺を見つけた瞬間にくずおれて泣きじゃくるのを見て 胸が締め付けられる様な思いがした

そしていざ、この少年が命を落としたかと思われた時に 同じ立場になったスタンはやっと その気持ちが痛い程分かったのだ


「・・・どうして気付けなかったんだって、ずっと後悔してたよ。
だって、お前はあの時"死ぬ気"で来たんだ、どうしてああなる前にって・・・何度も、何度もね。
でも、今は俺はもう大丈夫、お前がちゃんとここにいるって、分かってるからさ。」


だけど マリアンはそうではない
人質に取られた後、何とか救出は出来たものの 依然として戦いは続いていた
彼女自身も疲れ切っていたし
かと言ってオベロン社の屋敷に帰してしまっては 何をされるか分かったものではない、そう意見が一致して直ぐに実家に帰れるように手配したのだ

だから リオンの異変に気付く間もなく 彼女は リオンの元から離れる事を余儀無くされた
だけど 最後に彼女がスタンに残していった言葉

『リオンを・・・エミリオを、お願いね。
貴方なら、きっと・・・』

確かに覚えている 彼女の切ない笑顔と
それに似つかわしくない 真剣な眼差し
ああ、この人は本当にリオンを大切に想っている、と
例え 今はその感情が"弟"に対するような物だとしても、それでも彼女は 真剣に彼の行く末を願っている
だから 二人とも幸せになって欲しい、とスタンは思う

後悔して欲しくない
いや、させたくない

あの海底洞窟で味わった絶望は あの場に居た俺達だけが 心の底にしまっておけば良い・・・


「スタン・・・スタン?」

不安気なリオンの声で ふと我に返る
「ああ、ごめん・・・
何か、思い出しちゃってさ。」
不安にさせてしまったか、と思いつつ 何時もの様に笑顔を取り繕おうとする
だけどリオンは俺をじっと見つめていて その顔は何だか今にも泣きそうなものになっていた
唇をきつく噛んで 整った眉をハの字に歪ませて

「お前に、そんな顔を・・・
そんな顔をさせる為に、僕はここにいるんじゃない。」
そうぴしゃりと言い放つと 俺の両頬を手の平で強く叩いてから その細い指できつくつまみ上げる

「!痛いリオン、ひたひって・・・!」
暫くそのままつままれて ようやく手を離してくれたかと思うと
膨れっ面をして そのまま明後日の方を向いてしまった
「リオン、痛かったんですけど・・・何これ、」
きっと真っ赤になっているだろう頬をさすりながら 理由を求めれば


「・・・その阿呆面の方が、余程お前らしい・・・」
そう言って 力なく笑う彼

何て繊細なんだろう、とスタンは彼の横顔を見ながら思う
自身の幸せを願う事すら放棄しているような 憂いを帯びた瞳
それは 周りを悲しませたくない、という一心で 自身に纏わる記憶も、その存在さえも人々に忘れて欲しい、と願っている様にも見える
だけど "悲しませない為に、自分が何としても生き延びる"
その選択肢は 初めから彼の中には無いのだろうか

だって 忘れられてしまったら 本当に存在すら無かった事になる
名誉や実績、沢山の物を既にその手に掴んでいるというのに
どうしてそんなに哀しい事を 自身の消滅を 彼はこれ程までに望むのか


それは 大切な何かが足りていないから


「リオン・・・あのさ。」
そっぽを向いてしまったリオンの背中に語りかける
「俺、もう後悔したく無いんだ。
誰かを・・・大切な人を、お前を、失ったらきっと後悔する。
もうこれ以上 何も失いたくないんだ。」

我儘かもしれない
単なるエゴかもしれない
目に映る物全てを守りたい、なんて
だけど 暗闇に包まれた世界で沢山の物を失って やっと空を取り戻した今
それ位の我儘は 許されて欲しい


「一緒に旅をしてきた仲間を、そんなに簡単に、忘れられる訳ないだろ。
俺に、何よりマリアンさんに、
こんな顔させたくない、と思うなら・・・

リオン、お前は生きてなきゃダメだ。」


微かに リオンの背中が反応したように見えた
自分の命と引き換えに 空を取り戻して欲しいと あの時の彼は言いたかったのだろう
だけど、その命と引き換えの覚悟すら 俺は否定する

「何とかしたいと思うなら・・・
お前は生きて、俺と一緒にやろう。
二度と・・・自分の命を捨てようとするなよ。」

もし彼が本当に死を望んでいるのなら 自分の言葉がきっと足枷になって 逃げ場を無くしてしまうかもしれない
分かっている 彼にとって自分がどれ程頼りない存在であるかなんて
そして 彼の決死の覚悟すら 否定する
全ては もう二度と失いたくない、という 俺の我儘

それでも こんな我儘で救われる人がいるなら 心があるなら

そう願いながら スタンは彼の後ろ姿を見つめる


すると、急に彼の背中が大きく揺れた 何かに反応する様に
「やめて・・・くれ、」
絞り出す様に聞こえた彼の声
それは何かに怯えているようで 微かに呼吸も荒くなっている気がした

動揺させてしまったか、と今更反省する
「リオン・・・?」
そっと名前を呼ぶと 彼は目を合わせずに席を立ち 窓に両手を付いて暫く外を眺めていたが

「・・・お前に、何が分かると言うんだ!!
僕だって、もう、二度と・・・」

その後を紡ごうとして 言葉に詰まる
唇をきつく噛み締め それから小さく息を吐いて


「あんな思いは、もうごめんだ・・・」


消え入りそうな声で そう呟いた彼
その背中は 微かに震えていて

「ん・・・それなら、いいんだ。」
ごめんな、と付け加えて 彼の横に並び
背中をそっと撫でてやると 窓の外に目をやる
「俺、鈍感だからさ。お前の思ってる事、全然分かって無かったりするし・・・
だからさ、思った事、遠慮しないで言ってくれな。
俺も、ちゃんと思った事、全部言うから。」


そう言って笑いかけてやると 首を緩く振りながら 溜息を吐く彼
「お前と居ると、調子が狂う・・・」
「どういう意味?」

「・・・僕にそんな事を面と向かって言ったのは、お前が初めてだと云う事だ。
お前こそ、こんなにはっきり言わないと、分からないのか?」
馬鹿者、と付け加えながら不敵な笑みを浮かべる彼は 何だか少し嬉しそうで

「それ、俺がさっき言ったやつじゃん。
真似するなよー!」
「ふん・・・お前の様な阿呆が気付くとはな。明日は雪でも降るんじゃないか?」
「何だよーそれ・・・もう・・・
人が心配してやってんのに。」

スタンが文句を垂れているのも何のその、
リオンは踵を返して椅子に座り直すと さっさと食事を再開する
仕方なく自分も椅子に座りながら、負けじと言い返してみた

「そのじゃがいも、俺が皮剥いたんだ。
あと、お前が今残そうとしてる、人参もな。
・・・ちゃんと全部食えよー?」
そう言って少し睨んでやると

「・・・道理で不恰好な訳だ。」
スプーンでじゃがいもの欠片を拾い 呆れた様な顔をしながらもきちんと口に運ぶ姿は 年相応に見えて
「偉い偉い。じゃ、次人参な。」
「・・・おい、子供じゃないぞ。
言われなくても食べる。」


そんな彼の答えは 想定の範囲内

「はいはい。
ゆっくりでいいから、沢山食えよ?」
「言われなくとも!」

むきになって答える彼を見ると 思わず頬が緩んでしまうスタンは
リオンが食事を終えるまで ずっとその姿を眺めていたのだった



12 end.





「失礼致します。
お医者様がいらっしゃってますが、此方へお通しして宜しいですかな?」

ローガンの穏やかな声を聞いて スタンはリオンを見やり
ベットで身体を起こしている彼が 軽く頷いたのを確認してから 言葉を返す

「大丈夫です、お願いします。」



13.





「やぁ、こんにちは。今日は良い天気だねぇ。」
声を掛けられたリオンは 小さく会釈して返事を返す
それを確認すると 医師は満足そうに何度か頷いて 言葉を続けた
「前よりは楽になったようだね。
顔色も少し良くなってる。でも、一応一通り診させてもらうよ。」

「あ、じゃ俺、外で待ってようか。」
「・・・ああ、そうしてくれ。」
余り身体を見られたくないだろうリオンには 流石のスタンも気を遣う様にしている
リオンが自分の提案を素直に受け入れてくれた事に ほっと胸を撫で下ろすと スタンは部屋を出て行った



「服、そのまま着てて良いからね。
下から聴診器入れるから、裾だけ出してもらえるかな。」
言われた通り シャツの裾をつ、と引っ張り出すと
医師は聴診器に手を掛け 至って事務的な手付きで 手際良く診察し始める

「前回、しんどそうだったから、余り話せなかったね。食欲はあるかい?」
「・・・あいつ程ではありませんが、まぁ・・・」
「食べた後、気分悪くなったり、戻したりはした?」
「・・・食べ過ぎると、気分が悪くはなります・・・何とか、戻してはいないです。」

それを聞くと彼はふむ、と相槌を打ちながら 一旦カルテに向かい 文字を書き込んでいく

「それなら良かった。吐くと体力消費するから、適度に食べるのが一番かな。かと言って無理に食べるのは禁物だよ。
じゃ、今度は背中。そのまま後ろを向いて。」

背中、という言葉に 一瞬躊躇ったリオンを見た彼は
敢えて何も気付かない振りをしながら 容赦無く聴診器をその素肌に当てた
「吸ってー、止めて、吐いて良いよ。
今の、もう一回。」

そしてリオンの気が紛れる様に 話し掛けてやりながらも 彼の呼吸音をしっかりと確認していく
「夜はゆっくり眠れてる?」
「・・・まぁ・・・」
「そう?前回スタン君がね、ちゃんと眠れて無いんじゃないかって酷く心配してたけど・・・何か、心当たりはある?」
気のせいなら良いんだけど、と笑いながら優しく聞くと

「・・・夢見が悪いので、何度か起こしてしまった事があります・・・
回数は、前より減ったと思いますが、」
素直に打ち明けたリオンに少し安心したのか 笑顔が滲み出る

「それでか、なるほどね。
息苦しさは感じない?喉が詰まった感じとか。
少し・・・呼吸が浅くなってる。そのまま横になって。
ちょっとお腹に触るよ。」

鳩尾に左手を充てがい、右手に嵌めた腕時計で呼吸の早さを確認すると
心持ち早い呼吸と 肩で浅く息をしているのが分かる
「少しずつ押すよー・・・」

「・・・っ、」
吐き気を堪える様に 息を詰め、顔を歪めるリオン
どうやら消化器官はまだ弱っている様だ、と独りごちながら 手を放した
「ん、ごめんごめん、これは辛かったか。
少し、熱があるね。」
「・・・え、」
「多分ね。僕の手、握ってみてごらん。」

言われた通り リオンは手を握ってみる
彼の手の温かさがじんわりと皮膚を通して伝わってくるのが 妙に心地良く
そのまま手を引っ張られたので 身体を起こしながら 思ったまま言葉を返した

「僕・・・の方が、冷たいと思いますが・・・?」
「うん。君ね、今体力落ちてるから、熱があっても手足は冷たくなってしまうんだよ。」

「?」

「今までは身体全体の機能が下がってて、上手く体温を上げられなかったんだ。
少し体力が戻ると、今度は免疫を上げようとして、自然と熱っぽくなる。つまり、まだ回復途中って事。
これ、覚えておくと良いよ。
剣士なら、自分の身体が発する信号をよく分かってないといけないからね。」

「はい・・・」
(剣士、か・・・)
痩せてしまった 自分の腕を眺めながら

再び剣を握れる日など来るのだろうか、と
リオンは 絶望にも似た気持ちを感じていた
まして 大切な相方を失った今となっては
自分が再び戦う姿など 想像も付かなくて

そんな自分の様子を見兼ねてだろうか
彼が横に腰掛けて 気さくに話し掛けてくる
「クレスタまではどうやって行くの?馬車?」
「そのつもり、です。」

「そうか。あれは意外と隙間風入るから、しっかり厚着するのを忘れないようにね。
あと、向こうに着いたら3、4日は油断しないで、安静にしてる事。
大した遠出じゃないと思うかもしれないけど、気が付かない内に体力消費してるから、しっかりその分を取り戻す様に。
間違ってもふらふら外出なんてしちゃいけないよ。」
「は、はい・・・」

「向こうでは、僕の友人が医者をやってるから、このカルテを見せて。
それと、此方に戻ってくるのなら、元気でも必ず僕を呼ぶ事。
君、自分の身体の変化に鈍感だから、悪いけど定期的に検査させてもらうよ?」

「・・・」
世話になった彼に 面と向かっては言えないが 何て面倒なんだ、という思いが顔に出ていた様で
酷い顔だ、と笑いながら止めを刺された

「それが嫌なら、自己管理がきちんと出来る様になりなさい。
さて、スタン君にも伝える事がある。少し待っていてくれるかい?」
頷くと すぐ終わるから、と言って 彼は部屋を後にした




「先生!あいつ、どうでした?」
「うん、少し回復の兆しが見えて来たかな。このままゆっくり養生させれば大丈夫。
スタン君。この間渡した薬はまだ残ってる?」
「えっとー・・・はい、あと二つずつ残ってます。」
「そう、普段なら良いんだが・・・旅行となると、少し心許ないな。
いつもより一つ多く出しておくから、取り扱いには注意して。」
「はい、分かりました。」

処方箋を手渡すと 医師は優しい笑顔でスタンに言い聞かせる

「新しい場所に馴染むまでは、不安定になり易い。彼をなるべく一人にしない様に気を付けて。
辛そうなら、余り我慢させないで薬を飲ませて構わない。
一進一退を繰り返して少しづつ良くなっていくから、焦らずに長い目で見てね。
あと、君自身も無理をしないように。」
「はい・・・本当に、お世話になりました。」
「いえいえ。此方に来る時には、必ず顔を見せるんだよ。」



話を終えると スタンは直ぐにリオンの居る部屋へと戻った
「リオン、体調はどう?」
「悪くない。」
「ん、もう荷物は積んだから、いつでも出れるよ。暖かい内に、出発しちゃおうか。」
「ああ、そうだな。」

二人で階下に降り、目の前に着けてある馬車に乗り込むと
スタンが窓を開け そこから身を乗り出す
「では、行ってきます!」
「はい、いってらっしゃい。気を付けて!」
「また、いつでもお待ちしておりますぞー!」
「本当にありがとうございました!
お二人も、お元気でー!」
近所一体に響き渡る大声で 名残惜しそうに手を振りながら別れの挨拶を済ませた


二人の姿が完全に見えなくなって スタンがようやく窓を閉めたかと思った途端
馬車が止まってしまい 何やら御者が誰かと話す声が聞こえて来た

「あれ、どうしたんだろう。
ちょっと聞いて来る、」
そう言って ドアを開けると 御者と話し込む人だかり
その姿には見覚えがある、咄嗟にスタンは名前を呼んだ

「リーンさん!それに、皆・・・!!」

「よう!ドライデン大将軍から、手紙を預かってるんだ、間に合って良かった!」
彼は手を上げて こちらへすたすたと向かってくると 車内を覗き込んで

「いたいた、リオン、お前にだ。向こうに着いてからゆっくり読め。」
突然の出来事に、只々驚いているリオンの手首をそっと掴んで リーンが彼の手の平に封筒を載せた

すると次は ごほん、と一つ咳払いをしたジョニーが前へと進み出る
「ついでと言っちゃあ何だが、リオン、こいつはお前の姉貴に渡してやってくれないか。
前々から頼まれてたんだが、中々届けに行く暇が見つからないもんでね。」

重いから、しっかり持てよ、と手渡しながら言われて
余りの重さに リオンが一瞬体勢を崩すのを見ると ウッドロウが誰にとも無く呟く

「・・・スタン君に渡せば良かったのではないかな?」
「・・・殿下、俺はね、こいつの手で嬢ちゃんに渡してもらいたいんだよ。
それだけ魂が込もった、大切な物なんだ。」
「また君は、屁理屈ばかり・・・」
「殿下、何か仰りましたか?」

連日の協議ですっかり打ち解けた二人が 軽口を叩き合う姿は 以前のウッドロウからは想像が付かなかった様だ
二人に暫く会って居なかったリオンが 少し驚いた様な表情になるのを見て、すかさずフィリアが声を掛けた

「こちらの事は、後はお任せください。
私達も、引き続き復興に尽力いたしますわ。
スタンさん、リオンさん、どうぞご無事で。皆さんに宜しくお伝えください。」
「・・・ああ。分かった。」
「もちろんだよ、フィリア!
こんな所まで来て頂いて、本当にありがとうございます。
皆さんも、お元気で!」



そうして 一時の別れを済ませた二人は
鳥のさえずりを 聞きながら
クレスタまでは 馬車に揺られる事、小一時間

「リオン、寒くないか?
毛布、持って来てるけど。」

「・・・くれ。膝に掛ける。」

かたん、ことん、と 馬車の立てる のどかな音だけが響く
リオンは流れて行く外の景色を眺めながら
ぽつりと呟いた

「お前に負けず劣らず、騒がしい見送りだったな。」
「・・・悪かったな、いつも煩くて。
でも、こういうのも良いもんだろ?」
「・・・悪くはない。」


「なあ、リオン。」
「何だ。」
「あんな風にさ、皆に見送られて、クレスタに着いたら今度はルーティとマリアンさんが居て、って思うとさ。
何か、嬉しくなって来ないか?」

「それは、お前ならそうだろうが・・・」
「・・・うん。」
「・・・何でも無い。忘れてくれ・・・」

「リオン、やっぱりまだ怖いか?」
「・・・否定はしない。」

それは 彼にとって 最大級の肯定の言葉

「ん、それが普通だと思うよ。
俺だって怖い。リオンの事、心配だし。
でも、俺は、皆のこと信じてる。
リオン、お前の事も。
きっとゆっくり休めば、必ず前みたいに元気に戦える様になるさ。」

「ふん、どうだか・・・あまり期待されても困る。」
「んー、でもお前、剣術自体が好きだもんな。そのうち放っておいても戦い始めそうだけど・・・」

「僕が、?
そんな風に思った事など・・・」
「だけどお前、剣を握ってる時が一番楽しそうだし、生き生きしてた。自分で気付いてないだけじゃないか?」

「そう・・・見えるか?」
聞かれたスタンは 見える見える、と間を開けず肯定する

「シャルティエが居ないから、余計にピンと来ないかもな。
俺も、モンスター目の前にしてディムロスが居ないって思ったら、逃げ出したくなったよ。
ずっと一緒に居た相棒が居ないと、勝てなさそうでさ。いざ戦ってみたら、すんなり勝てちゃって拍子抜けしたけど・・・」

「お前でも、そんな風に思うのか。」
「・・・リオンさぁ、ひょっとして俺の事、何があっても動じないんだとか思ってないか?」
「・・・少し。」

珍しく 呆れた様に溜息を吐いて スタンが言葉を紡ぐ

「・・・お前が倒れた時、さ。
『このままリオンが弱っていって、死んじゃったらどうしよう』って、凄く怖かった。
なのに、当の本人は自分の事なんかどうでもいいって感じだし。
俺よりも、お前の方がよっぽど肝が座ってると思うけど?」

「・・・それは、・・・」

「何もかも、諦めてたから。違うか?
普通に幸せになる事も、大切な人と未来を夢見る事も、全部。」

でもさ、と スタンはにこりと笑うと 言葉を続ける

「お前が一人でも歩いていける様になるまでは、ずっと俺が側に居てやる。
だから、諦めるなんて・・・そんな哀しい事は、させない。覚えとけよ?」


何て言葉を返そう、とリオンが思案している内に
着きましたよー、と御者が声を上げて ドアを開けた
目の前に広がるのは 青空に包まれたクレスタの街


「ルーティ!久し振りだな!」
「遅かったじゃない、このスカタン!」
「い、痛い痛いルーティ!止めろって・・・
リオン、ほら、大丈夫だ。捕まれ。」

そう言って伸ばされた手は 自分の為のもの
そしてその向こうには 命を賭しても守りたいと願った 彼女の姿

「マリアン・・・良かった、元気そうで・・・」
「エミリオ、どうして今まで何も言わなかったの・・・!
私、心配で、心配で・・・!」
「マ、マリアン、その、済まない・・・」
彼女の余りの剣幕に リオンはおろおろとして戸惑っている
その姿が珍しくて スタンとルーティはその光景をじっと見つめていた
二人の視線に気付いたのか、リオンは決まり悪そうに俯いてしまう


「ちょっとリオン。何か言う事あるでしょうに。
あんた、これから此処で生活すんのよ。此処があんたの帰る家なの。
帰って来たら、何て言うの?」

ルーティが俯いたリオンの顔を覗き込み、詰め寄ってくる
覚悟はしていたものの、いざ実の姉に会うと 弱みを知られている分強く出れないリオンは 素直に返事をした

「・・・ただ、いま、姉さん・・・。」
「・・・よろしい。」

ぎゅっと抱き締められると 髪から微かにこの街に咲き誇る花の香り
「こんなに痩せて・・・全く、無茶しすぎなのよ。
おかえり、エミリオ。」

涙を讃えた瞳 それでもはち切れんばかりの笑顔で 彼女がその名を呼んだ
それを聞いて 胸が焼ける様に熱くなったのは きっと自分の気のせいだろう、とリオンは独りごちた

「さ、早く中に入って!
スタン、あんたはまず荷解きね。
あたしはお茶でも淹れて来るから、マリアン、こいつをよろしくね。」
「おう、すぐ終わらせる。」
「・・・僕は・・・?」

「あんたは大人しく寝てなさい!そんな顔色でうろちょろされたら、見てるこっちが心配なのよ!」
「なっ・・・!!」
「エミリオ、折角だから少し、お言葉に甘えてはどう?
先に、お部屋に案内させてくださいね。」
「・・・君が言うなら・・・」

流石のマリアンには 大人しく着いて行くリオンの後ろ姿を見ながら
「やっぱ、マリアンさん効果は絶大だ・・・
呼んでおいて正解だったな。」
「そうね。あたしやあんたが言ったって、全然聞かないもの。」
スタンとルーティの間では そんな会話が交わされているのだった



中に案内されると 質素な建物ながら補修を繰り返し 大切に使われているのが見て取れる
マリアンは扉を開けながら リオンに声を掛けた

「ここが、貴方とスタンさんのお部屋よ。
ごめんなさいね、二人用のお部屋しか空いていないそうなの。」
「君が謝る必要なんかないさ。
それに・・・」
「?」
「いや・・・何でもない。」

そう言うと リオンは扉をそっと閉めて
いつも以上に真剣な顔付きに変わった

「マリアン、今まで、本当に済まなかった。
僕の側仕えというだけで、随分君に、辛い思いをさせてしまった・・・」

合わせる顔がない、と言いたげに俯いてしまった彼に マリアンは凛とした瞳を向ける
「・・・リオン様。お顔を上げてください。」
幾分強い口調で言われて ゆるゆるとリオンは顔を上げた
彼女の眼差しは柔らかいけれど、瞳の奥に強い意志が込もっている事に気付く

「私は、そんな風に思った事など、一度もありません。リオン様の側仕えとして、貴方様が立派に成長されてゆくお姿を見る事が出来て、本当に幸せです。
それに、貴方ほど気高く生きて来られた方を、私は他に知りません・・・」

一度言葉を切ると、彼女は笑顔を向けた

「私を・・・助けてくださって、ありがとうございます。
お礼もまだ、きちんとお伝えしてなかったのよ・・・」

言いながら悲しそうに 視線を落とすマリアン
その瞳から涙がはらり、と零れ落ちるのも構わず
すぐにリオンの手を両手で包み、優しく その労をねぎらう様に撫でてから

「リオン様、私は貴方様の側仕えとして、一生、誠心誠意お仕えすると、この身に誓っております。
不要と思われるのでしたら、いつでもそう仰ってください。
貴方様が、そう仰るまでは・・・」

そっと 彼女が取り出したのは
白いレースをあしらった 細身の髪飾り
それを 静かにリオンの手の平へ乗せた

「それまでは、いつまでも私は貴方様にお仕え致します。」
そう言い切ると 彼女は頭を垂れる

「マ、マリアン・・・」
驚きすぎて 言葉を失ったリオンに 彼女が涙目で追い討ちを掛けた
「私では、役不足でしょうか・・・」
「ち、違う!そんな訳、ない・・・」

彼女の思わぬ言葉を否定してから ほっ、と溜息を吐くと
「マリアン、それは、僕の台詞だ。
僕は君に、未だ追い付けてなんかいない・・・
それでも、いいのか?」

そう自信なさげに言いながら リオンはそっと彼女の頭に 髪飾りを付けてやる
顔を上げた彼女は 満面の笑みを讃えていた

「・・・私は、どんな貴方様でも、お支えしたいと思っております。
それ以上の理由が、必要ですか・・・?」

「・・・マリアン。
ありがとう、本当に・・・」




「あれ、ここだよな・・・
わーーーー!!うわっ、リオン、ごめん!出直して来る!」
突然の来訪者が 今しがた解いたばかりの荷物を抱えて ノックもせずにやって来て二人のムードをぶち壊した

「・・・今更遅い。早く運べ!!
ああもういい、僕が引き取る!そしてさっさと出ろ!!」
「えっ、リオン、これ持てるか?けっこう重いぞ?」
「こ・・・これ位、なんて事は無い!」
「なーに騒いでんのよあんた達。
ほら、お茶が入ったわよ、一息付きましょ!」



その光景は 最初の旅の時よりもずっと騒がしくて 笑顔に溢れている



(リオン、やっと笑顔を見せてくれた)


「・・・後は任せた、なんて、二度と言わせないからな。」

スタンの独り言は 誰に聞かれる事も無く
優しく吹き抜けた暖かな風に そっと消えていった






色のない夢 硝子細工の獅子 end.




後書き


     最後までお読み頂き、ありがとうございます!
     本当に、感謝感激、雨霰としか言い様がありません・・・!!
     当初は三話か四話を予定していたのですが、実は一話目を書き終えた後にはもう、
     (こりゃ無理だな・・・)と悟り、気が付けば完結までに13話・・・!

     ただ、現実的に、立ちはだかる数多の障壁の中から彼を救い出すのは簡単な事ではありませんでした。
     自ら死を選ぶ勢いの彼に、生きる意志を与えてやるのは非常に難しく、苦労した点でもあります。
     彼に希望を与えてやるのには、それだけの時間とエネルギーが必要だった、という事になるのでしょうか。
     ・・・今のは決して、綺麗にまとめようと狙った訳では無いです、ええ、断じて。

     何はともあれ、一区切りを迎える事が出来たのはひとえに、読者の皆様の応援があってこそです。
     本当にありがとうございます!
     それぞれの道を、しっかり歩いて行ける様になるまで、今暫く二人の物語は続いて参ります。
     これからのスタンとリオンにも、ご期待頂ければと思います。


'2013 3/29 ric_620/六二緒






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